二次創作
カイザーフューラー
史実のドイツ帝国軍は協商側の予想より早く動員を終え、すぐさま東ロシア、ベルギーへと攻め込んでいる。しかしヒトラーの口から出てきた方針は、「総動員はするが、あと何年かは協商陣営には攻め込まない」という守勢的なものだった。
「わが国の現状を顧みるに、戦争遂行の手配がまだまだ不十分だ。総動員は認めるが、侵攻は今しばらく延期とする」
「しかし、それではロシア軍のオーストリアハンガリー帝国領内への侵入を認めてしまう事になります……」
難色を示したのは参謀総長のヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ他、動員計画を担った者たちだ。
彼らの脳内にチラついていたのは、普仏戦争におけるドイツ軍の鮮やかな勝利である。鉄道を用いた迅速な兵員運用によって主導権を握ったドイツ軍は、わずか2ヶ月足らずでフランスを降服に追い込んだのだ。
「モロッコ事件以降、国民の不満は溜まる一方です。ロシア軍のオーストリア領侵犯を許したとなれば、政府と陛下への支持はいっそう低下します……」
「だが、現状の我が軍で勝てるのかね? 食糧も人的資源も不足していると聞く。勝てばいいが、負ければ国民の不満は更に高まるぞ」
史実のドイツ帝国は参謀部の計画通りに侵攻した結果、「マルヌ会戦」で西方戦線でのマルヌ川への後退、そして戦線膠着。それを知るヒトラーとしては、何としても歴史を変えなければならなかった。
「何も丸裸で協商陣営の横に立っていろと言っているのではない。だから参謀本部の進言に従い、“部分動員ではなく総動員を認める”と言っている」
睨むようなヒトラーの視線に、言葉に詰まるモルトケたち。もともと第一次世界大戦の発端はドイツを味方につけたオーストリアと、ロシアを味方につけたセルビアの対立に起因する。
オーストリアがセルビアに宣戦布告した以上、ドイツとしては同盟国オーストリアを見捨てるわけにもいかないが、そうすると必然的にロシア、フランスとの対立も深まることにもなる。
だがしかし、ヒトラーと同じように全面戦争を恐れていたヴィルヘルム二世は必要以上にロシア、フランスを刺激しないよう、軍の動員を部分的なものに留めようとしていた。
そこに待ったをかけたのが、兵站を司るモルトケら参謀本部総局である。曰く「部分動員では万が一ロシア、フランスと戦争になった時、戦争計画に致命的な遅れが生じるから出来ない。やるなら総動員だ」とヴィルヘルムの要求を突っぱねたのだ。
長時間に亘る議論の末ヴィルヘルム二世は渋々総動員を認めたのだが、転生したヒトラーはこれを利用することにした。
要するに「総動員では自分が譲歩したのだから、今度はそっちが譲歩しろ」という訳である。
「しかし……」
「心配はいらん。我々はイタリアと同盟を結んでおる。フランスとて、背後の敵を放置したまま大軍をこちらには送るまい」
モルトケたちの心配するような「フランス軍によるドイツ先制攻撃」は起こらない―—史実を知るヒトラーにはその自信があった。
――事実、フランス軍の計画ではマジノ線に籠り攻めてくるドイツ軍を迎撃フランス軍がする事になっていたからだ。
しかし、そんな未来知識を当時のドイツ軍高官は知る由もないし、仮にスパイから情報を得ていたとしても、どこまで鵜呑みにして良いものなのか。
実際、当のロシア軍ですら最終的にはプロイセンへの侵攻が採用されたものの、持久戦を覚悟する「防衛派」と、先制攻撃を重視する「攻撃派」の対立が続いていたのだから。
ゆえにモルトケらにしてみれば、皇帝は事態を楽観視しているようにしか見えず、その後もヴィルヘルムとの間で延々と議論が続けられた。
(ええい! 皇帝であるこの私が延期すると言っておるのだ! さっさと首が残っている内に縦に振らんか!)
