面影(仮)
あぁ。今の今まで思い出せなかったのに。思い出さないようにしていたのに。どうして、ここに、
――あの人に、リョウに瓜二つな男の子がいるの―――?
ポカンとした顔で涙を流す私にぎょっとしたような目を一瞬向け、それから目を細めて
「リョウ……?だれ。しらない。」
素っ気なく彼は言う。当然だ。あの人なわけもない。あの人に関わる人でもないだろう。なぜなら、あの人は遠くのどこかで暮らしているからだ。それなのに、なぜ。
なぜ、涙が。
なぜ、行場のない憤りが。
なぜ、この初対面の男の子に対して。強く、強く。抱きしめたくて、離したくなくて、どこにも、行かないでほしくて、なぜそんなことを思うのか、なにも、なにも分からないけれど、……ただ、目が離せなかったんだ。
―――「悪かったな。」
「……その、水とか保冷剤……とか。」
「もう大丈夫だからさ。」
「なぁ。」
「おい。」
「…………聞こえてんの?」
サッカーの楽しげな声も耳に入らず、彼の姿をぼうっと眺める。梅染の髪が、陽に当てられて白色に光っている。少しつり目がちだけど、優しくて、宝石のように綺麗な瞳も。そこに生えている睫毛も、ぱっちりした二重も。細く通った鼻筋も、なにもかも、あの人と同一のものであると錯覚させられる。ただ、器は近くとも、中身が違うようで、とんがらせた唇や吊り上がらせた眉毛など、あの人とは全く違っている表情に、これは別人だと諭される。それでも。
「大丈夫か?お前……」
ああ。別人だ。あの人じゃない。彼の声は儚げで、ハスキーで、とびきり甘かった。
ごめん、と返すが、その言葉の中身はないも同然だった。 彼のハンカチをぎゅっと握った。もう私の涙でぐしょぐしょだけれど、彼の優しさや暖かさが詰まってる気がした。
少し間を置いてから、照れくさそうに、ありがとう、と彼は言った。
「名前は」
「ツキミ。ツキミ……です。」
「ツキミ……?俺、三月。似てんなぁ。」
「ほんとですね。はは」
「……何組?」
「1-Aですよ。」
「隣か。俺B組。」
「てか、Aってことはさ、お前の担任あれじゃん。伝説の、アレ。」
「伝説?私聞いたことないです。」
「知らないのかよ。お前、本当に入学式いたか?」
「……居なかったです。入院してて。」
「入学早々不幸だなぁ。でさ、その伝説ってのは―――」
他愛ない会話。だけど、こんなに楽しくって、ワクワクする話はいつぶりだろう。ミヅキくんの話は面白くて、私が話す内容を考える隙なんて与えてくれなかったから、久し振りに何も考えず会話が出来た。彼は、私の涙の理由を、リョウちゃんのことを聞かずにいてくれた。先生の笛がピーっと鳴る。集合だ。
「じゃあ。」
「ん。」
なんだか少し名残惜しくて、いつもは早足だけれど、今日はゆっくり歩いて集合場所へ向かう。
「なんだったんだろ。ツキミ、さん。」
俺はそう独り言を零した。静かになった、広くなった木陰で、ぼんやりしていると、先ほどの光景が思い出される。呆然と、ただ涙を流す彼女。ツキミさんの牡丹色の目は、丸くてころころしていて、スフマートに包まれていた。言いしれない霧がかかっていたような。でも、笑ってたな、A組担任のあの話。また少し笑えてくる。どんな悪辣なジョークで起こる大爆笑よりも、幸福な笑いだった。意味のない、中身のない、穏やかな笑いだった。……ツキミさん。なぜ、あんなにも辛そうだったのだろう。考えてもわからないから、現在に目を向けることにした。ツキミさんの、高いところで括られた焦茶の、腰辺りまである長いポニーテールが揺れている。ツキミさんの背中がだんだん小さくなって、同じ服を着た集団に混じるまで見送った。
―――「あっ、ハンカチ。」
――あの人に、リョウに瓜二つな男の子がいるの―――?
