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なんでもたんぺんしゅー

#8

「―四人の春は尊し―桜降るのを待ちぼうけ」3話



翌朝、
別棟が慌ただしくなった

看守の足音が増え、
低い声が廊下を行き交う

「……未遂だそうだ」
「早期発見で命に別状はない」

名前は、
直接は出なかった

それでも、
中原の独房の前だけ、
しばらく人が途切れなかった


[水平線]

――田中「??」外騒がしいなぁ、がやがやしてる
僕は絵を書いていたのに、4人の絵
桜の下でお花見してる4人の絵

――なんで、こんな音するんだろ

顔を上げると、廊下の向こうで看守さんたちが慌ただしく動いている
何かを早口で話している

[太字]「未遂」「緊急」「搬送」[/太字]
いっぱい難しい言葉聞こえる

その中で、
ひとつだけ。

[太字]「中原」[/太字]

その名前だけは、
すっと耳に入ってきた

田中の手が止まる。
鉛筆が、紙の上で転がった

田中「……中原……?」

心臓が、一拍遅れて鳴る

田中「中原さん……?」

頭が、ついてこない
何が起きているのか、まだ分からない

それなのに、
胸の奥が、嫌な感じ

田中「……どゆこと……?」

誰に向けた言葉でもなかった
答えも、返ってこない

ただ、
桜の下で笑っている四人の絵だけが、
机の上に残っていた

次の瞬間だった




――視界が、揺れた

床が近い
いや、違う

路地

湿った匂い

[大文字]「やめろ!」[/大文字]
誰かの声
自分の声

田中「……っ」

息が、吸えない

頭の奥で、
ガン、という音
繰り返される

レンガ



田中「ちが……っ」

手が、震える

止めた
止めたのに

「結果的には……?」

誰かの声が、頭の中で繰り返される

田中「ぼく……」

わからない
わからないのに、
身体だけが覚えている

息が早くなる
視界が狭くなる

桜の絵が、
ぐしゃっと歪む

田中「……やだ……」

音が、遠くなる
近くなる

誰かが名前を呼んでいる気がする
でも、聞き取れない

ただ――
胸の奥で、
何かが壊れる感覚だけが、はっきりしていた。







それは、
いつきの独房まで、はっきり聞こえた

泣き声だった

抑えきれずに溢れ出る、
子どものような、甲高い声

[大文字] 「やだぁ……っ!」[/大文字]

看守の低い声が重なる

「落ち着け、大丈夫だ」「暴れるな、囚人番号1103!」
田中は囚人番号を呼ばれる、呼ばれても田中の声は止まらない

田中「中原は?!ねぇ、中原さんは?!」

息が詰まり、
言葉が途切れ、
また溢れる

田中「なんで!!死んじゃった?!ねぇ、死んだの?!」

看守が、強く押さえ込む音

「違う、命に別状はない」
田中「…べつじょーっ?」
言葉を、なぞるように
[大文字]「なにそれ、しらないしらないしらない」[/大文字]

意味が、理解が、追いつかない

田中「ぼくのせい?!」

喉が引きつる

田中[大文字]「やだやだやだ!」[/大文字]

泣き声は、
叫びに近い

ただ、
置いていかれることへの恐怖が、
形になって飛び出しているだけだった

看守たちが、
必死に腕を押さえる

「囚人番号1103、静かにしろ」
「大丈夫だから」








必死に押さえる看守たちの声

いつきは、
鉄格子の向こうで、
そのすべてを聞いていた

何もできず、
ただ、立ち尽くして


田中「柴井は?!柴井はどこ?!」
「いつきは?!みんな……どこにいるの……?」
――その声で

いつきは、はっと我に返る

いつき「……っ!」

鉄格子を、強く掴む
身体を前に乗り出し、できる限り、声を張り上げた


いつき[大文字][大文字]「田中!!」「田中!!」[/大文字][/大文字]

番号ではない
名前だった

田中の声が、途切れる

田中「……いつき……?」
その声はか細く、
自分でも聞こえているのか分からないほどだった



いつき[大文字][大文字]「大丈夫だ!」[/大文字][/大文字]
いつきは、喉を裂くように叫ぶ
[大文字]「俺は無事だ!」[/大文字]
[大文字]「中原も、柴井も……今はいないだけだ!」[/大文字]

看守「おい!1104!静かにしろ!」
看守の制止が飛ぶ
だが、いつきは振りほどくように、言葉を繋いだ

いつき[大文字]「俺が、ちゃんと守るから!」[/大文字]
[大文字]「田中も!」[/大文字]
[大文字]「中原も!」[/大文字]
[大文字]「柴井も!!」[/大文字]

