二次創作
個人的に好きな楽曲を小説化してみた
ここは、屋上。
柵に身を預け、ゆっくりとあたりを見渡す。
耳に届くのは、車の走る音。楽しげな人々の声。
これまでの毎日を思い返す。
「もし、今、前に倒れたら……」
ふと、体が軽くなる気がした。
「誰にも気づかれずに、このまま…… そしたら、きっと……」
このあと響く音は、決して心地よいものではないだろう。
――これは、私が作った架空の話です。
しかし今、実際にこのような苦しい状況に立たされている人がいる。これは、紛れもない事実です。
なぜ、人はここまで追い詰められてしまうのでしょうか。
その理由のひとつに、「普通」の存在があるのではないかと、私は思います。
「普通」とは、何でしょう?
少しだけ、考えてみてください。
障害がないこと?
性別が「男」か「女」であること?
何でも人並みにこなせること?
きっと、今これを読んでいる皆さんが、それぞれ違ったことを思い浮かべたはずです。
どれも、大切な考えです。そして、それは決して否定されるものではありません。
どうか、その考えを、大事にしてください。
そのうえで、私という一人の人間が導き出した答えがあります。
それは「普通なんて、ない」ということです。
「問いの答えになっていないじゃないか」と思う方もいるかもしれません。
それもまた、正しいと思います。
私は、「普通とは何か」という問いに、はっきりと答えることはできませんでした。
けれど、それでも私は、心からそう思うのです。
「普通なんて、ない」と。
「普通」について考えるために、まずその意味を調べてみました。
出てきた言葉は、「一般的」「当たり前」「通常」。
「特別ではない」「周りと変わらない」「平均的」などもあります。
あまりに多いので、今回はこのくらいにしておきますね。
そして、ここからは少しだけ、私の視点で話を進めさせていただきます。
「一般的」「当たり前」「通常」――
私は、そもそもこれらが「本当に存在するのだろうか?」と感じてしまいます。
「特別ではない」「周りと変わらない」――
でも、「特別」って何でしょう? 「周り」って、どこまでの誰を指すのでしょう?
そして、「平均的」。
これは数値で表せるものについてなら、わかります。
たとえば、テストの点数の平均。身長や体重の平均。
けれど、「普通の人間」なんて、数値で測れるでしょうか?
人の性格や生き方は、数値化できません。
だから私は、数値で測れない「普通」を、平均で説明することは無理だと考えるのです。
うまく説明ができないときは、前提を疑う。
これは、私が大切にしている考え方のひとつです。
今回の前提、「普通は存在するものだ」
まずは、そこから疑ってみましょう。
ここからは、「普通じゃない」「変人」と言われてきた私自身の体験を交えて、お話しします。
私が「普通じゃない」と言われる理由としては、どうやら、マイペースすぎるとか、動きが遅いとか、思考がよく分からないとか……そういったことがあるようです。
正直、私自身にはあまりピンときていませんが。
マイペースすぎる?
じゃあ、「ちょうどいいマイペース」って何? 誰と比べての話?
そもそも、人はみんな、多かれ少なかれマイペースな部分を持っていると思いませんか?
動きが遅い?
そんなの、人それぞれじゃない?
「普通の速さ」って何ですか? 誰がどうやって決めるの?
思考がよく分からない?
私には私の思考があるし、あなたにはあなたの思考がある。
他人の考えが完璧に分からないのは、むしろ自然なことだと思います。
「普通の思考」をしている人同士なら、ちゃんと分かり合えるって?
