勇者は町の広場に足を踏み入れると、すぐにその静けさに気づいた。広場には人々が行き交っているが、どこか無関心な空気が漂っている。彼は顔をしかめ、剣を腰に差し直し、肩を張って歩き始めた。

「いよいよ、魔王討伐を終えた帰りだ。これでみんなも俺に感謝して、英雄として迎えてくれるはずだ。」

しかし、町の人々は全く気にする様子もない。市場で買い物をする商人たちが忙しそうに商品を並べ、子供たちが遊んでいるだけ。誰も彼を見ようとしない。

勇者は少し焦りながらも、声をかけようと近くにいた商人に歩み寄った。

「おい、あの、ちょっと聞いてくれ。俺、魔王を倒した勇者だ！」

商人は軽く顔を上げただけで、無言で商品を並べ続ける。

「……あれ？」

勇者はその反応に一瞬呆然とし、もう一度声をかけてみた。

「えっと、魔王を倒した勇者だってば！」

商人はやっと顔を上げたが、目が虚ろだ。「そうか、魔王か。ああ、あんたもそのうち死ぬんだろうな。」

その言葉に勇者は一瞬、驚きとショックで言葉を失った。商人は続けて言った。

「俺は今、明日売る商品を並べるのが忙しいんだ。ありがた迷惑だな。」

「あ…、そうですか。」

勇者はそのまま歩き去るしかなかった。心の中で何度も自分に言い聞かせる。

「きっと、みんな忙しいんだよな。英雄として迎えられる日も近いはずだ。きっとそうだ。」

しかし、広場を歩いても、町の人々は誰も彼に注目しない。通りすがりの子供たちは、ただ通り過ぎるだけ。

「おじさん、今度のおもちゃ屋が新しいの見に行こうよ！」

勇者は思わず立ち止まり、その子供の言葉に耳を傾けた。

「お、俺は…？」

「おじさん、モブだね！」

子供の言葉が鋭く胸に突き刺さった。モブ？あれだけ頑張って魔王を倒して、世界を救ったはずなのに――。

「う、うるさい！」

勇者は思わず声を上げ、その場を駆け抜けるように歩き出した。足音だけが空しく広場に響く。

彼はふと、自分の立ち位置を考えてみた。勇者としての名声。大切に思っていたはずのその名声が、今、何の役にも立っていない。

「俺、何のために戦ったんだろうな…」

彼の心に浮かんだのは、これまでの長い冒険のこと。仲間たちと共に戦い、魔王を倒し、世界を救った。それなのに、町に帰った途端、何も変わらない。この町では、ただの一人の通行人に過ぎなかった。

「みんなが待ってる場所なんて、もうどこにもないのかな。」

勇者は立ち止まり、空を見上げた。どこか晴れた空が広がっている。しかしその空は、今の彼には冷たいだけだった。

その時、後ろから一人の男が声をかけてきた。

「おい、勇者だろ？」

振り返ると、見知らぬ男が立っていた。若い男だが、その表情は険しい。勇者は警戒しながらも頷いた。

「ええ、そうだ。魔王を倒してきた。」

男は一瞬、驚いた顔をしたが、それもすぐに引き締まった表情に変わった。

「お前、ほんとに魔王を倒したのか？」

「もちろんだ。」

男は無言で頷き、勇者の方に近づいてきた。

「じゃあ、俺もお前に頼みたいことがある。魔王が倒れた後、俺はまだ戦っている。頼む、力を貸してくれ。」

「え？」

突然の展開に、勇者は驚き、しばらく沈黙した後、男の目をじっと見つめた。その目には、何か確固たる決意が宿っているようだった。

「俺たちも戦っているんだ。英雄だとか、そんなの関係ない。大事なのは、まだ倒しきれてない敵を倒すことだろ？」

勇者は言葉を失いながら、しばらくその男の目を見つめた。確かに、彼の言う通りだ。魔王を倒したからといって、それがすべてではない。

「お前が言う通りだ…」

男が頷くと、勇者は心の中で何かが少しだけ晴れた気がした。

「じゃあ、俺も手伝うよ。」

その瞬間、勇者は初めて、町に帰ることに意味を感じた。