不遇水魔法使いの禁忌術式
前日の夜はいつもと何ら変わりはなかった。明日の用意を済ませてポチポチとスマホをいじり、時計の針がてっぺんを回るくらいに寝る。むしろ特異なことがなさすぎるのが怪しい、といった具合だ。何度思い返せど、それらしき予兆に思い当たることはなかった。
そして、自慢の正確な体内時計が午前7時を示したところで俺は目を覚ました。日光がまるで夜の間に溜めていたエネルギーを存分に発散するがごとく、ただ燦然と降り注いでいる。あまりの眩しさに一度開いた瞼を閉じてしまう。やはり太陽の光に起こされるのは気持ちが良い。
「ん...?太陽?」
その瞬間、とてつもない違和感が俺の背中を襲った。ベッドでは味わう事のないであろう、細かな粒が背を撫でる感触。その正体が砂であることを察するのにさほど時間はかからなかった。俺はすぐに飛び起き、目の前の光景に唖然とする。この時、自分はどんな間抜け面を世界に晒していたのだろうか。しかしそれは許してほしい。皆も一度、何の前触れもなく砂漠に放り出されるなどといった馬鹿げた状況を体験すれば、俺の気持ちもきっと分かるはずだ。
この水平線まで砂で埋め尽くされた景色は、俺の脳の処理容量を軽く超えていたようだ。辺り一面砂、砂、砂。何から考えればよいか分からない。とりあえず、夢に違いない。そうでないと、そうであってくれないと俺はここで死ぬこと請け合いだろう。取り敢えず頬をつねってみる。ただ、この行為が夢であるかどうかを確かめる方法として有効なのか訝しんでいた俺からすれば無意味な行動という他なかった。
俺が寝起きに気持ち良いなどと評した日光は、既に俺の生命維持活動を妨げつつある。容赦なく照り付けるその光はじりじりと肌を焦がし、体中から滴り落ちる汗が体内の水分が減っていることを物語っている。不幸中の幸いと言うべきか、丁度日本が夏に差し掛かる所だったので薄いTシャツと短パンという服装に安堵する。もしこの現象が起こるのが冬だったら...考えるのもおぞましい。
しかし、ここは日本ではない、よな。俺が知る砂漠と言えばサハラ砂漠だが、寝ている人間をそんなところへ飛ばせる技術は知らない。そもそもここが地球なのかも怪しいところだ。ここは異世界なのだろうか。...しかし、こんな異世界転移はあまりにも理不尽だ。もしこれを神の仕業とするならば、一つだけ世界に言いたいことがある。神はクソだ、と。
それにしてもこれは非常にまずい。三日生き延びられれば幸運だろう。実際はこの暑さだ、今日を生き抜けるのかも定かではない。しかし、何もしなくても死ぬというなら当てがなくとも歩いた方が良い。俺は腹を決め、目的地もないままこのどこまで続くかもわからない広大な砂漠を練り歩くことにした。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
...何時間経っただろう。日が水平線と重なっている。正確であったはずの体内時計は今や動いていない。正直俺の今までの体力を鑑みても、脱水症状の観点からも、もうすぐ限界が来ると考えられる。人は、そのような死に方をする際はどれほど苦しいのだろうか。できるだけ楽だと嬉しいが...。ここまで耐えただけでもかなり[漢字]頑丈[/漢字][ふりがな]タフ[/ふりがな]だと言えるのではないだろうか。死を近くに感じたからだろうか。心情とリンクしたように、体の衰弱を感じる。脚は幼い頃見た祖父のように震え、呼吸もままならない。視界は都会の風景だとさもエモーショナルになるだろうと言った風にぼやけ、ついに体は動かなくなる。うつ伏せに倒れ込む時に感じた触り心地は、ここにきて二度目だった。しかし日中に熱を存分に吸収した砂はとどめをささんとばかりに俺を焼いた。
それでも。それでも俺はもう微塵も残っていないはずの力を振り絞り、無様に地を這う。火事場の馬鹿力、だろうか。右腕を前にしてズルズルと体を引きずり、左も同じように。そうすること数分、いやまだ一分も経っていないかもしれないが、そんなことどうでもいい。進もうと奥に伸ばした右手が何か柔らかい物にぶつかる。ようやく光が見えた。顔を上げて、焦点の合わない目を必死に動かす。期待に胸が躍る。やっとの思いで合わさったピントで俺が見たものは―――
サンドワームだった。
怖いものは何もなかった。とうに死の覚悟はできていたはずなのに。否応なく悲惨な未来を想像させるそのグロテスクな見た目と、首だけでは全体も見る事の出来ないその巨大な体躯を目前にした俺の顔は、恐怖で引きつっていた。
「なんでだよッ!!せめてまともに...」
砂と同じ色をした魔物は俺が言い終わるのも待たずにこちらに顔を向け、その大きさに似合わぬ俊敏さで襲い掛かって来た。何重にも生えた歯は、一度口に入った獲物を逃すことなくすり潰していくのだろう。きっと俺を食った後も次の獲物を探して彷徨うに違いない。サンドワームからした俺は、人間の食事で言う箸で掴んだ米程度になるかどうかの食糧だ。何十メートルか先から大きく開く、赤く黒い口が迫って来る。それが[漢字]俺[/漢字][ふりがな]エサ[/ふりがな]に届くまでにあと数センチ。