……そんな単純な話じゃないですよね。
ただ、今の世の中に「普通」が〈まったく存在しない〉とは言い切れないとも思います。
なぜなら、周りから「普通であること」を求められる場面が、確かにあるからです。
でも、それでも私は、「普通」になる必要なんてない、と強く思っています。
私は「普通」じゃないからこそ、「私」なのです。
そして実際に、私は「普通」じゃなかったからこそ、志望校に合格できたし、今、楽しく充実した日々を送ることができています。
「普通」じゃなかったからこそ、自分に合った環境と出会い、幸せな日常を手に入れることができたのです。
もちろん、苦しい時期もありました。
むしろ、苦しかった時間の方が長かったかもしれません。
「変人」「問題児」――そんなレッテルを貼られて、
「普通」になることを求められて、
「普通」になりたくて、でもなれなくて。
「普通」じゃないから、いじめられて、
「普通」じゃない、そのままの自分を、誰にも認めてもらえなくて。
そんなときでも、
自分を認めてくれる“かもしれない”存在が、ひとつだけあります。
それは――自分自身です。
誰にも認めてもらえないと感じるときこそ、
せめて、自分だけは、自分を認めてあげてほしいんです。
……でも、それが簡単じゃないことも、よくわかります。
誰かに否定された自分を、肯定するのは難しい。
自分を責める気持ちの方が強くなることだって、あると思います。
だからこそ、少しずつでいいんです。
無理をせず、自分のペースで、自分を認めてあげてください。
どんなにゆっくりでも、自分に「それでいいよ」と言えるようになったら……
その瞬間から、どんなときでも味方がひとり、あなたのそばにいることになります。
そしてその次に、
“そのままの自分”を認めてくれる人、場所、組織――
そんな居場所を、ゆっくりと探していってほしいと思います。
もちろん、それも無理のない、自分のペースで。
最後に、ひとつだけ伝えさせてください。
~あなたは、独りじゃない~
……これは、よくある言葉ですよね。
たくさんの場面で見聞きする、ありきたりで、きれいごとのように思える言葉かもしれません。
でも私は、それでもこの言葉を伝えたい。
綺麗事なんかではなくて、本当に、心からそう思っているからです。
~あなたは、独りじゃない~
今は苦しいかもしれない。
辛くて、誰にも頼れないと感じるかもしれない。
「自分は独りだ」と思ってしまう日も、きっとある。
もう消えてしまいたい……そんなふうに思ってしまう日だって、あると思います。
でも――
いつか、きっと、あなたの居場所は見つかります。
だから、どうか、生きていてほしい。
嫌なことからは、逃げてもいい。
現実逃避したって、全然かまわない。
自分を認められなくてもいい。
自分を否定してしまう、そんな自分のままでも、大丈夫です。
~いつか、幸せになれるように~
辛いときは、とにかく、「楽に」生きてください。
それで、本当に、十分なのです。
柵に身を預け、ゆっくりとあたりを見渡す。
耳に届くのは、車の走る音。楽しげな人々の声。
これまでの毎日を思い返す。
「もし、今、前に倒れたら……」
ふと、体が軽くなる気がした。
「誰にも気づかれずに、このまま…… そしたら、きっと……」
このあと響く音は、決して心地よいものではないだろう。
――これは、私が作った架空の話です。
しかし今、実際にこのような苦しい状況に立たされている人がいる。これは、紛れもない事実です。
なぜ、人はここまで追い詰められてしまうのでしょうか。
その理由のひとつに、「普通」の存在があるのではないかと、私は思います。
「普通」とは、何でしょう?
少しだけ、考えてみてください。
障害がないこと?
性別が「男」か「女」であること?
何でも人並みにこなせること?
きっと、今これを読んでいる皆さんが、それぞれ違ったことを思い浮かべたはずです。
どれも、大切な考えです。そして、それは決して否定されるものではありません。
どうか、その考えを、大事にしてください。
そのうえで、私という一人の人間が導き出した答えがあります。
それは「普通なんて、ない」ということです。
「問いの答えになっていないじゃないか」と思う方もいるかもしれません。
それもまた、正しいと思います。
私は、「普通とは何か」という問いに、はっきりと答えることはできませんでした。
けれど、それでも私は、心からそう思うのです。
「普通なんて、ない」と。
「普通」について考えるために、まずその意味を調べてみました。
出てきた言葉は、「一般的」「当たり前」「通常」。
「特別ではない」「周りと変わらない」「平均的」などもあります。
あまりに多いので、今回はこのくらいにしておきますね。
そして、ここからは少しだけ、私の視点で話を進めさせていただきます。
「一般的」「当たり前」「通常」――
私は、そもそもこれらが「本当に存在するのだろうか?」と感じてしまいます。
「特別ではない」「周りと変わらない」――
でも、「特別」って何でしょう? 「周り」って、どこまでの誰を指すのでしょう?
