世界に溢れる夢
[中央寄せ]・・・[/中央寄せ]
ノイトとリーリャは取り敢えず、状況整理をすることにした。
「え〜っと...まずはあっちで魔神と戦ってたよね?」
「うん。」
「それで、その後魔神に殴られて気を失って...気がついたらここに居た、と。」
「そうだね。」
「どうして...?向こうで死んだらこっちに戻ってくるタイプ...幻覚とか走馬灯じゃないよね...?」
「あ...ほら、ちゃんと触れるよ。」
リーリャはノイトと自分の手を重ねて見せる。それを見てノイトも頷いた。
「一応、これが今の現実ってことで一旦置いといて...これからどうする?まだ魔神との戦いは終わってないけど。」
「戻らないとメルクとかルミナスとかが大変かも...何とか戻れない?」
「ん〜...【[漢字]時憶の指針[/漢字][ふりがな]トオクノハリ[/ふりがな]】は向こうで落としちゃったからな...。マジックバッグも、さっきフィルさんのぬいぐるみで休んでた時に隣に置いちゃったよ...。」
今の2人には、自力で転生後の世界に戻る術がないようだった。そこでリーリャが違和感に気がつく。
「...あれ?...そう言えば、さっきから全然音が聞こえない...人も居ないし、バスも止まってないよ?ここ、駅だよね...?」
「あっ、確かに...!昼頃だから[漢字]人気[/漢字][ふりがな]ひとけ[/ふりがな]がただ少ないだけだと思ってたけど...公共交通機関の音までしないのはちょっと変だね...。ん?でも、人が居なかったら乗り物も動かない......いや、そもそもそれがおかしんだな。風で木が揺れる音は聞こえるし、日差しも暖かい...春か夏っぽいね。向こうでは冬だったけど。」
「...ねぇ、今すぐに戻るのはちょっと難しそうだし、どこか行かない?この世界でも、思い出はたくさんあるでしょ?」
「...そうだね。帰る方法を探りつつ、ついでにまだ戻ってない分の記憶も思い出せそうなら思い出そう。」
「分かった!」
2人は階段を降りて道の上を歩き出した。辺りを眺めながらゆっくりと歩いていき、途中で左に曲がる。
「ノイト、そこに向かってるの?」
「学校。そこに人が居なければ“この世界には人が居ない”って言えるでしょ?本来なら休日や祝日でも出勤してる教職員が居るはずだし、長期休暇中だったとしても街に人が居ないのはおかしい。」
「ふ〜ん...そんなこと言って、本当は寂しいんでしょ?青春時代を過ごした大事な思い出の場所だもんね〜?」
「ふふっ...まぁね。」
数分程歩いた所で、ノイトの学校に辿り着いた。
「へぇ〜、ここがノイトが通ってた学校?私が通ってた学校よりも立派だねぇ〜!」
「設備も充実してるよ。合宿所もあるし、講堂もある。」
「すごっ!」
「私立だからね〜。」
「中学受験したってこと?すごいね...!」
「合格最低点を死守しただけだよ。」
2人は話しながら校舎の中へと入っていき、下駄箱を見る。外履きや上履きも入っておらず、誰かの置き傘もない。生徒が描いたポスターなどもなく、がらんとした空間が広がっている。廃校のようになってしまった、一応母校(卒業出来ていない)の様子を見て、ノイトの目には一瞬寂しさが映る。
(あぁ...そうだ......思い出した。僕はよく、あの場所で...。)
ノイトは靴のまま廊下へと上がり、どこかへと歩き出した。リーリャもそれに続く。
「どこ行くの?」
「教室。あと、音楽室も。」
階段で3階まで上がり、窓の外を見ながらノイトに着いていったリーリャは、途中でノイトがある教室に入っていったことに気が付き、窓側の席に座っていたノイトの元へと歩いていった。教室が暗いせいかノイトは少し逆光になっていて、窓の外に広がる絶景が映えている。
「わぁ...!! すご〜いっ!!ノイト、いつもこんなに良い景色みてたの〜?羨ましい〜!」
「あはは...この景色にはよくお世話になったよ...。」
リーリャはノイトが座っている席の前に座り、ノイトと向かい合った。自分を見てにこりと笑っているリーリャの顔を向けられて、ノイトの心臓が一瞬跳ねた。
「...どうしたの?」
「ふふっ...あのね、私ね──。」
「...やっぱり良いや。」
「えぇ〜、そこまで言われたら続きが気になっちゃうんだけどぉ...?」
