伏せる
デジャヴだった。同じような気持ちがあった。本当は分かっていたのかも知れない。「2ー4」という看板を見たときに、心の奥底では願っていたのかもしれない。分かっていたのかもしれない。今となっては分からないけれど。「あの子」がいると本当は分かっていたのかもしれない。
ーー雨が降っている。ポツポツと何かを垂れ流すように。キイキイと金属を引っ掻くような耳障りなーーー音。暗いようで明るいような白昼夢の中に私はーーいる。昼か夜かわからない。夜であって欲しい。昼は明るいようで暗いからーー。暴力的で熱をもった光の中で1人でいるのは辛いからーー怖いから。人工的に造られたような部屋の中に私はイル。人工的といっても障子が壁に張り巡らされていて、床は畳。普通は落ち着きそうな場所だけど、普段なら熱がほんのりと伝わりそうな畳が冷たい。障子も光を通さない。灰色と白の油絵具で塗りたくったような障子。触れるとそれらが水のように押しつぶされて垂れてきて、私も汚れてしまうような怖さで開けられずにいる。時計がカチカチと音を立てる。こんな部屋でも時間は経つ。焦る気持ちを押すように、時計の秒針が巡る。開けてみようかーー開けないほうがいいのかーー時計が、音をたてる。オカシイナア。時計なんて壁に掛かっていないのに。他の部屋から音が漏れているのだろうか。いや、それにしては音が近すぎる。自分の背中に時計が付けられている気がする。違和感なんて背中にないのに。変に冷静な自分がいる。ぼんやりとしか考えられないけれど、目の前のことをどうすれば良いのかは、頭が働く、考えられる。障子を睨む。時計がなる。どこにもない時計の音だけが存在している。障子を睨む。オトガナルーー。「あっ開いた。」
思わず声が出る。無機質な白い和紙が視界から消える。代わりに誰かの白いつま先が目の前にーーあった。トゥーシューズのような白いつま先ーー。既視感が体にこびりつく。
顔も見ていないのに分かる。はっきりと感じる。ーーー「あの子」ーナノダ。ゆっくりと視線を上に向ける。足、胴体、そしてーーカオ?本来ならば首の上に顔があるはずなのだが、白い首の上にあるものはーーーナニモナカッタ。ノダ。
その瞬間顔だけが無いあの子の手が目の前に迫った。私の首をむんずと掴む。足がバタバタと交互に揺れる。こんなときでも刺激を与えると自分の体は反応する。雨がポタポタと染みをつくる。ブランコのようにキイキイと音をたてる。息がーーできない。酸素が体の中から出ていく。それでも雨はーー続いている。
ーーー夢だった。狐につままれたようだと思った。さっきの夢のように酸素が出ていく。ハアハアと掠れた息が溢れていく。目を開けるとテトがこちらを見下ろしていた。窓辺に置いていたテトはいつのまにか前屈みになっている。それを直してやったあと、ガラスに挟まれた外を見た。現実でも雨が降っていた。
窓にできた水滴が、何度も列をつくって滑り落ちていく。朝の薄暗い光と反射して、テトの顔に涙の痕をつくる。ーー嫌いだ。唐突にそう思った。嫌いだ。ーー雨はー嫌いだ。美しいと思うときもある。でもそれは私の機嫌がいい時で、感情が昂っているときに物事を綺麗と感じる。それは普通だろう。だけど、雨が降った日の朝は髪がパサパサする。毎日完璧でいたいために繕った努力が無駄になる。その日の時間の使い方のマニュアルが崩れていく。「雨は恵みの雨。植物を育てて、虹をつくってくれるんだよ。」幼稚園の先生がそう言っていた。確かに私達は雨がなければ生きられない。だけどーーー大人はなぜ子供が嫌いだと言うことに過剰に反応するんだろうか。嫌いだと言った人参やグリーンピースもその野菜より栄養がとれるものは、沢山あるのに。「ちゃんと食べなさい。」と押し付け、口を開けさせる。我ながらわがままだとは思うけれど、子供の頃、雨が嫌いで傘をわざと忘れたことも、レインコートを駄々をこねて着たがらなかったことも、母にこっぴどく叱られた。それは風邪をひくから、などの単純な理由ではなく、大人の言うことはちゃんと聞かせないといけない。新しい反抗の芽はちゃんと摘み取らないといけないという、執念の塊のようなものを感じたのだと思う。でなければ逆に、嫌いな雨に濡れないよう傘やレインコートをしっかりと握りしめていたと今では思う。私は根本的に雨を嫌っていたのではなく、そんな大人への反抗心が雨へと向いたのだろう。