それは約束というより、
願いに近かった

それでも――
その声は、
確かに田中に届いた




[水平線]



その後、
田中は医務へ移され、次第に落ち着きを取り戻した

泣き声は止み、やがて廊下には、いつもの静けさが戻る

いつきは、鉄格子の前から引き離された

看守「過度な大声での呼びかけは規則違反だ」

短く、事務的な注意だった

「今後は控えるように」

いつきは、何も言わなかった
言えなかった

独房に戻され、
扉が閉まる

がちゃん、と重い音

――守る、と言ったばかりなのに

声を出したことすら、
咎められる場所だった

いつきはその場に立ったまま、
しばらく動けなかった



[水平線]


――関係者聞き取り記録2010/05
あの事件から5年経って

Q.
当時、彼ら四人との関わりは?
A,
看守A「はい、私はとくに1101と1102たちと関わりがありました」

Q.
とくに印象に残っていることは?
A,
看守A「とにかく1102が1101に対して健気でした。」

Q.
健気、とは?
A,
看守A「そうですね…―――」





――A,
看守B「僕は1103と1104との関わりがありましたね」
「印象に残っていること?」
「いつも物静かな1104が1103がパニックになった際に声を張り上げたことですかね、正直驚きましたね」

[水平線]

―その後、時間はゆっくりと元の流れに戻った

2008年
あの事件から3年の月日が経ったようだ

柴井は心神喪失状態のままだったが、刑務作業に復帰した。
中原も、別状はないことが確認され、作業に戻った。

日常は戻った──しかし、一つだけ、以前とは違うことがあった。

中原「今日はいい天気だね、昨日は大雨だったけど」
柴井「…」
中原「まだやっぱ雨上がりの匂いするね」
柴井「…」

中原は、柴井に話しかけ続けた。

どんなに些細なことでも、くだらないことでも、天気の話や、以前の出来事や、どうでもいい雑談まで。

中原「田中が前ね、絵を書いたの見せてくれたの」「柴井もみてあげてよ」
柴井「…」
田中「これこれー」
田中が4人が花見をしている絵を見せた
いつき「なんかわりと特徴捉えてんのムカつくなぁ」
田中「なんでー?」

たまに田中やいつきも加わり、柴井に声をかけ続けた。
返答は何も返ってこなかった。
それでも、言葉は途切れず、毎日繰り返された。






それはまるで、沈黙の中で小さな橋を架け続けるような日々だった。


中原「前ね、柴井が骨折れたときあったの」
柴井「…」
中原「でも柴井はね、「え?骨?ヒビだけだよ!」って。全然他人事みたいに笑ってた、それがおかしくって」
柴井「…っ……」柴井が何か言う
柴井の視線がわずかに動いたのを感じた
柴井「そんな…痛…く…なかっ…たよ」
中原「ぇ…?」
中原は驚き、歓喜した
中原「そうなんだ!痛くなかったんだね!」
その後は何も帰ってこなかった






作業

作業は、いつも通り淡々と進んでいた。

田中(あれれ……? これ、あってるかな)
頭の中がぐるぐるして、手が止まる。
手順が分からなくなり、あわあわと周囲を見る。

その瞬間、
いつきが何も言わず、田中の手元に伸びた。
間違っている箇所だけを、静かに直す。

「いつき、ありがと!!」

田中はぱっと顔を上げ、いつきを見た。

「ん」

返事はそれだけだった。
田中はしばらく、じっといつきを見つめている
いつきは、ちらりと視線をやり、
指で短く示す。

――前。

「前、向かないと!」

一拍遅れて、理解したように田中は前を向いた。

(……こいつ、すぐ声出すからな)

いつきは、少し呆れたように思いながら、
何事もなかったように作業へ戻った。





―作業終了後。休憩時間に中庭にいた
いつき「風、冷たくなったな」

中原「冬はすぐそこだね」

田中「風邪ひかないようにしないとね!」

柴井「…」

中原は雑談を続け、柴井はちらりと顔を上げる。
ここ最近、柴井は少しずつ反応を見せるようになった。
来る日も来る日も声をかけ続けた成果かもしれない。

不意に中原が声を上げる 
中原「…会おうな、絶対、」

柴井「…っ!」

中原「次だよ」

田中「つぎ?」

中原「次、次は絶対に花見しよ、」
「何があっても、ね、この四人で」

いつき「はー、またお前らと一緒かよ」
中原「文句言うな」

田中「その奇跡信じるね!」
柴井は三人が気づかないように、小さく頷いた
その言葉は確実に柴井に届いた


しかし、この四人は知っていたのだろうか──
自分たちの死刑執行の日が、確実に近づいていることを。

2025/12/26 18:32

かのん ID:≫ 1.6ekCz9QCfE6
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