リーリャは主導権を握ることが出来ていて喜んでいる。最近はリーリャの方がノイトより一枚上手だ。その事実を悔しく感じると同時に嬉しくも感じるノイトは、しばらく経ってから席を立った。
「次は...音楽室、だったっけ?」
「うん。着いてきて。」
教室を出る時に一瞬振り返り、がらんとした空間が視界に映る。物寂しさを感じたが、リーリャはノイトの背中を追った。
さらに階段を上がって4階の廊下に出た後、1番奥の部屋まで歩き、その扉を開ける。中に入ったノイトは窓が開けると、外から風が入ってきてカーテンが靡いた。リーリャはノイトがピアノの前の窓を開けたことから、ノイトがやろうとしていることを察する。
「...ノイ、ト......。もしかして...弾けるの?」
「そっか...ルミナとリュミエは僕がピアノ弾けるってことをゲデニスの能力かなんかで知ったらしいけど......。リーリャは聞いてなかったのか。まぁ、せっかくだし......それじゃあ、リーリャが初めてだ。」
ノイトは椅子に腰を下ろし、指を鍵盤へと乗せた。そして、ノイトはリーリャと初めて出会った時の、あの曲を演奏し始める。
[水平線]
──練習曲 作品10第3番 ホ長調 / フレデリック・フランソワ・ショパン
[水平線]
一段落したところでノイトが指を離した。リーリャは立ち上がったノイトの横顔を見て頬を桜色に染める。
「...すごいね、ノイトは。本当に......。」
「ありがとう。器用貧乏だけどね...一応何かあったときに役に立てるくらいの余裕は持ちたかったんだよ、前世の僕は。」
「...ねぇ、ノイト。カノン弾ける?」
「え...まぁ、サビの右手パートだけなら...。」
「コードは?」
「辛うじて理解はしてるけど...。」
「じゃあ、連弾しよ。」
「え...?」
リーリャがノイトを再びピアノの椅子に座らせてその隣に自身も腰を下ろす。
「さん、はい!」
ノイトは唐突な連弾を持ちかけられて困惑したが、リーリャの音に合わせて数オクターブ低い音の鍵を押す。やがて追走パートが始まり、ノイトがズラしてリーリャの演奏を追うように旋律を奏でていった。
(ノイト...もぉ、やれば出来るんじゃん...!...すごく、楽しい!!)
リーリャが奏でる旋律の音が増え、流れるようなメロディが絶え間なく滑らかに繋がっていく。今のノイトにはそれに合わせるだけの技量がないが、それでもリ演奏の雰囲気を際立たせようと[漢字]aug[/漢字][ふりがな]オーギュメント[/ふりがな]の和音を追加した。一瞬だけだが、曲に浮遊感が生まれる。夢見心地で演奏する2人は、この世界で2人だけの[漢字]連弾[/漢字][ふりがな]じかん[/ふりがな]を楽しんでいた。
そして長い連弾が終わり、2人は顔を見合わせた。
「ノイト、すっごく良かったよ!」
「リーリャの方こそ。今まで以上に近くで聞けたし、その分リーリャのこともちょっと分かったよ。」
「ホント...?じゃあ、私の名前は何でしょうか!」
(え...?リーリャの名前は......そうか、“リーリャ”は愛称だったな...。前世での名前は確か...樟本、とか言ってたっけ...?メルとの会話を少し聞いただけだから覚えてねー...。)
「...ごめん、それは分からない......。」
「ノイトの、嘘つき...。」
「...ごめん。」
「...って、私が言うとでも思った?」
「...?」
リーリャはノイトの顔を覗き込むようにして言葉を続ける。
「いくらノイトでも、流石に知らないものは知らないでしょ?それはしょうがないことだと思うよ〜。ノイトがどんな反応するか気になって、ちょっと意地悪しちゃっただけ。だから、私の方こそごめんね。」
「からかってた、ってこと...?」
「まあね〜。...ふふっ......もしかして、効いちゃったのぉ?」
リーリャは悪戯な笑みを浮かべてノイトを煽った。しかし、ノイトは微笑み、リーリャが期待していた反応とはまた別の反応をする。
「あぁ〜、クリティカルヒットだよ。」
ノイトのカウンターはリーリャには冷や水だった。不意を打たれたリーリャは一瞬ノイトの言葉に堕ちたが、すぐに正気に戻ってノイトの肩を軽く押す。
「もぉ...そういう所だよ、ノイトは。」
