徒然短編日記
この話は【前編】と【後編】に分かれています。こちらは【前編】です。
短編のつもりが、長くなってしまったので分けさせていただきました。
申し訳ないです。何卒、よろしくお願いします。
「わぁ、きれいだなぁ…!」
目の前に広がった夜空に、僕は歓喜の声を上げた。
黄金の月夜が、僕を見つけてほほ笑んだ。
家が、嫌いだった。
僕の親は、不運なことに酒とこぶしでものをいう親だったから、当然居場所なんてなかった。
学校だけはかろうじて行っているけれど、外見も性格もさえない僕には友達という友達もいなかった。朝の点呼の時に、先生にまで名前を飛ばされかけたのは、少しショックだった。クラスメイトからも話しかけられることはほぼなく、いつしか保健室登校になってしまっていることを、まだ両親には言っていない。
でも、こんな僕にも、一つだけ好きなことがある。
天体観測だ。
といっても、天体観測とは名ばかりで、理科の授業さえまともに受けていなかった僕には、星の名も、星座の名も、わからないのだが。
今日みたいに、天気がいい日には、家をぬけだして一人で星を見る。
それが、僕のささやかな楽しみであり、唯一の生きがいだった。
そして、
ここは、僕だけの、特別な場所だ。
深い森の奥にある、崖の上。
森には「立入禁止」の看板が立っているが、そんなものお構いなしに奥へ進むと、突然景色が開ける。そこが、崖の上――僕は「星の崖」と呼んでいる―だ。
僕はここに生えている木に上って、星を見る。飽きたら、家へ戻る。
それが僕の日課だった。
「だから!あなたは本当に――」
「お前の金遣いが荒いからだろう⁉家事をしただけで働いた気になって――」
「うるさいわね、今日もパチンコに行ったんでしょう!全く――」
…嗚呼。
今日も父さんと母さんがけんかをしている。さっさと離婚しちゃえばいいのに、なんて僕はどこかで思う。でも、離婚したとて僕の生活はよくなる未来が見える気もしない。
心底あきれながら、僕は今日もたちあがる。懐中電灯だけ玄関から借りていく。なけなしのお小遣いをトートバックに入れて家を出た。金品をあの家に置いておいても、ろくなことがない。
今日はちょっと長めに外にいようか。
そんな気まぐれで、僕は図書館に行った。古びた本棚から適当な本を探して、不愛想な司書に本を渡す。煙草をふかしながらも、貸出手続きをしてくれたその人にお礼を言って図書館を後にした。返事はなかった。本はバックにしまった。
そして、近くの自動販売機で、コーヒーを買おうとした。何に使えばいいのかわからないので、お小遣いはそこそこの余裕があった。あんな親でも、実家の親戚の前ではおしどり夫婦を演じているので、お正月に実家に帰った時に、お年玉だけは僕にも恵んでくれるのだった。その小銭を小さな穴に入れる。
「、あ。」
僕は間違えて、ココアのボタンを押してしまった。カラン、と音を叩て、ココアの温かい缶が転がってくる。しまった。
でも今は、カフェインですべてを忘れてしまいたい。
僕は「贅沢のし過ぎだな」と自分を戒めつつも、今度はコーヒーを買った。
ココアは明日にでも飲もうかな。
そんなことを考えて、僕は星の崖へと向かった。
もちろん、この飲み物たちもカバンにしまった。
いつものように「立入禁止」の看板を乗り越え、記憶を頼りに木の間を進む。
5分ほどで、いつもの場所についた。
街の光は遠く、優しい月と星が空に光っている。冷たい空気が、僕の肺を満たした。少し寒さを覚えて、バックの中から取り出した缶コーヒーとココアをぎゅっと握る。じんわりと、指先が温まった。
「やっぱり、ここが一番、」
落ち着くなぁ…
僕がそういった、その時だった。
思えば今日はコーヒーとココアを間違えたり、いつもあまり行かない図書館に行ったり、イレギュラーなことばかりしていた。
偶然か、必然か。
わからないけれど、
「…もしもーし」
――木の上から声がしたのは、初めてだった。
「…え?」
思わず声が出てしまった。僕は慌てて振り返った。
木の上には、先客がいた。
黒いパーカーに、デニムのズボン。スタイルのいいその人は、丈夫な枝の上に座っていた。一人のようだ。
「…わわっ、…すみません、気づかなくて、その、」
普段人と話さない僕は、緊張してしまう。そんな僕を見て、その人は笑った。
「気にすんなって」
優しい低温の声質。少しハスキー。おそらく男性だろう。
木の影の下にいる彼の顔を、月明かりを頼りに確認してみる。