「貫け」
女性の声が聞こえ、魔物の巨体が軽く左へ吹き飛ばされたのを見たところで、俺の意識はプツリと途絶えた。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
...俺はあれからどうなったのだろう。あのワームに殺されることこそなかったが、やはり死んだのだろうか。深い意識の中を、言葉が駆け巡る。家族は、俺がいなくなったら悲しむだろうか。妹は高校受験を頑張っているが、無事合格すればいいな。俺と一緒の高校に通うって言い出したのには驚いたが、それよりも嬉しかった。でも...お兄ちゃん、その願いは叶えられそうにない。ごめんな。高校生活もようやく慣れたのに。頭に浮かぶこれからの景色には、俺の姿だけが無くて。涙が頬を伝った気がした。
「大丈夫ですか...!」
声が聞こえる。
「目を覚ましてください!」
少女の声。この声の主が俺を助けようとしてくれた人なのだろうか。
「起きて、ください‼」
パッと目が開く。ずっと瞼を閉じていたからだろう。月明りでさえ眩しい。しかし、確信した。ここは俺の知る世界じゃない。月が、月の大きさが、見慣れたものよりも一回りも二回りも、いやそれ以上に大きい。双眼鏡で見ても表面の形がよく分かるのではないだろうか。月を目にして呆然としている俺を見て、少女は可愛く笑った。俺の意識が少女へと引き戻される。淡く青いサラサラの髪に金眼、幼い顔立ちをしている。恩人という贔屓目もあるかもしれないが、こんな顔の娘が学校にいたら一目惚れしていただろう。ただ、状況が状況なのでそうはならない。
「本当に、よかったです...」
見知らぬ男を助け、慈愛に満ちた表情を見せる彼女に俺は見惚れた。彼女はゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。
「本当に良かったですよ...!私の[漢字]とっておき[/漢字][ふりがな]・・・・・[/ふりがな]が無駄にならなくて!」
は?とっておき?何を言ってるんだ...?予想外の言葉に俺は動揺する。彼女は改まり、俺に向かって綺麗な所作で正座して微笑む。
「申し遅れました。サーシャ・ウォーテルと申します。あなたは?」
「[漢字]水城 海[/漢字][ふりがな]みずしろ かい[/ふりがな]、です」
「カイ様ですね。これから、よろしくお願いします」
「よ、よろしく...」
これが俺と水魔法使いのサーシャの出会いだった。
そして、自慢の正確な体内時計が午前7時を示したところで俺は目を覚ました。日光がまるで夜の間に溜めていたエネルギーを存分に発散するがごとく、ただ燦然と降り注いでいる。あまりの眩しさに一度開いた瞼を閉じてしまう。やはり太陽の光に起こされるのは気持ちが良い。
「ん...?太陽?」
その瞬間、とてつもない違和感が俺の背中を襲った。ベッドでは味わう事のないであろう、細かな粒が背を撫でる感触。その正体が砂であることを察するのにさほど時間はかからなかった。俺はすぐに飛び起き、目の前の光景に唖然とする。この時、自分はどんな間抜け面を世界に晒していたのだろうか。しかしそれは許してほしい。皆も一度、何の前触れもなく砂漠に放り出されるなどといった馬鹿げた状況を体験すれば、俺の気持ちもきっと分かるはずだ。
この水平線まで砂で埋め尽くされた景色は、俺の脳の処理容量を軽く超えていたようだ。辺り一面砂、砂、砂。何から考えればよいか分からない。とりあえず、夢に違いない。そうでないと、そうであってくれないと俺はここで死ぬこと請け合いだろう。取り敢えず頬をつねってみる。ただ、この行為が夢であるかどうかを確かめる方法として有効なのか訝しんでいた俺からすれば無意味な行動という他なかった。
俺が寝起きに気持ち良いなどと評した日光は、既に俺の生命維持活動を妨げつつある。容赦なく照り付けるその光はじりじりと肌を焦がし、体中から滴り落ちる汗が体内の水分が減っていることを物語っている。不幸中の幸いと言うべきか、丁度日本が夏に差し掛かる所だったので薄いTシャツと短パンという服装に安堵する。もしこの現象が起こるのが冬だったら...考えるのもおぞましい。
しかし、ここは日本ではない、よな。俺が知る砂漠と言えばサハラ砂漠だが、寝ている人間をそんなところへ飛ばせる技術は知らない。そもそもここが地球なのかも怪しいところだ。ここは異世界なのだろうか。...しかし、こんな異世界転移はあまりにも理不尽だ。もしこれを神の仕業とするならば、一つだけ世界に言いたいことがある。神はクソだ、と。
それにしてもこれは非常にまずい。三日生き延びられれば幸運だろう。実際はこの暑さだ、今日を生き抜けるのかも定かではない。しかし、何もしなくても死ぬというなら当てがなくとも歩いた方が良い。俺は腹を決め、目的地もないままこのどこまで続くかもわからない広大な砂漠を練り歩くことにした。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