そのくせ、子供に美しく綺麗なものを信じ込ませようとする。私が母に、「お母さん。夕日は明るくて綺麗で楽しい気持ちになるね。」と笑顔で語りかけたとき、母は、「寂しくて悲しいものよね。」と淡々と言った。大人に、何があったのだろう。ーー「痛っ」考え事をしていたせいか、ブラシでとかしすぎた髪が悲鳴をあげている。やっぱりーー雨は嫌いだ。自分で気づかないうちに、そっと唇が動く。雨の日はいつのまにか口ずさんでいる詩がある。「六月の雨」その詩は国語の授業で知ったもので、数少ない私のお気に入りリストに綴られた。中原中也という詩人で、まあまあ有名な人だった。もうすっかり記憶してしまった言葉を呪文のように口に出した。
またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらはれて 消えてゆく
たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる
お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます
お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでゐれば 雨が降る
櫺子の外に 雨が降る
気持ちが落ち着いた。この詩は私の精神安定剤なのかもしれない。
リズムも良くて、いつのまにか声に出しているーー中毒性がある詩なのだ。
ーーでも、そろそろ学校に行かなければならない。あの子が待つあの教室に、あの眩しい笑顔に溶かされそうになりながら友達ごっこを続けるのだ。もしかしたらあの子の方も私の嫌悪感と敵意を受け取っているのかもしれない。でも、それが分かっていてもギリギリの綱渡りをする不思議な関係。でも、私は繕うのが上手いからそんなこと気づいていないのだろう。変なところで鈍感で、何も気づいてくれない。隅から隅まであの子はずるいのだ。制服のリボンをきっちり結んで、鏡を見つめて、上から下まで自分の品定め。自分からOKがでたら部屋のドアを開ける。それから階段をつたって、玄関まで。母がいるリビングが視界にはいる。母は背中を向けている。艶めくマグカップを片手に、一点を見つめている。私のーー私達の家は、なぜかひとつも音が出ていない。水道の水がつたう音も、テレビのやかましい音も。母の息遣いまでも。なんの音も出なかった。普通の家が立てそうな模範的な音さえも存在していなくて、寂しいを通り越して不気味な家に、私も背を向けた。母と同じように。鍵を開ける。ドアの分厚い板に仕組まれている機械仕掛けに鍵を差し込む。金属の触れ合う音がする。たったひとつの音だけが悪目立ちして空間にぽっかりと浮いていた。「行ってきます。」なるべく小さく声をあげる。軽くドアを後ろにやる。玄関が見えなくなっていく。それでも私の「行ってきます」に誰も答えてくれなかった。今日も母は「行ってらっしゃい」を言ってくれなかった。完全にドアが閉まり玄関の姿は私の目から消え失せた。最後まで私達家族の間に会話はなかった。いつものことなのに胸が苦しい。制服に皺が寄るくらいに服を握りしめていた。どうして私だけ、こんなに物事に気を使わないといけないのだろうか。あっちは私の動作や日常に興味がないのに。どうでもいいのに。どうして私だけーーどうして私だけが、あなたのことでこんなに一喜一憂しているのでしょうか。そんなのーーずるいじゃないか。
学校まではあっという間だった。いつも脳に記憶されている道を辿るだけで、いつの間にか目的地へついている。灰色の人間達の間を縫ってたどり着いた箱庭。(教室)にはあの子の方が先に着いていた。あの子が笑顔で私に語りかけている。「あっ〇〇ちゃんおはよう!」ーー元気で能天気な声だね。随分とーー「おはよう。いつも早いねーー!」心の声と発している声では、全く正反対だ。「今日も〇〇はなんかきっちりしてるよねーー!」「本当だよ。いつも髪に寝癖ついてないしさあ。羨ましいよねーー!」その他大勢のモブも会話に加わる。助かった。一対一の会話なんて疲れるだけだから。たくさんの瞳が私のことを見つめている。男女構わず、誰とも仲良くできるという私のことをみんな見ている。それは私ではないのにな。ーーなんの接点もないのにふと、今日見た夢を思い出した。畳の時計が響く部屋。それは私が幼い頃一緒に遊んだあの子の部屋にひどく酷使していた。