「えへへ...僕はカウンターだけは強いからね。...さてと、そろそろご飯でも食べに行こうか。僕も色々思い出したし、この場所にはもう用はないよ。」
「...もう良いの?大事な場所なんでしょ?」
立ち上がったノイトはリーリャの方を振り返って少しだけ黙った。リーリャが首を傾げる様子を見てふっと笑う。
「そうだった、もう一つ思い出したよ。リーリャ、屋上行こ。」
ノイトに連れられて屋上へと上がったリーリャは、暖かい日差しを感じて太陽の方を見て目を軽く眇めた。
「ここが、僕のこの場所でのもう一つの大事なところ。昼休みとか放課後はよくここに居たよ。」
「昼寝...?」
「うん、程よく眠れるし静かで落ち着くんだよ。」
「そっか......ちょっとだけお昼寝してく?」
「いや、やめておこう。向こうに戻れなくなっちゃいそうだしね。よし、それじゃあ今度こそ。」
ノイトとリーリャは階段を下りて校舎外へと出た。ノイトは振り返らずに敷地を出て、街の中へと歩いていく。リーリャはノイトと並んで進み、もう学校には戻らなかった。
さらに数分程街の中を歩いていると、ノイトがある建物へと入っていった。図書館である。
「あれ...?ノイト、ご飯食べに行くって言ってなかったっけ?ここって図書館だよね...。」
「この図書館、中にカフェがあるんだよ。あっちの世界の大書庫よりも施設は充実してるし、せっかくこっちに戻ってこれたんだったら言っておきたいと思ってね。まぁ...実際、ここに居る時間の方が長かったし思い出に残ってる。」
「あの学校よりも...?だったらこの図書館もすごいのかな...?」
「設備は学校の方が上だけど、どんな場所でも長く時間を過ごすとそこが一つの居場所になるからね。」
ノイトの後に続いて図書館に入ったリーリャの視界には広いエントランスとカウンターが映る。
「え...!? 何ここ、高級ホテル?いや、図書館だとしても広すぎない!? 国立図書館とかそういうレベルなんじゃ......。」
「量では学校、質では図書室...と言ったところかな。カフェはこっち。」
カウンターの向かって左に進んで奥の方まで進むと、そこには小さなカフェの内装のような空間が広がっていた。室内であるにも関わらず木が植えられており、見上げると2階席もある。
「えぇ...ショッピングモールじゃない...これ?」
「アオダモの木だよ。花言葉は、“幸福な日々” “未来の憧れ”。この場所にピッタリだと思う。」
「アオダモの木......すごく高いね!」
ここにピアノが置いてあれば最高の空間であると感じたリーリャだったが、流石に図書館の中には置かれていなかった。
ノイトがカフェのカウンターの奥へと入っていき、冷蔵庫の中を確認する。中には主菜が作れる程の材料が入っていなかった。
「あぁ...なかったか...。しゃーない、買いに行こう!」
ノイトはリーリャを連れて近くのスーパーに材料を買いに行く。
「ノイト、何を変えば良いの?」
「え〜っと、ステーキ用の牛もも肉とミニトマトと...あればベビーリーフ。あとは塩こしょうにサラダ油に醤油、みりん。それとバルサミコ酢。」
「ステーキ!! とバルサ...何?」
「バルサミコ酢、っていうお酢があるんだよ。ポリフェノール豊富で身体にも良い。ちょっと高いけど...この世界ならセーフでしょ。」
「ん〜、まぁ...そうだね。みりんも大丈夫?」
「みりん風調味料で代用しようか。みりんは一応アルコールだし避けられるなら避けておきたい。」
スーパーに入ると、冷房が効いていた。誰も居ないのにも関わらず、冷蔵品コーナーなども機能していて、少し電気が勿体ない。しかしそのお陰で肉は傷んでいなかった。
「ノイト、あったよ〜!」
「お、じゃあカゴに入れておいて〜。」
2人は静かなスーパーの中で材料を集め、最低限必要なものは手に入れた。
「よし、これで全部だね!あとはどうする?」
「パンも買っていこうか。デザートはあのカフェの機械で作れるよ。」
「やった〜!アイス〜!!」
これもカルネアデスの舟板だと言い聞かせながらスーパーを出て、2人は図書館へと戻りながら街を見渡す。
「やっぱり他に誰も居ないんだね...。静かなのは良いけど、ちょっと変な感じ。」
