放浪の水魔法使い
アリジゴクことプサモースを目前にした俺は、サーシャを助けるために無策にも駆けつけた。銃の形を作った両手は頼りなく震えており、魔法が打てたとて照準が定まっているかが心配になるほどだ。汗が首筋を伝い、緊張で唾を飲み込む。俺を貫かんと真っ直ぐに飛んでくる砂のドリルが俺の髪を揺らす。
「...ふぅ」
風圧が強くなったことを感じ取り、集中するために開いた目をゆっくりと閉じる。属性確認をした際に感じた全体を流れる魔力を指先に込めるイメージで。この数週間一度たりとも成功していないが、今それでは困る。失敗は即ち死を意味し、そこに言い訳の余地なんて一切ない。高速回転する思考ももうタイムアップだ。指先に何か触れる[打消し] [/打消し]。
俺は両手の人差し指に込めたつもりの魔力を一気に放った。鋭い音が鳴ったと感じた時には俺は後方へと吹っ飛んでいた。ドリルが直撃したのかと焦った俺は目を開けると、水銃がドリルをただの土塊へと変貌させ、プサモースの脳天まで一直線に伸びているのを確かに見た。案外苦戦した割には呆気ない終わり方だったな。しかし、実際そういうものなのかもしれない。そしてどうやら水の勢いで俺も飛んだらしい。何かにぶつかる、と同時に「ぐふっ」という少女の声が聞こえた。サーシャは乱暴に自分に乗っかる俺をどかす。
「とりあえず、一件落着でしょうか」
「あ、ああ...そうだな...」
そこで突然急激な眠気に襲われた俺は踏ん張ることもできず、プサモースの死体が横たわる巣の中心部に滑り落ちていった。いやサーシャさん、引っ張ってくださいよ...。
目を覚ますとまず一番に見えたのは太陽、ではなくサーシャの顔だった。遮蔽物は全くなく、俺を心配しているサーシャの顔がこれ以上ないほどによく見える。考えを巡らせる俺は、頭の感覚神経を研ぎ澄ませる。や、柔らかい、だと...。何と例えればいいのか、とにかくそれは肉の感触。胸がドキドキして、鼓動が早まっているのがバレないか心配になってきたぞ。
「え...こ、これは、サーシャさん?」
「はい、サントルですね」
「......」
知ってた。これ以上ないほどに知ってた。何でもは知らないが、これだけは知ってた。男子の期待というのは往々にして砕け散るものであり、そこに例外など存在しないのか。最早セオリーと言ってもいいのでは?
にしてもサントルの腹の上に頭を乗せていたのか俺は。ごめんな、サントル。俺が起き上がると、サントルはひとしきりジタバタと暴れる。人間の力など要らぬとでも言うように、器用に起き上がるとのそのそと動き始めた。大鍋くらいのサイズ感のサントルは俺を何度もドリルから守ってくれた。感謝の言葉でいっぱいである。だが枕としては不合格だった。コイツデカいからな。ほら、高い枕で寝ると脳卒中になりやすいって聞くし。そんな益体のないことを考えていると、ふと思い出した。
「なあサーシャ」
「はい、なんですか?」
「何で...何であんなことをした?」
「あんな、とは...」
「何で俺を助けて死のうとしたんだ」
包み隠されることのない言葉にサーシャは口を噤んだ。目を逸らし、下ろされている手に力をぐっと入れて砂を掴むサーシャは少し気まずそうに見える。発した声は意識しない内に尖っていて、それだけに俺は結構サーシャの行動にショックを受けていたんだな、なんて他人事のように冷静に自分を客観視していた。折角二人とも生きていたのだから、声音を落ち着けようと意識する。
「まだ俺たちは出会って間もない、一週間ちょっとしか過ごしていないが、それでも二人だけでこの砂漠を歩いたんだ。俺はサーシャを強く信頼しているし、全て任せておけとは言えないが、頼りにしてくれたらとも思う。...だから。だから、さっきみたいなのは止めてくれないか。......俺の気持ちを分かって欲しい」
それでも言葉を発することのないサーシャに俺は続ける。
「サーシャはこの世界で初めて会った人で、助けられてばかりだけどさ。俺にとってはもう大切な人なんだよ。だから...」
「だって!」
一度流れ出した感情が収まらずに出た声は、サーシャが自分でも思っているより大きくて、そんな自分に少し驚いたサーシャは一度深呼吸をした。
「...だって、仕方ないじゃない。私だって最初は辛くても頑張ろうって、家族がいるからって、そうやって努力したのに。なのにイーシャの安否が不確かになって...。それじゃ私の十年間はどうなるの?イーシャの為に友達も碌に作らず、学生時代をほとんど学習だけに費やした。それはいいの、でも、でもイーシャがいないなら何のために私は!今までしたことも、これから何をすれば良いのかも分からない、私は何のために生きているのか分からないの......!」
生きるのに理由などいらない、誰かがそう言った。しかしそれは正しいのだろうか。この言葉に賛同する人も沢山いる。ならば当てはまらない人は間違っているのだろうか。...そんな筈がない。理由がないと生きることすらままならない人もいる。唐突に生きる理由を失った人間はこんなにも脆く、少しでも触れたら崩れそうで。だからこそ丁寧に支えてやりたいと、俺は心から思った。だから考えるよりも前に口が動いた。
「なら、俺のために生きてくれ」
「え?」