とは言え、一個人としては温厚だったヴィルヘルム二世と違い、ヒトラーは元々そう穏やかな性格ではない。
なかなか首を縦に振らない参謀部に、業を煮やしたヒトラーは遂に最終手段へ踏み切る事にした。
「では、こうしようではないか。どうしても侵攻したいというのなら止めないが、失敗した時には全ての責任を負ってもらう。ただし、特赦には期待しない事だ」
要約すると「もし負けたら軍法裁判&死刑確定だからな?」というストレートな脅迫である。すると予想通り、ヴィルヘルムへの抗議がパッタリと止んだ。
(うむ、やはりこの手に限るな。恐怖ほど楽に人を支配できるものはない)
結局、誰だって自分の身が可愛いものだ。命を賭けてまで主張を通そうとする者など、滅多にいるものではない。
加えてドイツ軍の準備不足をヴィルヘルム以上に痛感していた参謀部としては、ここまで言われれば引き下がるしかなかったのである。
**
かくしてヒトラーの予想通り、フランス軍は「マジノ線」に立て篭もった。
対してドイツ軍もフランス、ロシアに宣戦布告、そして総動員こそしたものの領内から一向に出ようとはせず、皇帝ヴィルヘルム二世の命令でひたすら仏、露国境沿いに塹壕を掘る毎日。激化するオーストリア戦線を余所に西部、東部戦線の両軍はにらみ合いに終始し、退屈のあまりに厭戦気分が蔓延し出して戦意が低下して、双方の兵士たちがタバコや酒を交換し合うような光景すら見られるようになっていた。
戦争状態にあって国境を接しているにもかかわらず、一切の戦闘が生じないこの戦争はメディアからも「まやかし戦争」などと皮肉られることになる。
しかしドイツ帝国のやる気の無さに黙っていないのが、フランスとロシアの大軍を押し付けられたオーストリアハンガリー帝国である。
大戦のきっかけを作った張本人であるオーストリアは、大国の猛攻撃を受けて風前の灯であった。
「ドイツは何をしている! 同じドイツ民族ではなかったのか!?」
連日のようにベルリンの宮廷には、救援を求めるオーストリア政府からの悲鳴が届いている。
ボヘミアヘルツェゴビナを取られ復讐に燃えるセルビアとその背後に立つロシアに対し、これまでオーストリアが強気で抵抗してきたのはドイツの支援あってこそ。中央同盟国の条約にもとづいてヨーロッパに勢力圏を確立しようとするドイツの目論見を、逆に利用するオーストリアの知恵と悲哀が詰まっているのだが、ヴィルヘルムはこのオーストリアに対して驚くほど冷淡に接した。
一応は義理で参戦してあげた上に軍事物資の援助ぐらいはしてやってるのだから、それ以上の要求に従う筋合いは無い、というのがヴィルヘルムことヒトラーの見解であった。
もちろん、この事実上オーストリアを切り捨てたに等しいドイツの態度に対して、オーストリア政府は猛抗議した。
「我がオーストリアが敗北すれば、今こちらで引き付けているロシアの大軍はドイツに向かうでしょう。それは貴国としても、望むところではないのでは?」
「あるいは、その大軍はイタリアへ向かうかもしれんな。それはイタリアの連中にとっても望むところではないだろう」
ヒトラーが常に警戒しているのは、イタリアがドイツを利用してロシア、フランスと戦わせ、共倒れを狙っているという陰謀である。実際、第二次世界大戦の折には英首相チャーチルなどがソ連に対してそのように考えていたし、とにかく同盟国であろうと外国は信用しない、というのがヒトラーのスタンスであった。
「……後悔することになりますぞ」
「心から貴国の無事を祈っておるよ。オーストリアが健在であれば、その分だけ我がドイツに向かう協商軍兵士の数は減るのだからな」
「ッ………!」
斯くしてドイツに見捨てられたオーストリアは外交方針をイタリア重視に切り替え、鉄道や鉱山さらに南チロルなどの国内利権を戦後はイタリア系外資に売り渡すことを条件として、イタリアから援助を引き出す方向へと方針を転換して動くことになる。
イタリアは兵士こそ少数しか送らなかったものの、武器弾薬を豊富にオーストリアへと供給した。英、仏、露率いる協商国の前に絶望的だと思われたオーストリアは「バルカンの奇跡」と呼ばれるほどの粘りをみせ、19〇〇年末にドイツが参戦するまでほぼ単独で何年間も戦い続けている。
