スノードロップ、そしてマリーゴールドへ
「用意、はいっ」
掛け声とともに先輩の間合いへ走り込む。
ワンチャンを懸けて頭辺りに木刀を振る。が、まあ避けられる。
「(リーチはこっちの方が広い。背後を取られなきゃそう簡単には詰められないはず)」
ビュンッガガンッ
先輩の蹴りを間一髪で受け止め、再び木刀を脳天に振り下ろす。
ビュッパシッ
「あっ」
振り下ろした木刀が先輩の手に掴まれる。
瞬間、俺の手から木刀がすり抜けた。
突然軽くなった両手が身体全体のバランスを崩す。
「まだ終わってないよ」
と、足元から木刀が風を斬る音が聞こえた。
まだバランスの取れていない身体で咄嗟にバク宙をして躱す。
「っ…!」
「お、よく今の体制から避けたね」
耳元で声が聞こえ、反射的に構えの体制を取ろうとするが、それよりも早く木の硬い感触が首に触れた。
「ハイ死んだ」
「クソ…」
脱力した勢いで、その場に寝転がる。
「うわっ」
眩しい。太陽にかざした手がほんのり赤く光る。
青く澄んだ空が綺麗だ。
「一般人にしては上々だよ。準二、三級相手なら戦えそうだね」
初夏の逆光を受けて浮かび上がったシルエットが、隣に片膝を立てて座る。
「…先輩、強かったです」
「ははっ、君相手に負けてたら私は何度か死んでるしな」
「うわひっど、先輩」寝転がっていた体を起こし、笑い混じりに言う。
「事実ですー」先輩もいたずらっぽく言い返した。
会話が途切れる。
空が綺麗だ。
「俺も…[漢字]先輩みたいに[/漢字][ふりがな]・・・・・・[/ふりがな]なれますか?」
「…んー…」
珍しく先輩の考え込むような声がこぼれた。
こちらに頭を傾けているせいか、絹糸のように流れた前髪が先輩の目元を隠している。
いつものへらへらとした笑顔とは違う、笑っているのに何処か寂しそうな口元が、妙に俺の心をざわつかせる。
「…これは持論だけどね」
先輩が、深い夜空のような瞳を、髪の間から一瞬だけ覗かせる。
「[漢字]呪術師[/漢字][ふりがな]この仕事[/ふりがな]に奇跡は起きない。私みたいに生きるなら、希望なんてものは抱けない」
「私はいつも最悪だけを想定して動くんだ。どうせ期待しても踏みにじられるからね」
別に、覚えておけとは言わないけどさー、なんて困ったように笑う。
「…?」
この時の俺には、先輩が言った言葉の意味がよく理解できなかった。
今では、痛いほどよく分かってしまうその言葉の意味が。
「…ま、最近はそうでも無いけどね。まず君と会ったのも、大分奇跡だし」
と、いつものへらへら顔でこちらを見る。
「君といると、なーんか期待しちゃうんだよな」
そう言って笑った顔が一瞬、泣き出しそうなくらい歪んだように見えて、思わず俺は無責任にこう言った。
「別に、…良いんじゃないですか?期待しても」
[中央寄せ]*[/中央寄せ]
「君といると、なーんか期待しちゃうんだよな」
ポロリとこぼれた本音。
面倒だったかな、と誤魔化そうとした時。
「別に、…良いんじゃないですか?期待しても」
「え…」
予想外の返答に少し目を見開く。
何すかソレ、とか言って呆れられるかと思ったのに。
「だって、何にも期待しないで生きるとか、そーゆーの、俺は楽しくないと思う」
「九条先輩っていつも笑ってるけど、なんかこう…」
「いつも…何となく寂しそうで…」
「楽しくて笑ってるとかじゃなくて。…先輩は…"自分を誤魔化すために笑ってる"、気がする」
「そっ、か…」
…そうなのかもしれない。
だって、笑ってりゃ、楽しいんだなって脳が錯覚する。
辛いとか、悲しいとか、寂しいとかは、嫌いだから。
笑っていれば辛くもないし、悲しくも寂しくもないじゃんって。
「…別に、先輩を否定する訳じゃないです。でも、少しくらい期待しても、希望もっても、俺は良いと思います」
私を真っ直ぐに見つめるその瞳が、眼差しが、少し前まで一端の高校生だったとは思えないほどの強さと優しさを秘めていた。
久しぶりに向けられた眼差しに、思わず涙が零れそうになってしまう。バレたくないから、空を見る。
「………ははっ、そっか。そうだよな」
やめておけ、と。
私の過去が語りかける。
「じゃあさ…」
だって、[漢字]それ[/漢字][ふりがな]・・[/ふりがな]は呪いになる。
「私は"君"に期待するよ」
このボタンは廃止予定です