綺麗な白い肌に、やさしい顔つきをしている。年齢は、僕と同じか少し年上だろうか?青年、というべきだろうか。そんな彼は、自分が今まであった人の中で最もきれいに映った。
「…何じっと見てんの」
彼の言葉にハッとする。いけない、いけない。
こうして考え込んでしまうのは、自分の悪い癖だ。
そうして慌てていたら、思いがけない言葉が口から飛び出た。
「いや、そのぉ、…綺麗だなって…」
相手が驚く気配がした。
「…俺が?」
「…ふぇ?」
嗚呼、自分は何を言っているんだ…
初対面の人にこんなこと言ったって、引かれるだけじゃないか…
しかも、なんだよ、「ふぇ?」って…
自分の中でも整理がつかないままであたふたしていると。
彼は僕にこう言ってきた。
「…そのココア、」
「えっ?」
「一本ちょうだい?」
ええ。
「こ、これですか?」
僕はぬるくなってきたココアを掲げる。彼は「そうだよー」といった。
ちょうど余計に買ってしまったものだ。特に断る理由もなかったので承諾することにした。
「いいですけど…」
「いいの?」
今度は彼が驚いたように言った。僕がこくりとうなずくと、彼は嬉しそうに笑った。
「ここまで来てくれる?」
彼はさらに僕に言った。彼の手が木の枝をポンポンと叩いている。
ここにきて座れという意味だろう。
僕はいつものように木に手をかけて、木によじ登った。
硬くて少し湿った木の感触が伝わってくる。僕が上へと上がるたびに、木が少し揺れて葉がかさかさと音を立てた。
「よいしょっ…と、」
ほどなくして、僕は彼のいる木の枝までやってきた。彼はにこにこしながら、僕に隣をすすめた。
考えてみれば、初対面の人に誘われるまま、名も知らぬ人の横でともに時間を過ごす、というのは物騒な世の中、あまりいいことではないのかもしれない。
けれども、この青年からは敵意も怪しさも何も感じなかった。僕はむしろ、親しげな雰囲気さえ感じていた。
「ちょっと、ぬるいけど、」
「ありがとう」
ココアを渡すと、彼はプルタブに手をかけた。かしゅっ、と良い音を立てて、栓が開く。そしてココアをすすった。
僕もコーヒーの栓を開けた。コーヒーを口に含む。
苦くて、でも少しだけ酸味ある味が舌から伝わる。
一息つくと、彼は僕に聞いてきた。
「…どうしてここに来たの?」
短編のつもりが、長くなってしまったので分けさせていただきました。
申し訳ないです。何卒、よろしくお願いします。
「わぁ、きれいだなぁ…!」
目の前に広がった夜空に、僕は歓喜の声を上げた。
黄金の月夜が、僕を見つけてほほ笑んだ。
家が、嫌いだった。
僕の親は、不運なことに酒とこぶしでものをいう親だったから、当然居場所なんてなかった。
学校だけはかろうじて行っているけれど、外見も性格もさえない僕には友達という友達もいなかった。朝の点呼の時に、先生にまで名前を飛ばされかけたのは、少しショックだった。クラスメイトからも話しかけられることはほぼなく、いつしか保健室登校になってしまっていることを、まだ両親には言っていない。
でも、こんな僕にも、一つだけ好きなことがある。
天体観測だ。
といっても、天体観測とは名ばかりで、理科の授業さえまともに受けていなかった僕には、星の名も、星座の名も、わからないのだが。
今日みたいに、天気がいい日には、家をぬけだして一人で星を見る。
それが、僕のささやかな楽しみであり、唯一の生きがいだった。
そして、
ここは、僕だけの、特別な場所だ。
深い森の奥にある、崖の上。
森には「立入禁止」の看板が立っているが、そんなものお構いなしに奥へ進むと、突然景色が開ける。そこが、崖の上――僕は「星の崖」と呼んでいる―だ。
僕はここに生えている木に上って、星を見る。飽きたら、家へ戻る。
それが僕の日課だった。
「だから!あなたは本当に――」
「お前の金遣いが荒いからだろう⁉家事をしただけで働いた気になって――」
「うるさいわね、今日もパチンコに行ったんでしょう!全く――」
…嗚呼。
今日も父さんと母さんがけんかをしている。さっさと離婚しちゃえばいいのに、なんて僕はどこかで思う。でも、離婚したとて僕の生活はよくなる未来が見える気もしない。
心底あきれながら、僕は今日もたちあがる。懐中電灯だけ玄関から借りていく。なけなしのお小遣いをトートバックに入れて家を出た。金品をあの家に置いておいても、ろくなことがない。
今日はちょっと長めに外にいようか。