「そうだね...この世界で2人きりの生活も悪くないけど、それどころじゃなかった...。今のところあっちに戻れそうな手がかりもないし、取り敢えずご飯ご飯。」
図書館のカフェエリアに戻ってきた2人は奥のキッチンへと入る。
「ノイト、何作るの〜?やっぱりステーキ?」
「うん。向こうでは材料が全然揃わなかったしお金もなかったから作れなかったけど、たまには贅沢したいよね。」
ノイトはガスコンロに火をつける。ちゃんと火が付いた。ガスはまだ通っていたようだ。
「リーリャ、お肉に塩こしょうをかけておいてくれる?」
「は〜い!こしょう少々...。」
ノイトは切っておいたミニトマトとベビーリーフを和え、その間に手を洗い終わったリーリャに次の指示をする。
「次はソースだね。鍋にバルサミコ酢とみりん風調味料と醤油を全部大さじ一杯入れて、中火にかけて。」
「分かった!」
ノイトはサラダ油を入れたフライパンに牛ステーキ肉を入れて両面を焼く。焼き終わった後にスーパーで買っておいたアルミホイルで包んで粗熱を取る。
「ん?何でアルミホイルなの?」
「アルミホイルの方が熱伝導率は高いから良い意味で冷めやすいし、乾燥も防げるんだよ。」
「へぇ〜...ノイトって物知りだね!私のことはあんまり分かってなかったけど。」
「あ、まだ引きずってた...。」
粗熱を取り終えた肉を切り、キッチンにあった皿に盛り付ける。リーリャはノイトがミニトマトとベビーリーフを和えたものを盛り付けた後でバルサミコソースをかけ、表へと運んでいった。席に座って待つリーリャにフォークと自動おしぼり機から取り出したおしぼりを渡す。
「よし、それじゃあ食べようか。いただきま〜す。」
「いただきま〜す!」
口に運ばれた肉を噛むと肉汁が溢れ出して旨味が口の中に広がった。
「ん〜! 美味しい〜♡」
「上手く作れて良かったよ...。あ、そうだ...カンパーニュも買ってあるから一緒に食べな〜。」
ノイトから受け取ったパンを口にし、リーリャは満足そうな表情を浮かべた。
「やっぱりステーキとパンは合うねぇ〜。」
「なら良かったよ。」
2人は牛ステーキのサラダプレートを食べ終え、デザートにアイスを食べる。アイスクリームメーカーで作ったばかりのアイスはまだ冷たくて美味しかった。
「食後のデザート最高...!」
「やっぱ時代はアイスだね〜!!」
昼食を取り終えた2人はカフェエリアを後にし、エントランスの向かって右側のエリアへと向かった。
「こっちがメインだよ。この図書館はとにかくたくさん本があるから、僕の知的好奇心を満たすには十分だったな...。」
「どんな本読んでたの?」
「哲学がメインだったかな...心理学とか修辞学もちょっとかじったけど、やっぱり僕には哲学が1番。」
「哲学専攻って感じ?この図書館の中でも結構目立ってたんじゃない?」
「あはは...そうかもしれない。だけど、僕だけじゃないと思うよ。昔、僕と同じようにこの図書館によく来ていた人が居てね。哲学にも興味がありそうで、ちょっとだけ話したことあるんだよ。」
「へぇ〜、どんな人なの?」
「悲観的な視点や批判的な視点でものを見ることが出来ていてね。僕よりも少し歳上の女の人だった。僕よりも愛想が悪くて友達が少なさそうな感じ。」
「そっか......その人も、居なくなっちゃったのかな...?」
「......ある意味では、そうかもね。だけど、また話せるから大丈夫だよ。あの人の思想は真っすぐで面白いからね、また哲学について話したい。歴史は苦手だけど。」
「ふふっ...ノイトにも苦手なものがあるんだね?」
「そりゃあもちろん。女性トラブルと斧足類と腹足類は今でも避けたいね。まぁ、それは良いや。......あっ。」
ノイトはふと思い出した。前世での自分の名前も、前世で自分がよく座っていた席の位置も、前世で幼少期に出来た大事な友達のことも。
「どうしたの...?」
「...いや、何でもないよ。僕はもう、色々思い出せたし良いかな。次はリーリャが行きたいところに行こう。」
「お〜、やった!それじゃあ、あっち!! コンサートホールの方!」
「コンサートホール...そっか、リーリャの思い出の場所...ピアノのコンクールがあったんだっけ...。」
暖かい日差しが見守る街の中を、ノイトはリーリャに手を引かれながらコンサートホールの方へと歩いていった。