「俺は今のままじゃ絶対生きていけない。サーシャが死んだら俺も死ぬ。つまりお前が死ぬ事は俺を殺すことになるんだ。この世界での勝手も分からんし、そもそも砂漠から出られん。なあサーシャ、だからさ。生きてくれよ」
サーシャは呆然としている。チャンスは今しかないんだ。これを逃してはならない。次々に言葉が口を衝いて出る。
「それとイーシャさんの安否だけどさ、自分の目で確かめようぜ。あまり悲観しててもあれだからな。希望を持つことは悪いことじゃない。ただ、希望は覚悟を捨てる言い訳にはならないし、覚悟は希望を失わせる理由にもならない。どっちもそれなりに持っておくことが重要なんだ。だから、絶望するにはまだ早い」
「あ...あ、あのっ」
涙をツーっと流しながら頑張って話そうとするサーシャ。俺は彼女の言葉をいつまでも待とうと思った。傾きつつある夕日は辺りを赤く染める。それは眩しくて誰にも触れられない、とても尊いものに見えた。青い髪に金色の瞳、そこに加わった茜色はその全てを優しく包み込んでいた。
「わ、私は[打消し] [/打消し]」
『ボクもサーシャちゃんは生きるべきだと思う』
頭の中に直接語りかけてくるようなその声に、俺は飛び退く。すると俺たちの横には巨大なハグロトンボが滞空していた。その大きさたるや、羽を動かすだけで真下の砂が踊っている。こいつ、まさか生きていたのか?プサモースが死ぬ前に孵化を?俺は即座に手を出して、一度掴んだコツを忘れぬよう水を撃った。
「え?出ないぞ」
「...水城さん、あなた気力が少なすぎです。見たことないレベルです」
「まじか」
『ボクに敵意はないよ。こんなことを言うのは烏滸がましいかもしれないけど、仲間にしてほしいんだ』
いきなり追ってきた怪物が何を...と言おうとした俺は、俺が勝手に巣に侵入したことを思い出して、寸前で止めた。
『うーん、この姿はやっぱり気持ち悪いかなー?じゃあ仕方ない』
そう言うと、巨大トンボは綺麗なエメラルドグリーンの胴体と、光を吸い込んでしまいそうな真っ黒な羽根から光を発すると、サイズが小さくなっていった。ハグロトンボ?なんでウスバカゲロウじゃないのん?とも思うが、そもそもアリジゴクだとかなんだとかが地球の常識である。
「こっちの方がいいかな、カイ様?」
「はっ!?カイ、様...?」
ギギギ...と首をこちらに回すサーシャ。だが俺はそこに現れた少女に見惚れていた。発光したトンボは小さく可愛らしい妖精になっていて、真っ黒な四つの羽に、同色の少し胸元の空いたドレス。決して大きいとは言わないが、サーシャよりかは確実に大きい。何がとは言わないけど。更にそこから伸びる長くて美麗な脚には明るい緑のハイソックス。そのコントラストが俺の目を釘付けにしていた。緑の布でくくった長めのツインテールが揺れる。後ろに手を組み、前に体重をかけた彼女は言った。
「さあ、ボクに名前をつけてよ。今日からカイ様の使い魔になるんだからね」
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
[水平線]
〈世界観memo〉
「使い魔」
人間と主従関係を結んだ魔物のこと。ペットのような関係のもの、共に闘うものなど様々である。使い魔の主人への態度もそれぞれである。
「...ふぅ」
風圧が強くなったことを感じ取り、集中するために開いた目をゆっくりと閉じる。属性確認をした際に感じた全体を流れる魔力を指先に込めるイメージで。この数週間一度たりとも成功していないが、今それでは困る。失敗は即ち死を意味し、そこに言い訳の余地なんて一切ない。高速回転する思考ももうタイムアップだ。指先に何か触れる[打消し] [/打消し]。
俺は両手の人差し指に込めたつもりの魔力を一気に放った。鋭い音が鳴ったと感じた時には俺は後方へと吹っ飛んでいた。ドリルが直撃したのかと焦った俺は目を開けると、水銃がドリルをただの土塊へと変貌させ、プサモースの脳天まで一直線に伸びているのを確かに見た。案外苦戦した割には呆気ない終わり方だったな。しかし、実際そういうものなのかもしれない。そしてどうやら水の勢いで俺も飛んだらしい。何かにぶつかる、と同時に「ぐふっ」という少女の声が聞こえた。サーシャは乱暴に自分に乗っかる俺をどかす。
「とりあえず、一件落着でしょうか」
「あ、ああ...そうだな...」
そこで突然急激な眠気に襲われた俺は踏ん張ることもできず、プサモースの死体が横たわる巣の中心部に滑り落ちていった。いやサーシャさん、引っ張ってくださいよ...。
目を覚ますとまず一番に見えたのは太陽、ではなくサーシャの顔だった。遮蔽物は全くなく、俺を心配しているサーシャの顔がこれ以上ないほどによく見える。考えを巡らせる俺は、頭の感覚神経を研ぎ澄ませる。や、柔らかい、だと...。何と例えればいいのか、とにかくそれは肉の感触。胸がドキドキして、鼓動が早まっているのがバレないか心配になってきたぞ。
「え...こ、これは、サーシャさん?」
「はい、サントルですね」
「......」
知ってた。これ以上ないほどに知ってた。何でもは知らないが、これだけは知ってた。男子の期待というのは往々にして砕け散るものであり、そこに例外など存在しないのか。最早セオリーと言ってもいいのでは?