ポカンとした顔で涙を流す私にぎょっとしたような目を一瞬向け、それから目を細めて
「リョウ……?だれ。しらない。」
素っ気なく彼は言う。当然だ。あの人なわけもない。あの人に関わる人でもないだろう。なぜなら、あの人は遠くのどこかで暮らしているからだ。それなのに、なぜ。
なぜ、涙が。
なぜ、行場のない憤りが。
なぜ、この初対面の男の子に対して。強く、強く。抱きしめたくて、離したくなくて、どこにも、行かないでほしくて、なぜそんなことを思うのか、なにも、なにも分からないけれど、……ただ、目が離せなかったんだ。
―――「悪かったな。」
「……その、水とか保冷剤……とか。」
「もう大丈夫だからさ。」
「なぁ。」
「おい。」
「…………聞こえてんの?」
サッカーの楽しげな声も耳に入らず、彼の姿をぼうっと眺める。梅染の髪が、陽に当てられて白色に光っている。少しつり目がちだけど、優しくて、宝石のように綺麗な瞳も。そこに生えている睫毛も、ぱっちりした二重も。細く通った鼻筋も、なにもかも、あの人と同一のものであると錯覚させられる。ただ、器は近くとも、中身が違うようで、とんがらせた唇や吊り上がらせた眉毛など、あの人とは全く違っている表情に、これは別人だと諭される。それでも。
「大丈夫か?お前……」
ああ。別人だ。あの人じゃない。彼の声は儚げで、ハスキーで、とびきり甘かった。
ごめん、と返すが、その言葉の中身はないも同然だった。 彼のハンカチをぎゅっと握った。もう私の涙でぐしょぐしょだけれど、彼の優しさや暖かさが詰まってる気がした。
少し間を置いてから、照れくさそうに、ありがとう、と彼は言った。
「名前は」
「ツキミ。ツキミ……です。」
「ツキミ……?俺、三月。似てんなぁ。」
「ほんとですね。はは」
「……何組?」
「1-Aですよ。」
「隣か。俺B組。」
「てか、Aってことはさ、お前の担任あれじゃん。伝説の、アレ。」
「伝説?私聞いたことないです。」
「知らないのかよ。お前、本当に入学式いたか?」
「……居なかったです。入院してて。」
「入学早々不幸だなぁ。でさ、その伝説ってのは―――」
他愛ない会話。だけど、こんなに楽しくって、ワクワクする話はいつぶりだろう。ミヅキくんの話は面白くて、私が話す内容を考える隙なんて与えてくれなかったから、久し振りに何も考えず会話が出来た。彼は、私の涙の理由を、リョウちゃんのことを聞かずにいてくれた。先生の笛がピーっと鳴る。集合だ。
「じゃあ。」
「ん。」
なんだか少し名残惜しくて、いつもは早足だけれど、今日はゆっくり歩いて集合場所へ向かう。
「なんだったんだろ。ツキミ、さん。」
俺はそう独り言を零した。静かになった、広くなった木陰で、ぼんやりしていると、先ほどの光景が思い出される。呆然と、ただ涙を流す彼女。ツキミさんの牡丹色の目は、丸くてころころしていて、スフマートに包まれていた。言いしれない霧がかかっていたような。でも、笑ってたな、A組担任のあの話。また少し笑えてくる。どんな悪辣なジョークで起こる大爆笑よりも、幸福な笑いだった。意味のない、中身のない、穏やかな笑いだった。……ツキミさん。なぜ、あんなにも辛そうだったのだろう。考えてもわからないから、現在に目を向けることにした。ツキミさんの、高いところで括られた焦茶の、腰辺りまである長いポニーテールが揺れている。ツキミさんの背中がだんだん小さくなって、同じ服を着た集団に混じるまで見送った。
―――「あっ、ハンカチ。」