ノイトとリーリャは取り敢えず、状況整理をすることにした。
「え〜っと...まずはあっちで魔神と戦ってたよね?」
「うん。」
「それで、その後魔神に殴られて気を失って...気がついたらここに居た、と。」
「そうだね。」
「どうして...?向こうで死んだらこっちに戻ってくるタイプ...幻覚とか走馬灯じゃないよね...?」
「あ...ほら、ちゃんと触れるよ。」
リーリャはノイトと自分の手を重ねて見せる。それを見てノイトも頷いた。
「一応、これが今の現実ってことで一旦置いといて...これからどうする?まだ魔神との戦いは終わってないけど。」
「戻らないとメルクとかルミナスとかが大変かも...何とか戻れない?」
「ん〜...【[漢字]時憶の指針[/漢字][ふりがな]トオクノハリ[/ふりがな]】は向こうで落としちゃったからな...。マジックバッグも、さっきフィルさんのぬいぐるみで休んでた時に隣に置いちゃったよ...。」
今の2人には、自力で転生後の世界に戻る術がないようだった。そこでリーリャが違和感に気がつく。
「...あれ?...そう言えば、さっきから全然音が聞こえない...人も居ないし、バスも止まってないよ?ここ、駅だよね...?」
「あっ、確かに...!昼頃だから[漢字]人気[/漢字][ふりがな]ひとけ[/ふりがな]がただ少ないだけだと思ってたけど...公共交通機関の音までしないのはちょっと変だね...。ん?でも、人が居なかったら乗り物も動かない......いや、そもそもそれがおかしんだな。風で木が揺れる音は聞こえるし、日差しも暖かい...春か夏っぽいね。向こうでは冬だったけど。」
「...ねぇ、今すぐに戻るのはちょっと難しそうだし、どこか行かない?この世界でも、思い出はたくさんあるでしょ?」
「...そうだね。帰る方法を探りつつ、ついでにまだ戻ってない分の記憶も思い出せそうなら思い出そう。」
「分かった!」
2人は階段を降りて道の上を歩き出した。辺りを眺めながらゆっくりと歩いていき、途中で左に曲がる。
「ノイト、そこに向かってるの?」
「学校。そこに人が居なければ“この世界には人が居ない”って言えるでしょ?本来なら休日や祝日でも出勤してる教職員が居るはずだし、長期休暇中だったとしても街に人が居ないのはおかしい。」
「ふ〜ん...そんなこと言って、本当は寂しいんでしょ?青春時代を過ごした大事な思い出の場所だもんね〜?」
「ふふっ...まぁね。」
数分程歩いた所で、ノイトの学校に辿り着いた。
「へぇ〜、ここがノイトが通ってた学校?私が通ってた学校よりも立派だねぇ〜!」
「設備も充実してるよ。合宿所もあるし、講堂もある。」
「すごっ!」
「私立だからね〜。」
「中学受験したってこと?すごいね...!」
「合格最低点を死守しただけだよ。」
2人は話しながら校舎の中へと入っていき、下駄箱を見る。外履きや上履きも入っておらず、誰かの置き傘もない。生徒が描いたポスターなどもなく、がらんとした空間が広がっている。廃校のようになってしまった、一応母校(卒業出来ていない)の様子を見て、ノイトの目には一瞬寂しさが映る。
(あぁ...そうだ......思い出した。僕はよく、あの場所で...。)
ノイトは靴のまま廊下へと上がり、どこかへと歩き出した。リーリャもそれに続く。
「どこ行くの?」
「教室。あと、音楽室も。」
階段で3階まで上がり、窓の外を見ながらノイトに着いていったリーリャは、途中でノイトがある教室に入っていったことに気が付き、窓側の席に座っていたノイトの元へと歩いていった。教室が暗いせいかノイトは少し逆光になっていて、窓の外に広がる絶景が映えている。
「わぁ...!! すご〜いっ!!ノイト、いつもこんなに良い景色みてたの〜?羨ましい〜!」
「あはは...この景色にはよくお世話になったよ...。」
リーリャはノイトが座っている席の前に座り、ノイトと向かい合った。自分を見てにこりと笑っているリーリャの顔を向けられて、ノイトの心臓が一瞬跳ねた。
「...どうしたの?」
「ふふっ...あのね、私ね──。」
「...やっぱり良いや。」
「えぇ〜、そこまで言われたら続きが気になっちゃうんだけどぉ...?」
