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今回の話の内容は全然百合要素無いですが、
次話からちょくちょく出すつもりです。

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障害と同性愛

#1

出会い

目を惹く赤色のプリーツスカート、そのスカートと揃いの色の大きなリボン、明るい紺色のブレザー。
私の瞳を鮮やかに彩るこの制服は、まだ糊が張っている。

「ねえ、いい感じねえ。」

母が機嫌良さそうに微笑み、そう言った。
うん、と小さく返事をする。
玄関前の姿見に反射するこの派手な制服は、陰気な顔をした私にはどう見ても似合わない。
赤いプリーツスカートから伸びる青白い足が、照明にぎらぎらと反射した。

「市夏、果蓮が制服着てるわよ、見に来てぇ」

母が階段の奥に向かって叫ぶ。
だが、反応がない。物音ひとつしない。

「…寝てる、みたい」

私がそう言うと、少し残念そうに微笑んだ母は、写真を撮ると言い、エプロンのポケットをまさぐった。
この丈の合わないスカートを着て、私は、明日、入学式に行く。

・・・・・・・・・・

やっぱり私立だよね。

私立は制服かわいいし、校舎も綺麗だからさ。
あと、行事も盛り上がるし。
ナイブシンガクとか、良いと思わない?
ねえ、お母さん、私立行かせてよ。

ダメに決まってるじゃない。
お姉ちゃんは頭がいいから特別に私立に行かせたけどねえ、
あなたは頑張ってないじゃない。
落ちこぼれがいくような私立に行くんなら、せめてお金がかからない公立に行きなさい。

ドアの隙間から流れてくる母と妹の会話を、ベッドに寝転びながら聞く。
…今年受験生の年子の妹は、勉強ができない。要領も悪いし、理解も遅い。
持ち前の愛嬌がなかったら、きっとこれから先は生きていけないだろう、と側で見ていて思う。
テストで赤点を取ってもけらけら笑っている妹の神経を、私は理解できない。
でも、人から何を言われても口を結んで黙っている私のことを、妹もきっと理解できないんだろう。
母はいつも私たちのぎこちない会話を、困ったような顔で見ている。
母が新婚時代に思い描いた理想の家族は、こんなものだったのだろうか。
内気な姉、能天気な妹。
…コミュニケーション障害の姉、発達障害の妹。
母は、いつも何を思っているのだろうか。
14歳の妹の口から滑る言葉は、まだどこか幼い。

ねえ、コーコージュケンなんて、超楽勝だからさ。
今から頑張ればいいんでしょ?

コーコージュケン。
その発音の無責任さのせいで、片仮名に変換されてしまう。
妹は、高校受験は綺麗に言えなくて、楽勝は綺麗に言える。
どこか舌足らずで上擦った声が、私を無性に苛つかせるのだ。

塾代も払わなきゃ駄目なんだからね。
あなたは大人しく公立に行きなさい。
ええーっ。

私は思い立ったようにベットから起き上がり、
ドアを乱暴に閉めた。
・・・うるさいんだよ、馬鹿。
口の中にまたひとつ、醜い言葉を溜めた。

・・・・・・・・・・

前の席の女子のポニーテールが揺れる。
彼女が椅子に座ったから、次は私の番。
握り込んだ私の掌はうっすら湿っていて、その陰湿さと対照的に、
心臓は刺すような早鐘を打っている。
重い腰を上げ、ローファーの鈍い光沢と目を合わせながら、ゆっくりと教壇の前に進む。
教室中を見渡し、クラスメイトの熱気が溶けきった空気を、肺に流し込んだ。


「…緑中、果蓮です。
…趣味は無くて、中学の部活は帰宅部で…好きな言葉は努力、です。
一年間、よろしくお願い、します…」


します。最後のします、は、口の中で完結した。
知らないうちに下を向いてしまった顔を恐る恐る上げると、
教室中が一瞬しんとした後、つまらなそうな、まばらな拍手が起こった。
顔に身体中の熱が集まるのを感じた。
早足で自分の席に戻る。
ローファーの光沢なんて見る余裕も無くて、
今はただ自分の朱に染まった頬を鎮めることに必死だった。


