深海の愛
玄関の鍵を開けた瞬間、強い視線を感じた。
リビングに入ると、彼女はソファに座ったまま、スマホを握りしめていた。
「……おかえり」
いつもの声。でもその中に、張り詰めた糸のような緊張が走っていた。
「さっき、既読だけついてたよね。どうして返事くれなかったの?」
僕は息を整え、上着を脱ぎながら答える。
「ただの大学の友達に会ってただけだよ。前に話した、川崎ってやつ」
「……うん、知ってる。でも、どうして言ってくれなかったの?」
彼女の手が震えていた。
爪がスマホのカバーをぎゅっと押して、カチカチと不規則な音を立てている。
「隠したつもりはないよ。言うほどのことじゃないって思ってた」
「……そういうとこだよ」
彼女がゆっくり立ち上がる。
「そうやって、“大したことじゃない”って決めつけて、私の不安を無視するの。いつもそう。私が何を考えてるか、ちゃんと見てくれてないよね?」
「見てるよ」
「嘘」
彼女の声が震えた。涙がこぼれる寸前で、ギリギリのところに立っている。
「ねぇ、あなたが誰かと会ってるだけで、私がどれだけ不安になるかわかる?
頭の中で最悪の想像ばかりして、勝手に泣いて、吐きそうになって、それでもあなたの帰りを待ってたの」
「それは――」
「あなたが悪いって言ってるんじゃない。ただ、私が壊れていくのが止められないの。苦しいのに、あなたと一緒にいたいって思うことが、怖いの」
彼女の叫びは、泣き声でも怒りでもなかった。
それは、どこにもぶつけようのない「孤独」の形だった。
僕は彼女に近づいて、そっと抱きしめた。
彼女の身体は細く、震えていて、まるで崩れそうな硝子の彫刻だった。
「俺も、怖いよ」
僕はようやく本音を口にした。
「お前がいなくなったら、もう生きていけないと思うくらいには、俺もおかしくなってる。でも、それでも離れたくない。壊れてもいいって、思ってしまう」
彼女は僕の胸に顔をうずめて、声を上げずに泣いていた。
涙の熱が、シャツをゆっくり染めていく。
外は静かだった。
窓の外の街灯が、にじむように揺れていた。
部屋の中で、ふたりだけの時間が流れる。
その時間は、まるで真綿のように柔らかくて、でも首を絞めるように窒息感を伴っていた。
“これが愛だ”と信じたかった。
でも本当は、これはもう、ただの生きるための依存だった。
リビングに入ると、彼女はソファに座ったまま、スマホを握りしめていた。
「……おかえり」
いつもの声。でもその中に、張り詰めた糸のような緊張が走っていた。
「さっき、既読だけついてたよね。どうして返事くれなかったの?」
僕は息を整え、上着を脱ぎながら答える。
「ただの大学の友達に会ってただけだよ。前に話した、川崎ってやつ」
「……うん、知ってる。でも、どうして言ってくれなかったの?」
彼女の手が震えていた。
爪がスマホのカバーをぎゅっと押して、カチカチと不規則な音を立てている。
「隠したつもりはないよ。言うほどのことじゃないって思ってた」
「……そういうとこだよ」
彼女がゆっくり立ち上がる。
「そうやって、“大したことじゃない”って決めつけて、私の不安を無視するの。いつもそう。私が何を考えてるか、ちゃんと見てくれてないよね?」
「見てるよ」
「嘘」
彼女の声が震えた。涙がこぼれる寸前で、ギリギリのところに立っている。
「ねぇ、あなたが誰かと会ってるだけで、私がどれだけ不安になるかわかる?
頭の中で最悪の想像ばかりして、勝手に泣いて、吐きそうになって、それでもあなたの帰りを待ってたの」
「それは――」
「あなたが悪いって言ってるんじゃない。ただ、私が壊れていくのが止められないの。苦しいのに、あなたと一緒にいたいって思うことが、怖いの」
彼女の叫びは、泣き声でも怒りでもなかった。
それは、どこにもぶつけようのない「孤独」の形だった。
僕は彼女に近づいて、そっと抱きしめた。
彼女の身体は細く、震えていて、まるで崩れそうな硝子の彫刻だった。
「俺も、怖いよ」
僕はようやく本音を口にした。
「お前がいなくなったら、もう生きていけないと思うくらいには、俺もおかしくなってる。でも、それでも離れたくない。壊れてもいいって、思ってしまう」
彼女は僕の胸に顔をうずめて、声を上げずに泣いていた。
涙の熱が、シャツをゆっくり染めていく。
外は静かだった。
窓の外の街灯が、にじむように揺れていた。
部屋の中で、ふたりだけの時間が流れる。
その時間は、まるで真綿のように柔らかくて、でも首を絞めるように窒息感を伴っていた。
“これが愛だ”と信じたかった。
でも本当は、これはもう、ただの生きるための依存だった。