リーリャは主導権を握ることが出来ていて喜んでいる。最近はリーリャの方がノイトより一枚上手だ。その事実を悔しく感じると同時に嬉しくも感じるノイトは、しばらく経ってから席を立った。
「次は...音楽室、だったっけ?」
「うん。着いてきて。」
教室を出る時に一瞬振り返り、がらんとした空間が視界に映る。物寂しさを感じたが、リーリャはノイトの背中を追った。
さらに階段を上がって4階の廊下に出た後、1番奥の部屋まで歩き、その扉を開ける。中に入ったノイトは窓が開けると、外から風が入ってきてカーテンが靡いた。リーリャはノイトがピアノの前の窓を開けたことから、ノイトがやろうとしていることを察する。
「...ノイ、ト......。もしかして...弾けるの?」
「そっか...ルミナとリュミエは僕がピアノ弾けるってことをゲデニスの能力かなんかで知ったらしいけど......。リーリャは聞いてなかったのか。まぁ、せっかくだし......それじゃあ、リーリャが初めてだ。」
ノイトは椅子に腰を下ろし、指を鍵盤へと乗せた。そして、ノイトはリーリャと初めて出会った時の、あの曲を演奏し始める。
[水平線]
──練習曲 作品10第3番 ホ長調 / フレデリック・フランソワ・ショパン
[水平線]
一段落したところでノイトが指を離した。リーリャは立ち上がったノイトの横顔を見て頬を桜色に染める。
「...すごいね、ノイトは。本当に......。」
「ありがとう。器用貧乏だけどね...一応何かあったときに役に立てるくらいの余裕は持ちたかったんだよ、前世の僕は。」
「...ねぇ、ノイト。カノン弾ける?」
「え...まぁ、サビの右手パートだけなら...。」
「コードは?」
「辛うじて理解はしてるけど...。」
「じゃあ、連弾しよ。」
「え...?」
リーリャがノイトを再びピアノの椅子に座らせてその隣に自身も腰を下ろす。
「さん、はい!」
ノイトは唐突な連弾を持ちかけられて困惑したが、リーリャの音に合わせて数オクターブ低い音の鍵を押す。やがて追走パートが始まり、ノイトがズラしてリーリャの演奏を追うように旋律を奏でていった。
(ノイト...もぉ、やれば出来るんじゃん...!...すごく、楽しい!!)
リーリャが奏でる旋律の音が増え、流れるようなメロディが絶え間なく滑らかに繋がっていく。今のノイトにはそれに合わせるだけの技量がないが、それでもリ演奏の雰囲気を際立たせようと[漢字]aug[/漢字][ふりがな]オーギュメント[/ふりがな]の和音を追加した。一瞬だけだが、曲に浮遊感が生まれる。夢見心地で演奏する2人は、この世界で2人だけの[漢字]連弾[/漢字][ふりがな]じかん[/ふりがな]を楽しんでいた。
そして長い連弾が終わり、2人は顔を見合わせた。
「ノイト、すっごく良かったよ!」
「リーリャの方こそ。今まで以上に近くで聞けたし、その分リーリャのこともちょっと分かったよ。」
「ホント...?じゃあ、私の名前は何でしょうか!」
(え...?リーリャの名前は......そうか、“リーリャ”は愛称だったな...。前世での名前は確か...樟本、とか言ってたっけ...?メルとの会話を少し聞いただけだから覚えてねー...。)
「...ごめん、それは分からない......。」
「ノイトの、嘘つき...。」
「...ごめん。」
「...って、私が言うとでも思った?」
「...?」
リーリャはノイトの顔を覗き込むようにして言葉を続ける。
「いくらノイトでも、流石に知らないものは知らないでしょ?それはしょうがないことだと思うよ〜。ノイトがどんな反応するか気になって、ちょっと意地悪しちゃっただけ。だから、私の方こそごめんね。」
「からかってた、ってこと...?」
「まあね〜。...ふふっ......もしかして、効いちゃったのぉ?」
リーリャは悪戯な笑みを浮かべてノイトを煽った。しかし、ノイトは微笑み、リーリャが期待していた反応とはまた別の反応をする。
「あぁ〜、クリティカルヒットだよ。」
ノイトのカウンターはリーリャには冷や水だった。不意を打たれたリーリャは一瞬ノイトの言葉に堕ちたが、すぐに正気に戻ってノイトの肩を軽く押す。
「もぉ...そういう所だよ、ノイトは。」