りょくちゅう、かれん。緑中果蓮。
可憐な女の子に育ってほしいと、8月生まれの私に母は果蓮と名付けた。
…蓮の果実を見たことがある。隣の家主が育てているのだ。
ある日、花たちに目を向けると、綺麗でいられる時期を過ぎた淑女たちの端に、
花びらが落ちきった蓮が果実になっているものがあった。
濁った緑色の、蜂の巣模様。空洞の奥には、眼球を連想させる茎が剥き出しになっている。
陰に守られているせいか、余計に不気味に思えた。
きっと母は、8月の、満開で可憐な蓮を見たのだろう。
私はそれじゃない。この狭い花畑の、端っこにある不気味な果実。
私の名前の蓮に最も似合うと、その果実を見て思ってしまったのだ。

気づくと、自己紹介の時間は終わり、担任の雑談が始まっていた。
辺りを見回すと、俯いていたのは私だけだった。
陽に当たることができず、下を向いてしまった花。
この教室は日当たりがいいから、こんな不幸な蓮は一輪だけなんだ。
そう、思うことにした。


・・・・・・・・・・


「カレンちゃん、もうご飯よ、起きて」
耳元で母がそう囁いた。
本当は微妙にうるさい食器の音で目が覚めていたけれど、
ソファに横になっていたかった私は寝たふりを続けた。
ざわざわとした気配が左半身を圧迫する。
母の声は穏やかだが、どこか苛立っているようにも聞こえた。
母は考え込んだように数秒静止すると、ふう、ため息をつき、ふっと気配を消した。
乾いたスリッパの音が遠のいていく。
母はしつこく付き纏わないから好きだ。
容姿は十人並み。少し痩せ気味。
艶のない黒髪を適当に後ろで結んでいる、典型的な主婦。
でも、母の話し方は、どこか人と違う。
言葉の一つ一つを強く丁寧に発音して、語尾はゆっくり切り上げる。
優しげな顔からは決して想像できない、厳しさから威圧感だけが抜けたような、そういう話し方をする。
でも、私の名前だけは、適当に発音している。カレンとしか呼んでくれない。
最後にちゃんと「果蓮」と言ってくれた時のことを、私は思い出せない。

どたどたと、天井から足音が聞こえてくる。
私は閉じていた目をふっとあけ、重い体をぎこちなく起こした。
吐息を漏らしながら伸びをしたと同時に、
リビングのドアが大きい音を立てた。

「ママ、今日の夜ご飯なあに?」
換気扇の音の五倍はあるであろう声が響く。
「今日は鯖の味噌煮だけ。あと、昨日のおかずもちょっと余ってるから、
それと一緒に食べなさい。」
スリッパを鳴らした母が換気扇を切った。
ソファに気だるげに座っていた私はふとキッチンの方を見た。
ええっ、鯖?と言いたげな妹の目と、私の目が合う。
逸らせずにいると、妹は思い出したようにあっ、と呟き、
「お姉ちゃん、入学式どうだったの?」と明るい声を出した。
…どうだったかと聞かれたって、何もない。
父と母と門の前で写真を撮り、そのまま体育館で校長の話を聞き、
指定されたクラスで自己紹介をし、帰宅する。妹は部活。
それだけの面白みもない一日の感想なんて、何もない。

「別に、普通だったよ。特に楽しくはなかった」
平坦な声を出す。

妹はふうん、とつまらなそうに口を結んだかと思うと、
唇を憎たらしくしならせた。
「アハ、でもお姉ちゃん、ちゃんと自己紹介できたの?
昨日お姉ちゃんの部屋で練習してたの、全部丸聞こえだったけどね?
緑中果蓮で〜す!好きな言葉は努力で〜す!とか」

…返す言葉が無くなってしまった。
いや、無くなってしまったと言うより、
羞恥と嫌悪が交互に心を殴り、返答なんて考えられなかった。
自己紹介のときの掌を湿らせた嫌な汗が、また戻ってきた気がした。

