「あれ？なんであの人が…！」
彼を見た瞬間、私の心臓は大きく跳ね上がった。体や頭に、血が巡る感覚と言えばいいだろうか。それだと少し怖いような感じがするが、ともかく、彼を見つけた刹那から、私の体には大きな緊張が襲った。
「ど、どうしよう」
今の本音を言えば、店に入って、彼と話をしてしまいたい。それであわよくば…というのは欲張りすぎだが、せめて名前だけでも、聞いてしまいたい。
しかしその一方で、さっき会ったばかりなのに喫茶店でも会うというのは、少し気持ちが悪いような気がする。彼が私に対して「ストーカーかな？」なんて印象を抱く可能性だって少なからずある。
どうすれば良いんだろうか。偶然を装って入ってみるのも手だが、それはそれで変人と思われる可能性もある。私が彼だったらそう思う。
「どうすれば良いんだろう…？」
店の前で悶々と悩み数秒間。私は暑さと緊張のせいで、脳がやられかけていた。
「うぅ……普通に涼みたいな」
熱中症なりかけ状態の私。彼の事を考える気力も体力も無くなってきて、しまいには店に行く目的が涼むためになりかけていた。
「はぁ、入ろうか」
ぎらぎらとした暑さと緊張で、人としての正気を失いそうになる中。私はとうとう耐えられなくなり、喫茶店へと足を踏み入れた。

[水平線]
「こんにちは…」
喫茶店のドアを開けると、涼しい空気が体を包む。体と脳は冷静さを取り戻したようで、店内を観察する余裕は出てきた。
客は意外と少ないようで、彼を除いてみれば、居るのは四人か五人。昼時だからもっと多いかと思ったが、あまりそうではないようだ。
控えめに聞こえてくるジャズに耳を傾けていると、すぐにウェイターがやってきた。
「ええ、一人です」
「分かりました。ではこちらのお席へどうぞ」
案内された席は、青年と近い所だった。彼は読書に集中しているようで、まだこちらには気付いていないらしい。今は集中しているみたいだし、とりあえず、声をかけないでおこう。後で読書をやめた時にでも声をかけられれば、それで良い。
「こちらメニュー表でございます」
先程のウェイターさんからもらったメニュー表。とりあえず見てみるが、そこにあるのはカフェでは定番のメニューばかりだった。陳腐だと言いたい訳ではなく、安心感があるということ。
とりあえず、さっきの暑さが完全に消えた訳では無いし、私は無難にアイスコーヒーを頼んだ。
「……」
珈琲が来る間、私は彼の方をチラチラと見る。だが彼はそれに気付いていないようで、まだまだ本の世界に浸っているようだった。
「そんなに面白い本なのかな」
思わず口から漏れ出た言葉。後で彼と話せたら、作品名を聞いてみようと、そう思えた。まぁ、彼と話せるなんて保証は特に無いのだが。
「お待たせいたしました、コーヒーです」
「あぁ、ありがとうございます」
珈琲は意外と早く来た。店員さんは少し焦っているようで、珈琲をテーブルに置くと、そそくさと厨房かどこかに行ってしまった。
「忙しいな……」
ウェイターも大変だと思いつつ、私はアイスコーヒーを頂いた。味は特に変わってるという訳でもなく、ただただ安心感のある定番の味がした。
「……」
そして、私が珈琲よりも気にしなければいけないもの。彼はまだ読書を続けているらしい。私が彼の方を向いても、全く気付いてくれやしない。もはや、わざと無視されているのかと錯覚してしまう程だった。
「いやまぁ、分かるけどさ……」
私も本を読む事はしょっちゅうある。確かに、自分好みの小説だったりすると、あれほどのめり込んでしまってもおかしくはない。だがしかし、この状況では、人間の集中力がいくらか煩わしく感じてしまう。
「はぁ…」
珈琲を一口飲んだ後、私は二つの意味でため息を吐いた。