「えへへ...僕はカウンターだけは強いからね。...さてと、そろそろご飯でも食べに行こうか。僕も色々思い出したし、この場所にはもう用はないよ。」
「...もう良いの?大事な場所なんでしょ?」
立ち上がったノイトはリーリャの方を振り返って少しだけ黙った。リーリャが首を傾げる様子を見てふっと笑う。
「そうだった、もう一つ思い出したよ。リーリャ、屋上行こ。」
ノイトに連れられて屋上へと上がったリーリャは、暖かい日差しを感じて太陽の方を見て目を軽く眇めた。
「ここが、僕のこの場所でのもう一つの大事なところ。昼休みとか放課後はよくここに居たよ。」
「昼寝...?」
「うん、程よく眠れるし静かで落ち着くんだよ。」
「そっか......ちょっとだけお昼寝してく?」
「いや、やめておこう。向こうに戻れなくなっちゃいそうだしね。よし、それじゃあ今度こそ。」
ノイトとリーリャは階段を下りて校舎外へと出た。ノイトは振り返らずに敷地を出て、街の中へと歩いていく。リーリャはノイトと並んで進み、もう学校には戻らなかった。
さらに数分程街の中を歩いていると、ノイトがある建物へと入っていった。図書館である。
「あれ...?ノイト、ご飯食べに行くって言ってなかったっけ?ここって図書館だよね...。」
「この図書館、中にカフェがあるんだよ。あっちの世界の大書庫よりも施設は充実してるし、せっかくこっちに戻ってこれたんだったら言っておきたいと思ってね。まぁ...実際、ここに居る時間の方が長かったし思い出に残ってる。」
「あの学校よりも...?だったらこの図書館もすごいのかな...?」
「設備は学校の方が上だけど、どんな場所でも長く時間を過ごすとそこが一つの居場所になるからね。」
ノイトの後に続いて図書館に入ったリーリャの視界には広いエントランスとカウンターが映る。
「え...!? 何ここ、高級ホテル?いや、図書館だとしても広すぎない!? 国立図書館とかそういうレベルなんじゃ......。」
「量では学校、質では図書室...と言ったところかな。カフェはこっち。」
カウンターの向かって左に進んで奥の方まで進むと、そこには小さなカフェの内装のような空間が広がっていた。室内であるにも関わらず木が植えられており、見上げると2階席もある。
「えぇ...ショッピングモールじゃない...これ?」
「アオダモの木だよ。花言葉は、“幸福な日々” “未来の憧れ”。この場所にピッタリだと思う。」
「アオダモの木......すごく高いね!」
ここにピアノが置いてあれば最高の空間であると感じたリーリャだったが、流石に図書館の中には置かれていなかった。
ノイトがカフェのカウンターの奥へと入っていき、冷蔵庫の中を確認する。中には主菜が作れる程の材料が入っていなかった。
「あぁ...なかったか...。しゃーない、買いに行こう!」
ノイトはリーリャを連れて近くのスーパーに材料を買いに行く。
「ノイト、何を変えば良いの?」
「え〜っと、ステーキ用の牛もも肉とミニトマトと...あればベビーリーフ。あとは塩こしょうにサラダ油に醤油、みりん。それとバルサミコ酢。」
「ステーキ!! とバルサ...何?」
「バルサミコ酢、っていうお酢があるんだよ。ポリフェノール豊富で身体にも良い。ちょっと高いけど...この世界ならセーフでしょ。」
「ん〜、まぁ...そうだね。みりんも大丈夫?」
「みりん風調味料で代用しようか。みりんは一応アルコールだし避けられるなら避けておきたい。」
スーパーに入ると、冷房が効いていた。誰も居ないのにも関わらず、冷蔵品コーナーなども機能していて、少し電気が勿体ない。しかしそのお陰で肉は傷んでいなかった。
「ノイト、あったよ〜!」
「お、じゃあカゴに入れておいて〜。」
2人は静かなスーパーの中で材料を集め、最低限必要なものは手に入れた。
「よし、これで全部だね!あとはどうする?」
「パンも買っていこうか。デザートはあのカフェの機械で作れるよ。」
「やった〜!アイス〜!!」
これもカルネアデスの舟板だと言い聞かせながらスーパーを出て、2人は図書館へと戻りながら街を見渡す。
「やっぱり他に誰も居ないんだね...。静かなのは良いけど、ちょっと変な感じ。」