「市夏」

母が嗜めるように言う。
妹は他人事のようにけらけらと笑って冷蔵庫を開けた。
背伸びをして中身を覗き込んだかと思うと、冷蔵庫のドアから顔だけを出し、

「お姉ちゃん、もう顔赤くならないんだね。
…慣れちゃったもんね?」

と言った。

…死んで、しまえ…口の中に溜めたつもりの言葉が、空気をつたってリビングに落とされた。

・・・・・・・・

「まだ拗ねてるみたい、やっぱり」

はあ、と母が大きいため息をつく。
私のさっきの問題発言のせいで、妹は拗ねて、夜食も食べずに自分の部屋に戻ってしまった。
今、乾いたリビングには、私と母の二人しかいない。
フライパンの中のおかずの匂いが、鼻に染み込んだ。

「…うん」

「……あのね、うん、じゃないでしょう」

さっきまで半ば疲れた顔をしていた母の目が、真剣さに染まった。

「確かにさっきのは、市夏が悪かったわ。
でも、そうやって酷い言葉を言っていいの?
…カレン、もし何か我慢してるなら隠さなくていいのよ?」

小さな子供の話を慎重に聞くように、私の顔を覗き込んだ。
…母はまだ、私たちを子供扱いしている。私たちが、まだどこか幼いからだ。
妹は精神が幼い。思ったことはなんでも口にしてしまうし、そのくせ反論されたらすぐに拗ねる。
自分がしたいことは何でもするし、したくないことは意地でもしない。だから、バレーボールしかできない。
まるで幼稚園児を見ているようだと、いつも思う。
でも、そんな妹を、母はとても可愛がっている。私より、ずっと。
きっと、幼児期特有の、素直で幼い性格が垣間見えるせいで、
母は幼児期の妹の幻影を追っているのだろう。
最も可愛い時期のままで停止している妹のことを、母は愛している。
…それに対し、私は、身体が幼い。
身長は149センチメートル。体重は40キログラム。
青白くも見える真っ白の肌。骨張った骨格。
…生理は、まだ始まっていない。ふわふわの脂肪なんて、全然ない。だから、胸も、ない。
毛量の多い、肩にかかるストレートの髪。
全体的にパーツが小さい顔。そこに染み込む陰湿な表情。長くて重い前髪。
私の身体は、妹と正反対だ。

「……我慢なんて、してない。
さっきのは……なんというか、……間違えた、の。
それだけ、だから……」

私が下を向いていた隙に目を伏せていた母は、真っ黒の髪をかき上げ、小さく、そう、と言った。
表情は読み取れなかった。私も母もしばらく、机の模様を確かめていた。
母が突然椅子から立ち、体を翻した。リビングのドアを開けっぱなしにし、
ゆっくりと、一段一段階段を上がっていく。
妹は、まだ二階で拗ねているのだろう。そんな妹を母が宥めて、冷めた夜食を三人で食べるのだろう。
…妹の機嫌なんて、すぐに直るのに。
…ここに、泣き出しそうな、私がいるのに。

離れていく母のスリッパの音は、心なしか、湿っていた。

・・・・・・・・・・

私の家から高校までは遠い。
この春に新しく購入した電動自転車で橋黒駅に着くと、自転車を1日100円の古い駐輪場に停める。
地味な桜色の定期入れをかざし、右回りの環状線に乗って5駅分電車に揺られる。
私はそこで何をするわけでもなく、ただ目を瞑ってシルクのハンカチをぎゅっと握りしめている。
時々、瞼の裏の模様に深く犯されるのを怖がるように目を開ける時、
同じ制服の女子に凝視される時もあるが、それでも再び目を瞑る。
偏差値が低めの女子高がある舞骨駅で降り、
ギリギリまで短くした、緑色のスカートを穿いた女子の集団に揉まれる。
そこから本線に乗り換え、4駅分。
そのころにはハンカチも湿ってきていて、私の掌の匂いが染み付く。
巣鶴駅で倒れ込むように降り、そこから頼りない折りたたみの日傘を差して約20分歩く。
日傘の薄っぺらい水色と、スカートの真紅のコントラストは最悪だ。
…私は電車に酔うと毎回酔ってしまう。
重い頭と吐き気を抑える喉を必死に張り詰め、細い足で浮いたように歩く。私は毎日そうして、学校に行く。
日傘を刺し抜く陽の眩しさにくらみ、しっかりと目を伏せる。
意味もなく、下腹部をゆっくりと撫でた。掌の控えめな熱が、子宮に移ったような気がした。