ーー雨が降っている。ポツポツと何かを垂れ流すように。キイキイと金属を引っ掻くような耳障りなーーー音。暗いようで明るいような白昼夢の中に私はーーいる。昼か夜かわからない。夜であって欲しい。昼は明るいようで暗いからーー。暴力的で熱をもった光の中で1人でいるのは辛いからーー怖いから。人工的に造られたような部屋の中に私はイル。人工的といっても障子が壁に張り巡らされていて、床は畳。普通は落ち着きそうな場所だけど、普段なら熱がほんのりと伝わりそうな畳が冷たい。障子も光を通さない。灰色と白の油絵具で塗りたくったような障子。触れるとそれらが水のように押しつぶされて垂れてきて、私も汚れてしまうような怖さで開けられずにいる。時計がカチカチと音を立てる。こんな部屋でも時間は経つ。焦る気持ちを押すように、時計の秒針が巡る。開けてみようかーー開けないほうがいいのかーー時計が、音をたてる。オカシイナア。時計なんて壁に掛かっていないのに。他の部屋から音が漏れているのだろうか。いや、それにしては音が近すぎる。自分の背中に時計が付けられている気がする。違和感なんて背中にないのに。変に冷静な自分がいる。ぼんやりとしか考えられないけれど、目の前のことをどうすれば良いのかは、頭が働く、考えられる。障子を睨む。時計がなる。どこにもない時計の音だけが存在している。障子を睨む。オトガナルーー。「あっ開いた。」
思わず声が出る。無機質な白い和紙が視界から消える。代わりに誰かの白いつま先が目の前にーーあった。トゥーシューズのような白いつま先ーー。既視感が体にこびりつく。
顔も見ていないのに分かる。はっきりと感じる。ーーー「あの子」ーナノダ。ゆっくりと視線を上に向ける。足、胴体、そしてーーカオ?本来ならば首の上に顔があるはずなのだが、白い首の上にあるものはーーーナニモナカッタ。ノダ。
その瞬間顔だけが無いあの子の手が目の前に迫った。私の首をむんずと掴む。足がバタバタと交互に揺れる。こんなときでも刺激を与えると自分の体は反応する。雨がポタポタと染みをつくる。ブランコのようにキイキイと音をたてる。息がーーできない。酸素が体の中から出ていく。それでも雨はーー続いている。
ーーー夢だった。狐につままれたようだと思った。さっきの夢のように酸素が出ていく。ハアハアと掠れた息が溢れていく。目を開けるとテトがこちらを見下ろしていた。窓辺に置いていたテトはいつのまにか前屈みになっている。それを直してやったあと、ガラスに挟まれた外を見た。現実でも雨が降っていた。
窓にできた水滴が、何度も列をつくって滑り落ちていく。朝の薄暗い光と反射して、テトの顔に涙の痕をつくる。ーー嫌いだ。唐突にそう思った。嫌いだ。ーー雨はー嫌いだ。美しいと思うときもある。でもそれは私の機嫌がいい時で、感情が昂っているときに物事を綺麗と感じる。それは普通だろう。だけど、雨が降った日の朝は髪がパサパサする。毎日完璧でいたいために繕った努力が無駄になる。その日の時間の使い方のマニュアルが崩れていく。「雨は恵みの雨。植物を育てて、虹をつくってくれるんだよ。」幼稚園の先生がそう言っていた。確かに私達は雨がなければ生きられない。だけどーーー大人はなぜ子供が嫌いだと言うことに過剰に反応するんだろうか。嫌いだと言った人参やグリーンピースもその野菜より栄養がとれるものは、沢山あるのに。「ちゃんと食べなさい。」と押し付け、口を開けさせる。我ながらわがままだとは思うけれど、子供の頃、雨が嫌いで傘をわざと忘れたことも、レインコートを駄々をこねて着たがらなかったことも、母にこっぴどく叱られた。それは風邪をひくから、などの単純な理由ではなく、大人の言うことはちゃんと聞かせないといけない。新しい反抗の芽はちゃんと摘み取らないといけないという、執念の塊のようなものを感じたのだと思う。でなければ逆に、嫌いな雨に濡れないよう傘やレインコートをしっかりと握りしめていたと今では思う。私は根本的に雨を嫌っていたのではなく、そんな大人への反抗心が雨へと向いたのだろう。そのくせ、子供に美しく綺麗なものを信じ込ませようとする。私が母に、「お母さん。夕日は明るくて綺麗で楽しい気持ちになるね。」と笑顔で語りかけたとき、母は、「寂しくて悲しいものよね。」と淡々と言った。大人に、何があったのだろう。ーー「痛っ」考え事をしていたせいか、ブラシでとかしすぎた髪が悲鳴をあげている。やっぱりーー雨は嫌いだ。自分で気づかないうちに、そっと唇が動く。雨の日はいつのまにか口ずさんでいる詩がある。「六月の雨」その詩は国語の授業で知ったもので、数少ない私のお気に入りリストに綴られた。中原中也という詩人で、まあまあ有名な人だった。もうすっかり記憶してしまった言葉を呪文のように口に出した。
またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらはれて 消えてゆく
たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる
お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます
お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでゐれば 雨が降る
櫺子の外に 雨が降る
気持ちが落ち着いた。この詩は私の精神安定剤なのかもしれない。
リズムも良くて、いつのまにか声に出しているーー中毒性がある詩なのだ。
ーーでも、そろそろ学校に行かなければならない。あの子が待つあの教室に、あの眩しい笑顔に溶かされそうになりながら友達ごっこを続けるのだ。もしかしたらあの子の方も私の嫌悪感と敵意を受け取っているのかもしれない。でも、それが分かっていてもギリギリの綱渡りをする不思議な関係。でも、私は繕うのが上手いからそんなこと気づいていないのだろう。変なところで鈍感で、何も気づいてくれない。隅から隅まであの子はずるいのだ。制服のリボンをきっちり結んで、鏡を見つめて、上から下まで自分の品定め。自分からOKがでたら部屋のドアを開ける。それから階段をつたって、玄関まで。母がいるリビングが視界にはいる。母は背中を向けている。艶めくマグカップを片手に、一点を見つめている。私のーー私達の家は、なぜかひとつも音が出ていない。水道の水がつたう音も、テレビのやかましい音も。母の息遣いまでも。なんの音も出なかった。普通の家が立てそうな模範的な音さえも存在していなくて、寂しいを通り越して不気味な家に、私も背を向けた。母と同じように。鍵を開ける。ドアの分厚い板に仕組まれている機械仕掛けに鍵を差し込む。金属の触れ合う音がする。たったひとつの音だけが悪目立ちして空間にぽっかりと浮いていた。「行ってきます。」なるべく小さく声をあげる。軽くドアを後ろにやる。玄関が見えなくなっていく。それでも私の「行ってきます」に誰も答えてくれなかった。今日も母は「行ってらっしゃい」を言ってくれなかった。完全にドアが閉まり玄関の姿は私の目から消え失せた。最後まで私達家族の間に会話はなかった。いつものことなのに胸が苦しい。制服に皺が寄るくらいに服を握りしめていた。どうして私だけ、こんなに物事に気を使わないといけないのだろうか。あっちは私の動作や日常に興味がないのに。どうでもいいのに。どうして私だけーーどうして私だけが、あなたのことでこんなに一喜一憂しているのでしょうか。そんなのーーずるいじゃないか。
学校まではあっという間だった。いつも脳に記憶されている道を辿るだけで、いつの間にか目的地へついている。灰色の人間達の間を縫ってたどり着いた箱庭。(教室)にはあの子の方が先に着いていた。あの子が笑顔で私に語りかけている。「あっ〇〇ちゃんおはよう!」ーー元気で能天気な声だね。随分とーー「おはよう。いつも早いねーー!」心の声と発している声では、全く正反対だ。「今日も〇〇はなんかきっちりしてるよねーー!」「本当だよ。いつも髪に寝癖ついてないしさあ。羨ましいよねーー!」その他大勢のモブも会話に加わる。助かった。一対一の会話なんて疲れるだけだから。たくさんの瞳が私のことを見つめている。男女構わず、誰とも仲良くできるという私のことをみんな見ている。それは私ではないのにな。ーーなんの接点もないのにふと、今日見た夢を思い出した。畳の時計が響く部屋。それは私が幼い頃一緒に遊んだあの子の部屋にひどく酷使していた。
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