そんな気まぐれで、僕は図書館に行った。古びた本棚から適当な本を探して、不愛想な司書に本を渡す。煙草をふかしながらも、貸出手続きをしてくれたその人にお礼を言って図書館を後にした。返事はなかった。本はバックにしまった。
そして、近くの自動販売機で、コーヒーを買おうとした。何に使えばいいのかわからないので、お小遣いはそこそこの余裕があった。あんな親でも、実家の親戚の前ではおしどり夫婦を演じているので、お正月に実家に帰った時に、お年玉だけは僕にも恵んでくれるのだった。その小銭を小さな穴に入れる。
「、あ。」
僕は間違えて、ココアのボタンを押してしまった。カラン、と音を叩て、ココアの温かい缶が転がってくる。しまった。
でも今は、カフェインですべてを忘れてしまいたい。
僕は「贅沢のし過ぎだな」と自分を戒めつつも、今度はコーヒーを買った。
ココアは明日にでも飲もうかな。
そんなことを考えて、僕は星の崖へと向かった。
もちろん、この飲み物たちもカバンにしまった。
いつものように「立入禁止」の看板を乗り越え、記憶を頼りに木の間を進む。
5分ほどで、いつもの場所についた。
街の光は遠く、優しい月と星が空に光っている。冷たい空気が、僕の肺を満たした。少し寒さを覚えて、バックの中から取り出した缶コーヒーとココアをぎゅっと握る。じんわりと、指先が温まった。
「やっぱり、ここが一番、」
落ち着くなぁ…
僕がそういった、その時だった。
思えば今日はコーヒーとココアを間違えたり、いつもあまり行かない図書館に行ったり、イレギュラーなことばかりしていた。
偶然か、必然か。
わからないけれど、
「…もしもーし」
――木の上から声がしたのは、初めてだった。
「…え?」
思わず声が出てしまった。僕は慌てて振り返った。
木の上には、先客がいた。
黒いパーカーに、デニムのズボン。スタイルのいいその人は、丈夫な枝の上に座っていた。一人のようだ。
「…わわっ、…すみません、気づかなくて、その、」
普段人と話さない僕は、緊張してしまう。そんな僕を見て、その人は笑った。
「気にすんなって」
優しい低温の声質。少しハスキー。おそらく男性だろう。
木の影の下にいる彼の顔を、月明かりを頼りに確認してみる。
綺麗な白い肌に、やさしい顔つきをしている。年齢は、僕と同じか少し年上だろうか?青年、というべきだろうか。そんな彼は、自分が今まであった人の中で最もきれいに映った。
「…何じっと見てんの」
彼の言葉にハッとする。いけない、いけない。
こうして考え込んでしまうのは、自分の悪い癖だ。
そうして慌てていたら、思いがけない言葉が口から飛び出た。
「いや、そのぉ、…綺麗だなって…」
相手が驚く気配がした。
「…俺が?」
「…ふぇ?」
嗚呼、自分は何を言っているんだ…
初対面の人にこんなこと言ったって、引かれるだけじゃないか…
しかも、なんだよ、「ふぇ?」って…
自分の中でも整理がつかないままであたふたしていると。
彼は僕にこう言ってきた。
「…そのココア、」
「えっ?」
「一本ちょうだい?」
ええ。
「こ、これですか?」
僕はぬるくなってきたココアを掲げる。彼は「そうだよー」といった。
ちょうど余計に買ってしまったものだ。特に断る理由もなかったので承諾することにした。
「いいですけど…」
「いいの?」
今度は彼が驚いたように言った。僕がこくりとうなずくと、彼は嬉しそうに笑った。
「ここまで来てくれる?」
彼はさらに僕に言った。彼の手が木の枝をポンポンと叩いている。
ここにきて座れという意味だろう。
僕はいつものように木に手をかけて、木によじ登った。
硬くて少し湿った木の感触が伝わってくる。僕が上へと上がるたびに、木が少し揺れて葉がかさかさと音を立てた。
「よいしょっ…と、」
ほどなくして、僕は彼のいる木の枝までやってきた。彼はにこにこしながら、僕に隣をすすめた。
考えてみれば、初対面の人に誘われるまま、名も知らぬ人の横でともに時間を過ごす、というのは物騒な世の中、あまりいいことではないのかもしれない。
けれども、この青年からは敵意も怪しさも何も感じなかった。僕はむしろ、親しげな雰囲気さえ感じていた。
「ちょっと、ぬるいけど、」
「ありがとう」
ココアを渡すと、彼はプルタブに手をかけた。かしゅっ、と良い音を立てて、栓が開く。そしてココアをすすった。
僕もコーヒーの栓を開けた。コーヒーを口に含む。
苦くて、でも少しだけ酸味ある味が舌から伝わる。
一息つくと、彼は僕に聞いてきた。
「…どうしてここに来たの?」