・・・・・・・・・・

入学式が終わり、普通授業が始まってからまだ一週間も経たないので、教室の雰囲気はどこかぎこちない。
お互いを探り合うように会話に張られた言葉も、無理をしたような上擦った声も、
私にかけられたことは一度も無い。
教室の生ぬるい空気で落ち着いた酔いは、殆ど薄まって、消えていた。
…俺文系だからさあ、へえ、じゃあ、あれは?…あ、莉乃ぴじゃん、私春休みにライブ行ってきたんだよなあ、
…猫飼ってんの?俺も、え、種類なに?写真みせるわ、おっけー
…そんで、彼氏がね、やっぱりあたし、年上彼氏って憧れるかもしれん…
………誰にも話しかけてもらえない人間は、本を読むか寝るかの二択しかない。
繰り広げられる雑音を耳に入れながら、ブレザーを脱ぎ、椅子に掛けた。
取り出したぼろぼろの文庫本を親指で撫でる。
挟まっている赤色の栞を目標に、ぱらぱらとページを指で刺激した。
もう、何周読んだか分からない、読み古しの本。






「…ね、それ、重松清子?」






…突然、教室のざわめきより1オクターブ低い声が、私に降りかかった。
驚きはしなかった。低くも、柔らかい声だったからだ。
私は最初、彼女がどこにいるか分からなかった。
視界には、誰もいない。背後に気配の圧迫感を感じ、
肩に顎を乗せるように控えめに振り返ってみると、
明るい紺色を背景に、校章をでかでかと入れたワッペンが目に飛び込んだ。
…私が背景だと思った紺色は、ブレザーの生地だった。
薄い皮膚の下に沈んでいた汗が、全て沸き上がったような感覚を覚えた。
椅子に座っている私を後ろから覗き込むように、彼女はそこにいた。
視線を上げた私と目が合うと、跳ねるように机の正面に回って、それから首を傾けた。
桃色の唇はお椀型に反っていた。

「あ、うん……そう、です」

彼女は息を吐き出すように、はっ、と笑った。
粘度の高い息が私の鼻筋に当たる。
自分の顔が緩やかに熱くなっていくのを感じた。
なんで敬語?と、カールした前髪を揺らしながらくすくす笑っていた。

「うん、重松清子、私も好きなんだよね。一緒、だね。」

さっきの笑いで緩んだ自分を取り直したように発した言葉も、
女子にしてはハスキーな声も、私には響きすぎた。
…何も、言えない。
顔を上げたまま赤くなって黙ってしまった私を見つめた彼女は、不思議そうに口を尖らせると、
思い出したようにポケットに手を入れ、真新しい学生証を出した。

…高見、結花。たかみゆうか。

「これ、私の名前だから。よく、ユカとか、ユイカに間違えられんのが嫌で、
こーやって自己申告してんだよね。果蓮ちゃん、だっけ。よろしく。」

「…あ…うん、結花ちゃん…よろしく。」

赤さでふやけた頬のまま、絞り出した。
にっこりと彼女が笑う。

「あ、あと、果蓮ちゃんってさ、前髪、固めてないよね。
このクラスで果蓮ちゃんだけだよ。
今度やってあげたい。」

そう言って、私の前髪を指で挟むと緩く反らし、おでこを露出させようとした。

その瞬間、チャイムが鳴った。四つの肩が跳ねた。
彼女はおもむろにスピーカーの方に視線を投げ出し、また戻した。
それから、手を放し、バイバイ、と小さく手を振って自分の席に戻る。
私の斜め前の席だった。

…チャイムが鳴って良かった、と心底思った。
きっと、おでこまで赤くなっていたから。見られなくて、良かった。本当に、良かった。

続く

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作者メッセージ

受験勉強の合間に少しずつ書き足したものなので、
おかしいところがかなりあると思います。お許しください。
濃厚で切ない百合にするつもりです。次回作を期待してくださるとうれしいです。コメント待ってます!!!!!

2024/07/21 12:36

容子 ID:≫94SCXkg9r2d.U
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