...何時間経っただろう。日が水平線と重なっている。正確であったはずの体内時計は今や動いていない。正直俺の今までの体力を鑑みても、脱水症状の観点からも、もうすぐ限界が来ると考えられる。人は、そのような死に方をする際はどれほど苦しいのだろうか。できるだけ楽だと嬉しいが...。ここまで耐えただけでもかなり[漢字]頑丈[/漢字][ふりがな]タフ[/ふりがな]だと言えるのではないだろうか。死を近くに感じたからだろうか。心情とリンクしたように、体の衰弱を感じる。脚は幼い頃見た祖父のように震え、呼吸もままならない。視界は都会の風景だとさもエモーショナルになるだろうと言った風にぼやけ、ついに体は動かなくなる。うつ伏せに倒れ込む時に感じた触り心地は、ここにきて二度目だった。しかし日中に熱を存分に吸収した砂はとどめをささんとばかりに俺を焼いた。
それでも。それでも俺はもう微塵も残っていないはずの力を振り絞り、無様に地を這う。火事場の馬鹿力、だろうか。右腕を前にしてズルズルと体を引きずり、左も同じように。そうすること数分、いやまだ一分も経っていないかもしれないが、そんなことどうでもいい。進もうと奥に伸ばした右手が何か柔らかい物にぶつかる。ようやく光が見えた。顔を上げて、焦点の合わない目を必死に動かす。期待に胸が躍る。やっとの思いで合わさったピントで俺が見たものは―――
サンドワームだった。
怖いものは何もなかった。とうに死の覚悟はできていたはずなのに。否応なく悲惨な未来を想像させるそのグロテスクな見た目と、首だけでは全体も見る事の出来ないその巨大な体躯を目前にした俺の顔は、恐怖で引きつっていた。
「なんでだよッ!!せめてまともに...」
砂と同じ色をした魔物は俺が言い終わるのも待たずにこちらに顔を向け、その大きさに似合わぬ俊敏さで襲い掛かって来た。何重にも生えた歯は、一度口に入った獲物を逃すことなくすり潰していくのだろう。きっと俺を食った後も次の獲物を探して彷徨うに違いない。サンドワームからした俺は、人間の食事で言う箸で掴んだ米程度になるかどうかの食糧だ。何十メートルか先から大きく開く、赤く黒い口が迫って来る。それが[漢字]俺[/漢字][ふりがな]エサ[/ふりがな]に届くまでにあと数センチ。
「貫け」
女性の声が聞こえ、魔物の巨体が軽く左へ吹き飛ばされたのを見たところで、俺の意識はプツリと途絶えた。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
...俺はあれからどうなったのだろう。あのワームに殺されることこそなかったが、やはり死んだのだろうか。深い意識の中を、言葉が駆け巡る。家族は、俺がいなくなったら悲しむだろうか。妹は高校受験を頑張っているが、無事合格すればいいな。俺と一緒の高校に通うって言い出したのには驚いたが、それよりも嬉しかった。でも...お兄ちゃん、その願いは叶えられそうにない。ごめんな。高校生活もようやく慣れたのに。頭に浮かぶこれからの景色には、俺の姿だけが無くて。涙が頬を伝った気がした。
「大丈夫ですか...!」
声が聞こえる。
「目を覚ましてください!」
少女の声。この声の主が俺を助けようとしてくれた人なのだろうか。
「起きて、ください‼」
パッと目が開く。ずっと瞼を閉じていたからだろう。月明りでさえ眩しい。しかし、確信した。ここは俺の知る世界じゃない。月が、月の大きさが、見慣れたものよりも一回りも二回りも、いやそれ以上に大きい。双眼鏡で見ても表面の形がよく分かるのではないだろうか。月を目にして呆然としている俺を見て、少女は可愛く笑った。俺の意識が少女へと引き戻される。淡く青いサラサラの髪に金眼、幼い顔立ちをしている。恩人という贔屓目もあるかもしれないが、こんな顔の娘が学校にいたら一目惚れしていただろう。ただ、状況が状況なのでそうはならない。
「本当に、よかったです...」
見知らぬ男を助け、慈愛に満ちた表情を見せる彼女に俺は見惚れた。彼女はゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。
「本当に良かったですよ...!私の[漢字]とっておき[/漢字][ふりがな]・・・・・[/ふりがな]が無駄にならなくて!」
は?とっておき?何を言ってるんだ...?予想外の言葉に俺は動揺する。彼女は改まり、俺に向かって綺麗な所作で正座して微笑む。
「申し遅れました。サーシャ・ウォーテルと申します。あなたは?」
「[漢字]水城 海[/漢字][ふりがな]みずしろ かい[/ふりがな]、です」
「カイ様ですね。これから、よろしくお願いします」
「よ、よろしく...」
これが俺と水魔法使いのサーシャの出会いだった。