そして、「平均的」。
これは数値で表せるものについてなら、わかります。
たとえば、テストの点数の平均。身長や体重の平均。
けれど、「普通の人間」なんて、数値で測れるでしょうか?
人の性格や生き方は、数値化できません。
だから私は、数値で測れない「普通」を、平均で説明することは無理だと考えるのです。
うまく説明ができないときは、前提を疑う。
これは、私が大切にしている考え方のひとつです。
今回の前提、「普通は存在するものだ」
まずは、そこから疑ってみましょう。
ここからは、「普通じゃない」「変人」と言われてきた私自身の体験を交えて、お話しします。
私が「普通じゃない」と言われる理由としては、どうやら、マイペースすぎるとか、動きが遅いとか、思考がよく分からないとか……そういったことがあるようです。
正直、私自身にはあまりピンときていませんが。
マイペースすぎる?
じゃあ、「ちょうどいいマイペース」って何? 誰と比べての話?
そもそも、人はみんな、多かれ少なかれマイペースな部分を持っていると思いませんか?
動きが遅い?
そんなの、人それぞれじゃない?
「普通の速さ」って何ですか? 誰がどうやって決めるの?
思考がよく分からない?
私には私の思考があるし、あなたにはあなたの思考がある。
他人の考えが完璧に分からないのは、むしろ自然なことだと思います。
「普通の思考」をしている人同士なら、ちゃんと分かり合えるって?
……そんな単純な話じゃないですよね。
ただ、今の世の中に「普通」が〈まったく存在しない〉とは言い切れないとも思います。
なぜなら、周りから「普通であること」を求められる場面が、確かにあるからです。
でも、それでも私は、「普通」になる必要なんてない、と強く思っています。
私は「普通」じゃないからこそ、「私」なのです。
そして実際に、私は「普通」じゃなかったからこそ、志望校に合格できたし、今、楽しく充実した日々を送ることができています。
「普通」じゃなかったからこそ、自分に合った環境と出会い、幸せな日常を手に入れることができたのです。
もちろん、苦しい時期もありました。
むしろ、苦しかった時間の方が長かったかもしれません。
「変人」「問題児」――そんなレッテルを貼られて、
「普通」になることを求められて、
「普通」になりたくて、でもなれなくて。
「普通」じゃないから、いじめられて、
「普通」じゃない、そのままの自分を、誰にも認めてもらえなくて。
そんなときでも、
自分を認めてくれる“かもしれない”存在が、ひとつだけあります。
それは――自分自身です。
誰にも認めてもらえないと感じるときこそ、
せめて、自分だけは、自分を認めてあげてほしいんです。
……でも、それが簡単じゃないことも、よくわかります。
誰かに否定された自分を、肯定するのは難しい。
自分を責める気持ちの方が強くなることだって、あると思います。
だからこそ、少しずつでいいんです。
無理をせず、自分のペースで、自分を認めてあげてください。
どんなにゆっくりでも、自分に「それでいいよ」と言えるようになったら……
その瞬間から、どんなときでも味方がひとり、あなたのそばにいることになります。
そしてその次に、
“そのままの自分”を認めてくれる人、場所、組織――
そんな居場所を、ゆっくりと探していってほしいと思います。
もちろん、それも無理のない、自分のペースで。
最後に、ひとつだけ伝えさせてください。
~あなたは、独りじゃない~
……これは、よくある言葉ですよね。
たくさんの場面で見聞きする、ありきたりで、きれいごとのように思える言葉かもしれません。
でも私は、それでもこの言葉を伝えたい。
綺麗事なんかではなくて、本当に、心からそう思っているからです。
~あなたは、独りじゃない~
今は苦しいかもしれない。
辛くて、誰にも頼れないと感じるかもしれない。
「自分は独りだ」と思ってしまう日も、きっとある。
もう消えてしまいたい……そんなふうに思ってしまう日だって、あると思います。
でも――
いつか、きっと、あなたの居場所は見つかります。
だから、どうか、生きていてほしい。
嫌なことからは、逃げてもいい。
現実逃避したって、全然かまわない。
自分を認められなくてもいい。
自分を否定してしまう、そんな自分のままでも、大丈夫です。
~いつか、幸せになれるように~
辛いときは、とにかく、「楽に」生きてください。
それで、本当に、十分なのです。