第一次世界大戦の大きな番狂わせの一つに数えられる「バルカンの奇跡」は、協商国に想定外の負担を強いることになった。そしてそれは同時にドイツ帝国にとっても、戦況を気にすることなく数年以上の余裕を以て総力戦体制への移行を国内で進められることを意味していた。
かくしてヴィルヘルムは同盟国の切り捨てと他諸国からの外交評判を犠牲に、ドイツ帝国の保全と余裕をもった変革を行うための時間を稼いだことになる。
それは「ドイツの外交的孤立を招きかねない危険なものであった」と当世の歴史家は記すが、それすらナチスの四面楚歌を何回も潜り抜けたヒトラーにとっては生温い逆境に過ぎなかったのである。
「わが国の現状を顧みるに、戦争遂行の手配がまだまだ不十分だ。総動員は認めるが、侵攻は今しばらく延期とする」
「しかし、それではロシア軍のオーストリアハンガリー帝国領内への侵入を認めてしまう事になります……」
難色を示したのは参謀総長のヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ他、動員計画を担った者たちだ。
彼らの脳内にチラついていたのは、普仏戦争におけるドイツ軍の鮮やかな勝利である。鉄道を用いた迅速な兵員運用によって主導権を握ったドイツ軍は、わずか2ヶ月足らずでフランスを降服に追い込んだのだ。
「モロッコ事件以降、国民の不満は溜まる一方です。ロシア軍のオーストリア領侵犯を許したとなれば、政府と陛下への支持はいっそう低下します……」
「だが、現状の我が軍で勝てるのかね? 食糧も人的資源も不足していると聞く。勝てばいいが、負ければ国民の不満は更に高まるぞ」
史実のドイツ帝国は参謀部の計画通りに侵攻した結果、「マルヌ会戦」で西方戦線でのマルヌ川への後退、そして戦線膠着。それを知るヒトラーとしては、何としても歴史を変えなければならなかった。
「何も丸裸で協商陣営の横に立っていろと言っているのではない。だから参謀本部の進言に従い、“部分動員ではなく総動員を認める”と言っている」
睨むようなヒトラーの視線に、言葉に詰まるモルトケたち。もともと第一次世界大戦の発端はドイツを味方につけたオーストリアと、ロシアを味方につけたセルビアの対立に起因する。
オーストリアがセルビアに宣戦布告した以上、ドイツとしては同盟国オーストリアを見捨てるわけにもいかないが、そうすると必然的にロシア、フランスとの対立も深まることにもなる。
だがしかし、ヒトラーと同じように全面戦争を恐れていたヴィルヘルム二世は必要以上にロシア、フランスを刺激しないよう、軍の動員を部分的なものに留めようとしていた。
そこに待ったをかけたのが、兵站を司るモルトケら参謀本部総局である。曰く「部分動員では万が一ロシア、フランスと戦争になった時、戦争計画に致命的な遅れが生じるから出来ない。やるなら総動員だ」とヴィルヘルムの要求を突っぱねたのだ。
長時間に亘る議論の末ヴィルヘルム二世は渋々総動員を認めたのだが、転生したヒトラーはこれを利用することにした。
要するに「総動員では自分が譲歩したのだから、今度はそっちが譲歩しろ」という訳である。
「しかし……」
「心配はいらん。我々はイタリアと同盟を結んでおる。フランスとて、背後の敵を放置したまま大軍をこちらには送るまい」
モルトケたちの心配するような「フランス軍によるドイツ先制攻撃」は起こらない―—史実を知るヒトラーにはその自信があった。
――事実、フランス軍の計画ではマジノ線に籠り攻めてくるドイツ軍を迎撃フランス軍がする事になっていたからだ。
しかし、そんな未来知識を当時のドイツ軍高官は知る由もないし、仮にスパイから情報を得ていたとしても、どこまで鵜呑みにして良いものなのか。
実際、当のロシア軍ですら最終的にはプロイセンへの侵攻が採用されたものの、持久戦を覚悟する「防衛派」と、先制攻撃を重視する「攻撃派」の対立が続いていたのだから。
ゆえにモルトケらにしてみれば、皇帝は事態を楽観視しているようにしか見えず、その後もヴィルヘルムとの間で延々と議論が続けられた。
(ええい! 皇帝であるこの私が延期すると言っておるのだ! さっさと首が残っている内に縦に振らんか!)