「そうだね...この世界で2人きりの生活も悪くないけど、それどころじゃなかった...。今のところあっちに戻れそうな手がかりもないし、取り敢えずご飯ご飯。」
図書館のカフェエリアに戻ってきた2人は奥のキッチンへと入る。
「ノイト、何作るの〜?やっぱりステーキ?」
「うん。向こうでは材料が全然揃わなかったしお金もなかったから作れなかったけど、たまには贅沢したいよね。」
ノイトはガスコンロに火をつける。ちゃんと火が付いた。ガスはまだ通っていたようだ。
「リーリャ、お肉に塩こしょうをかけておいてくれる?」
「は〜い!こしょう少々...。」
ノイトは切っておいたミニトマトとベビーリーフを和え、その間に手を洗い終わったリーリャに次の指示をする。
「次はソースだね。鍋にバルサミコ酢とみりん風調味料と醤油を全部大さじ一杯入れて、中火にかけて。」
「分かった!」
ノイトはサラダ油を入れたフライパンに牛ステーキ肉を入れて両面を焼く。焼き終わった後にスーパーで買っておいたアルミホイルで包んで粗熱を取る。
「ん?何でアルミホイルなの?」
「アルミホイルの方が熱伝導率は高いから良い意味で冷めやすいし、乾燥も防げるんだよ。」
「へぇ〜...ノイトって物知りだね!私のことはあんまり分かってなかったけど。」
「あ、まだ引きずってた...。」
粗熱を取り終えた肉を切り、キッチンにあった皿に盛り付ける。リーリャはノイトがミニトマトとベビーリーフを和えたものを盛り付けた後でバルサミコソースをかけ、表へと運んでいった。席に座って待つリーリャにフォークと自動おしぼり機から取り出したおしぼりを渡す。
「よし、それじゃあ食べようか。いただきま〜す。」
「いただきま〜す!」
口に運ばれた肉を噛むと肉汁が溢れ出して旨味が口の中に広がった。
「ん〜! 美味しい〜♡」
「上手く作れて良かったよ...。あ、そうだ...カンパーニュも買ってあるから一緒に食べな〜。」
ノイトから受け取ったパンを口にし、リーリャは満足そうな表情を浮かべた。
「やっぱりステーキとパンは合うねぇ〜。」
「なら良かったよ。」
2人は牛ステーキのサラダプレートを食べ終え、デザートにアイスを食べる。アイスクリームメーカーで作ったばかりのアイスはまだ冷たくて美味しかった。
「食後のデザート最高...!」
「やっぱ時代はアイスだね〜!!」
昼食を取り終えた2人はカフェエリアを後にし、エントランスの向かって右側のエリアへと向かった。
「こっちがメインだよ。この図書館はとにかくたくさん本があるから、僕の知的好奇心を満たすには十分だったな...。」
「どんな本読んでたの?」
「哲学がメインだったかな...心理学とか修辞学もちょっとかじったけど、やっぱり僕には哲学が1番。」
「哲学専攻って感じ?この図書館の中でも結構目立ってたんじゃない?」
「あはは...そうかもしれない。だけど、僕だけじゃないと思うよ。昔、僕と同じようにこの図書館によく来ていた人が居てね。哲学にも興味がありそうで、ちょっとだけ話したことあるんだよ。」
「へぇ〜、どんな人なの?」
「悲観的な視点や批判的な視点でものを見ることが出来ていてね。僕よりも少し歳上の女の人だった。僕よりも愛想が悪くて友達が少なさそうな感じ。」
「そっか......その人も、居なくなっちゃったのかな...?」
「......ある意味では、そうかもね。だけど、また話せるから大丈夫だよ。あの人の思想は真っすぐで面白いからね、また哲学について話したい。歴史は苦手だけど。」
「ふふっ...ノイトにも苦手なものがあるんだね?」
「そりゃあもちろん。女性トラブルと斧足類と腹足類は今でも避けたいね。まぁ、それは良いや。......あっ。」
ノイトはふと思い出した。前世での自分の名前も、前世で自分がよく座っていた席の位置も、前世で幼少期に出来た大事な友達のことも。
「どうしたの...?」
「...いや、何でもないよ。僕はもう、色々思い出せたし良いかな。次はリーリャが行きたいところに行こう。」
「お〜、やった!それじゃあ、あっち!! コンサートホールの方!」
「コンサートホール...そっか、リーリャの思い出の場所...ピアノのコンクールがあったんだっけ...。」
暖かい日差しが見守る街の中を、ノイトはリーリャに手を引かれながらコンサートホールの方へと歩いていった。