好きなもの嫌いなもの
#1
私の嫌いなものは、コツコツやること、分割すること、やる気を出すこと、命令されること、人の下の立場に立つこと、意味の分からないことをだらだらしゃべる人、あおられること、一番は我慢すること。
私の好きなものは、一括で全部終わらせること、ため込むこと、やる気を出さずにだらだらすること、人に命令すること、人の上の立場に立って偉そうにすること、意味の分からないことを無意味に叫ぶこと、あおること、一番は我慢せずに爆発させること。
いつでも私は、嫌いなことをあたかも「好きです」みたいにやってきた。だから舐められて、命令され、下の立場におかれ、あおられ、我慢して、だらだらといわれるわけがわからないことを聞いてきた。そうしていつしか本当の自分が何だったのか忘れてしまっていた。人に命令され、そのことを忠実に守り褒められ、時には罵倒されそれが慣れっこになってしまった。そう思っていた。
家に帰ると家族が自堕落に待っている。「飯はまだか」誰かが言う。「食器洗って」「布団たたんで」「布団ひいて」「ごはんまだ?」「掃除して」ああ、うるさいな。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。いつも心の中で唱えていた。いや叫んでいた。そんな私を置いてまた、誰かが言う。「何してんの、はやく掃除してよ」「ごはんまだー?」「布団は?」「飯」ああ、私のことなど誰も思ってくれてはいない。何度もその考えが頭をよぎった。私は無言で部屋に戻った。扉を思いっきり開く。思えばいつもは気を使ってそうっと音をださずに開けていた。そうして思いっきり閉める。「バン!」と大きい音が耳に響く、部屋に響く。その時私はとても心地よい気持ちになっていた。私は昔からものを豪快にあつかい音を立てるのが好きだった。最近はしていなかった。机を見るとカッターがおいてある。中学の時、友達に教えてもらった。「これで切ったら、らくになるんだ」あの時は不思議に思っていたが、今はわかる。あの人は昔から苦労していたんだ。私も今では手首や腕に無数の傷がある。見えているはずなのに家族は何も言ってくれない。いや、言ってほしいわけでもないが。「今日は切るのはやめにしよう」つい独り言が出てしまった。いつもは独り言などほぼ出ない。「ふふっ」つい笑ってしまった。この流れに乗って、大声で叫ぼう。「わああああ!!」・・・とても気持ちがいい。すごくすがすがしい気分だ。今の部屋は昔にはありえないほどにきっちりと整理されている。私は思った。「私もずいぶん変わったな」昔は整理なんてしなかった。ためるだけためて、汚すだけ汚して気分が変わったら全部捨てる。そんな人だった。なのに今はなんだ。人に縛られ、もてあそばれ、いいように使われる。考えるだけで腹が立ってきた。そんなときふと考えた「環境を変えればいいのでは?」私がいる、今の環境はカスだ、ゴミだ、いやそれ以下だ。変えてしまおう。なくしてしまおう。そう思ったのもつかの間。すぐに私は犯行に及んだ。
家族を全員殺した。会社を燃やした。町で暴れまわった。逃げ回った。燃やしまくった。捕まった。捕まった時、私はえもいわれない高揚感に陥っていた。私は世界をきれいにしたやり切った。そんな感情になった。時間がたつにつれその高揚感は消え。罪悪感が増えていった。それでも私は私がやったことをいいことだと思い続けた。そうしないと、私は自分が壊れていってしまうと思ったからだ。私は愚かだった。もう壊れているのに壊れていないと信じていた。いったいなんでこんなことになったんだろう。いったい誰がこんな私にしたんだろう。考えた。考えた。それはもう考えた。壊れた脳を必死に動かし考えた。答えが出た。「私だ」私が私のために壊したんだ。その答えを出したとき。世間の答えも決まっていた。死刑台に送られる。ロープを首にかけられる。宙づりになる。意識を失う。真新しい記憶が頭の中を交差した。
それは捕まったすぐ後のことだった。「はじめから自分の好きなようにしておけばよかったじゃないか。嫌いなものは嫌いと言って、好きなものだけしていればよかったじゃないか。間に合わなかったのなら我慢してずっと、嫌いなものに耐えておけばよかったじゃないか。なんでそうできなかったんだ。今までできてただろう?」中学の時の友が手錠をかけながらそう言ってきた。私は笑いながらこういった。「私は我慢が一番嫌いなんだ。」友は泣いていた。
