- 閲覧前にご確認ください -

フィクション

文字サイズ変更

黒色鉛筆

#3


ガラガラやかましく話す汽車の中で、私はただ一人、向かいの席と見合っていた。さらり流れる窓の景色は、電線がつらなり、向こうの山が見えるほどのどかであった。袋に詰められた蜜柑はぎゅうと抱きしめても、振動に耐えれずふるふる震えている。
そういえば、この帰郷はたった今日思い立って、何も考えずにしたことだ。この蜜柑も、本来は冬にこたつでだらだらと食べるために買った。つまりは、本当ならいつでも手に届くほどのことで、それ故私は傲り数十年も言い訳をして、故郷を心から遠ざけていた。
英二の思い出話を思い出すと、自分の不甲斐なさや、すっかりあの頃とは変わってしまった心境に驚く。もう故郷での思い出は思い出せない。何があったかも、殆ど忘れてしまった。だが、ずっとそこから出たがっていたことはなんとなく思い出せる。
今こうして電車に揺られると、不思議と後悔は過ぎ去ってゆく。それより、故郷への想いが膨らみ、希望が待っている様に感じた。
ふと窓に目をやってみると、まだのどかな山々は続いている。故郷はここより近郊にあって、子供の遠足程に近く、もうすぐの所にあった。
時計を見ると、乗った時よりうんと時が進んでいた。今日から待ち遠しくなった故郷は、同じ場所にずっとあった筈なのに、何故か初めて降り立つ地の様に新しく見えた。舗装されていない土の道、火をつけられ焦げた様な色の木造の家、そして、どすんと立った電柱、全て何一つ変わっていなかった。それなのに私は、それが前よりも愛おしく見えた。
汽車から降りて、しっかり踏み締めると同時に前を見ると、やはり故郷があった。都会より空は高く見えた。
私は実家へ向かうために、道を辿った。不思議と、思い出せなかった筈の思い出が蘇ってくる。メンコをした道だとか、菓子をこぼして殴られた道だとか。
だがそれらももう、思い出せても所詮はぼんやりしている。
そうこうしていると家の前についたが、何故か扉を叩こうとする手がすくむ。数十年も、ほったらかしにしていた我が家だ。もう、忘れていたのに、思い出したらこうして我儘を言う、そんな酷いやつには、私でも会いたくない。
だが、手で叩くよりも先に、扉が開いた。
そこにいたのは、母だった。少し年老いていたが、確かにそうだった。母はゆっくり口を開いた。
「えぇと、どなたさんでしたっけ。」
母のその一言で、私は何処か突き落とされた感じがした。ゴトッと心の中で音がし、私は気づくとゆっくり後ろへずさりと下がっていた。
一瞬、家を間違えたんじゃないかと思い、表札を見ても、そこは私と同じ苗字で、間違いなかった。
「あの、どうされましたか。」
気づくと私は逃げる様にして去っていた。
優しかった母の言葉の数々が浮かぶ。あの頃の母はもう居ないのだなと、ようやく気づいた頃には、既に日は沈んでいた。
人はいつか忘れるものとは分かっていても、それが受け入れられない。いや、もしかすると、忘れているのではなくて、分からなかっただけでは無いだろうか。あり得る話だが、それはそれで悲しい。
何処にも行く宛てなど消えてしまったが、もう歩くしか道は無いかと思った。
袋に詰めた蜜柑を駅のベンチに置き、手紙を書いた。
『私は荻野忠弘というものです。どなたか、これを見かけた方は、これを荻野という表札の家に届けて下さい。』
切符をまた買い、私は故郷を感じる間もなく帰ることにした。
そういえば故郷へ行く時、英二は私に対して、たくさん喜び、悲しんでくれた。それなのに私は見えないふりをして、それを返そうとしなかった。
列車が走る頃、友人はどんな顔をしていただろうか。
もうそれを考える頃には、手を振っていた彼は居ないのに。悲しくて目を背けていた背後を、今になって後悔した。

このボタンは廃止予定です

2024/11/05 22:20

とく ID:≫rpogrXYE/lXYc
小説を編集
/ 3

コメント
[0]

小説通報フォーム

お名前
(任意)
Mailアドレス
(任意)

※入力した場合は確認メールが自動返信されます
違反の種類 ※必須 ※ご自分の小説の削除依頼はできません。
違反内容、削除を依頼したい理由など※必須

盗作されたと思われる作品のタイトル

※できるだけ具体的に記入してください。
特に盗作投稿については、どういった部分が元作品と類似しているかを具体的にお伝え下さい。

《記入例》
・3ページ目の『~~』という箇所に、禁止されているグロ描写が含まれていました
・「〇〇」という作品の盗作と思われます。登場人物の名前を変えているだけで●●というストーリーや××という設定が同じ
…等

備考欄
※伝言などありましたらこちらへ記入
メールフォーム規約」に同意して送信しますか?※必須
小説のタイトル
小説のURL