とは言え、一個人としては温厚だったヴィルヘルム二世と違い、ヒトラーは元々そう穏やかな性格ではない。
なかなか首を縦に振らない参謀部に、業を煮やしたヒトラーは遂に最終手段へ踏み切る事にした。
「では、こうしようではないか。どうしても侵攻したいというのなら止めないが、失敗した時には全ての責任を負ってもらう。ただし、特赦には期待しない事だ」
要約すると「もし負けたら軍法裁判&死刑確定だからな?」というストレートな脅迫である。すると予想通り、ヴィルヘルムへの抗議がパッタリと止んだ。
(うむ、やはりこの手に限るな。恐怖ほど楽に人を支配できるものはない)
結局、誰だって自分の身が可愛いものだ。命を賭けてまで主張を通そうとする者など、滅多にいるものではない。
加えてドイツ軍の準備不足をヴィルヘルム以上に痛感していた参謀部としては、ここまで言われれば引き下がるしかなかったのである。
**
かくしてヒトラーの予想通り、フランス軍は「マジノ線」に立て篭もった。
対してドイツ軍もフランス、ロシアに宣戦布告、そして総動員こそしたものの領内から一向に出ようとはせず、皇帝ヴィルヘルム二世の命令でひたすら仏、露国境沿いに塹壕を掘る毎日。激化するオーストリア戦線を余所に西部、東部戦線の両軍はにらみ合いに終始し、退屈のあまりに厭戦気分が蔓延し出して戦意が低下して、双方の兵士たちがタバコや酒を交換し合うような光景すら見られるようになっていた。
戦争状態にあって国境を接しているにもかかわらず、一切の戦闘が生じないこの戦争はメディアからも「まやかし戦争」などと皮肉られることになる。
しかしドイツ帝国のやる気の無さに黙っていないのが、フランスとロシアの大軍を押し付けられたオーストリアハンガリー帝国である。
大戦のきっかけを作った張本人であるオーストリアは、大国の猛攻撃を受けて風前の灯であった。
「ドイツは何をしている! 同じドイツ民族ではなかったのか!?」
連日のようにベルリンの宮廷には、救援を求めるオーストリア政府からの悲鳴が届いている。
ボヘミアヘルツェゴビナを取られ復讐に燃えるセルビアとその背後に立つロシアに対し、これまでオーストリアが強気で抵抗してきたのはドイツの支援あってこそ。中央同盟国の条約にもとづいてヨーロッパに勢力圏を確立しようとするドイツの目論見を、逆に利用するオーストリアの知恵と悲哀が詰まっているのだが、ヴィルヘルムはこのオーストリアに対して驚くほど冷淡に接した。
一応は義理で参戦してあげた上に軍事物資の援助ぐらいはしてやってるのだから、それ以上の要求に従う筋合いは無い、というのがヴィルヘルムことヒトラーの見解であった。
もちろん、この事実上オーストリアを切り捨てたに等しいドイツの態度に対して、オーストリア政府は猛抗議した。
「我がオーストリアが敗北すれば、今こちらで引き付けているロシアの大軍はドイツに向かうでしょう。それは貴国としても、望むところではないのでは?」
「あるいは、その大軍はイタリアへ向かうかもしれんな。それはイタリアの連中にとっても望むところではないだろう」
ヒトラーが常に警戒しているのは、イタリアがドイツを利用してロシア、フランスと戦わせ、共倒れを狙っているという陰謀である。実際、第二次世界大戦の折には英首相チャーチルなどがソ連に対してそのように考えていたし、とにかく同盟国であろうと外国は信用しない、というのがヒトラーのスタンスであった。
「……後悔することになりますぞ」
「心から貴国の無事を祈っておるよ。オーストリアが健在であれば、その分だけ我がドイツに向かう協商軍兵士の数は減るのだからな」
「ッ………!」
斯くしてドイツに見捨てられたオーストリアは外交方針をイタリア重視に切り替え、鉄道や鉱山さらに南チロルなどの国内利権を戦後はイタリア系外資に売り渡すことを条件として、イタリアから援助を引き出す方向へと方針を転換して動くことになる。
イタリアは兵士こそ少数しか送らなかったものの、武器弾薬を豊富にオーストリアへと供給した。英、仏、露率いる協商国の前に絶望的だと思われたオーストリアは「バルカンの奇跡」と呼ばれるほどの粘りをみせ、19〇〇年末にドイツが参戦するまでほぼ単独で何年間も戦い続けている。
第一次世界大戦の大きな番狂わせの一つに数えられる「バルカンの奇跡」は、協商国に想定外の負担を強いることになった。そしてそれは同時にドイツ帝国にとっても、戦況を気にすることなく数年以上の余裕を以て総力戦体制への移行を国内で進められることを意味していた。
かくしてヴィルヘルムは同盟国の切り捨てと他諸国からの外交評判を犠牲に、ドイツ帝国の保全と余裕をもった変革を行うための時間を稼いだことになる。
それは「ドイツの外交的孤立を招きかねない危険なものであった」と当世の歴史家は記すが、それすらナチスの四面楚歌を何回も潜り抜けたヒトラーにとっては生温い逆境に過ぎなかったのである。