私の好きなものは、一括で全部終わらせること、ため込むこと、やる気を出さずにだらだらすること、人に命令すること、人の上の立場に立って偉そうにすること、意味の分からないことを無意味に叫ぶこと、あおること、一番は我慢せずに爆発させること。
いつでも私は、嫌いなことをあたかも「好きです」みたいにやってきた。だから舐められて、命令され、下の立場におかれ、あおられ、我慢して、だらだらといわれるわけがわからないことを聞いてきた。そうしていつしか本当の自分が何だったのか忘れてしまっていた。人に命令され、そのことを忠実に守り褒められ、時には罵倒されそれが慣れっこになってしまった。そう思っていた。
家に帰ると家族が自堕落に待っている。「飯はまだか」誰かが言う。「食器洗って」「布団たたんで」「布団ひいて」「ごはんまだ?」「掃除して」ああ、うるさいな。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。いつも心の中で唱えていた。いや叫んでいた。そんな私を置いてまた、誰かが言う。「何してんの、はやく掃除してよ」「ごはんまだー?」「布団は?」「飯」ああ、私のことなど誰も思ってくれてはいない。何度もその考えが頭をよぎった。私は無言で部屋に戻った。扉を思いっきり開く。思えばいつもは気を使ってそうっと音をださずに開けていた。そうして思いっきり閉める。「バン!」と大きい音が耳に響く、部屋に響く。その時私はとても心地よい気持ちになっていた。私は昔からものを豪快にあつかい音を立てるのが好きだった。最近はしていなかった。机を見るとカッターがおいてある。中学の時、友達に教えてもらった。「これで切ったら、らくになるんだ」あの時は不思議に思っていたが、今はわかる。あの人は昔から苦労していたんだ。私も今では手首や腕に無数の傷がある。見えているはずなのに家族は何も言ってくれない。いや、言ってほしいわけでもないが。「今日は切るのはやめにしよう」つい独り言が出てしまった。いつもは独り言などほぼ出ない。「ふふっ」つい笑ってしまった。この流れに乗って、大声で叫ぼう。「わああああ!!」・・・とても気持ちがいい。すごくすがすがしい気分だ。今の部屋は昔にはありえないほどにきっちりと整理されている。私は思った。「私もずいぶん変わったな」昔は整理なんてしなかった。ためるだけためて、汚すだけ汚して気分が変わったら全部捨てる。そんな人だった。なのに今はなんだ。人に縛られ、もてあそばれ、いいように使われる。考えるだけで腹が立ってきた。そんなときふと考えた「環境を変えればいいのでは?」私がいる、今の環境はカスだ、ゴミだ、いやそれ以下だ。変えてしまおう。なくしてしまおう。そう思ったのもつかの間。すぐに私は犯行に及んだ。
家族を全員殺した。会社を燃やした。町で暴れまわった。逃げ回った。燃やしまくった。捕まった。捕まった時、私はえもいわれない高揚感に陥っていた。私は世界をきれいにしたやり切った。そんな感情になった。時間がたつにつれその高揚感は消え。罪悪感が増えていった。それでも私は私がやったことをいいことだと思い続けた。そうしないと、私は自分が壊れていってしまうと思ったからだ。私は愚かだった。もう壊れているのに壊れていないと信じていた。いったいなんでこんなことになったんだろう。いったい誰がこんな私にしたんだろう。考えた。考えた。それはもう考えた。壊れた脳を必死に動かし考えた。答えが出た。「私だ」私が私のために壊したんだ。その答えを出したとき。世間の答えも決まっていた。死刑台に送られる。ロープを首にかけられる。宙づりになる。意識を失う。真新しい記憶が頭の中を交差した。
それは捕まったすぐ後のことだった。「はじめから自分の好きなようにしておけばよかったじゃないか。嫌いなものは嫌いと言って、好きなものだけしていればよかったじゃないか。間に合わなかったのなら我慢してずっと、嫌いなものに耐えておけばよかったじゃないか。なんでそうできなかったんだ。今までできてただろう?」中学の時の友が手錠をかけながらそう言ってきた。私は笑いながらこういった。「私は我慢が一番嫌いなんだ。」友は泣いていた。
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