にしてもサントルの腹の上に頭を乗せていたのか俺は。ごめんな、サントル。俺が起き上がると、サントルはひとしきりジタバタと暴れる。人間の力など要らぬとでも言うように、器用に起き上がるとのそのそと動き始めた。大鍋くらいのサイズ感のサントルは俺を何度もドリルから守ってくれた。感謝の言葉でいっぱいである。だが枕としては不合格だった。コイツデカいからな。ほら、高い枕で寝ると脳卒中になりやすいって聞くし。そんな益体のないことを考えていると、ふと思い出した。
「なあサーシャ」
「はい、なんですか?」
「何で...何であんなことをした?」
「あんな、とは...」
「何で俺を助けて死のうとしたんだ」
包み隠されることのない言葉にサーシャは口を噤んだ。目を逸らし、下ろされている手に力をぐっと入れて砂を掴むサーシャは少し気まずそうに見える。発した声は意識しない内に尖っていて、それだけに俺は結構サーシャの行動にショックを受けていたんだな、なんて他人事のように冷静に自分を客観視していた。折角二人とも生きていたのだから、声音を落ち着けようと意識する。
「まだ俺たちは出会って間もない、一週間ちょっとしか過ごしていないが、それでも二人だけでこの砂漠を歩いたんだ。俺はサーシャを強く信頼しているし、全て任せておけとは言えないが、頼りにしてくれたらとも思う。...だから。だから、さっきみたいなのは止めてくれないか。......俺の気持ちを分かって欲しい」
それでも言葉を発することのないサーシャに俺は続ける。
「サーシャはこの世界で初めて会った人で、助けられてばかりだけどさ。俺にとってはもう大切な人なんだよ。だから...」
「だって!」
一度流れ出した感情が収まらずに出た声は、サーシャが自分でも思っているより大きくて、そんな自分に少し驚いたサーシャは一度深呼吸をした。
「...だって、仕方ないじゃない。私だって最初は辛くても頑張ろうって、家族がいるからって、そうやって努力したのに。なのにイーシャの安否が不確かになって...。それじゃ私の十年間はどうなるの?イーシャの為に友達も碌に作らず、学生時代をほとんど学習だけに費やした。それはいいの、でも、でもイーシャがいないなら何のために私は!今までしたことも、これから何をすれば良いのかも分からない、私は何のために生きているのか分からないの......!」
生きるのに理由などいらない、誰かがそう言った。しかしそれは正しいのだろうか。この言葉に賛同する人も沢山いる。ならば当てはまらない人は間違っているのだろうか。...そんな筈がない。理由がないと生きることすらままならない人もいる。唐突に生きる理由を失った人間はこんなにも脆く、少しでも触れたら崩れそうで。だからこそ丁寧に支えてやりたいと、俺は心から思った。だから考えるよりも前に口が動いた。
「なら、俺のために生きてくれ」
「え?」
「俺は今のままじゃ絶対生きていけない。サーシャが死んだら俺も死ぬ。つまりお前が死ぬ事は俺を殺すことになるんだ。この世界での勝手も分からんし、そもそも砂漠から出られん。なあサーシャ、だからさ。生きてくれよ」
サーシャは呆然としている。チャンスは今しかないんだ。これを逃してはならない。次々に言葉が口を衝いて出る。
「それとイーシャさんの安否だけどさ、自分の目で確かめようぜ。あまり悲観しててもあれだからな。希望を持つことは悪いことじゃない。ただ、希望は覚悟を捨てる言い訳にはならないし、覚悟は希望を失わせる理由にもならない。どっちもそれなりに持っておくことが重要なんだ。だから、絶望するにはまだ早い」
「あ...あ、あのっ」
涙をツーっと流しながら頑張って話そうとするサーシャ。俺は彼女の言葉をいつまでも待とうと思った。傾きつつある夕日は辺りを赤く染める。それは眩しくて誰にも触れられない、とても尊いものに見えた。青い髪に金色の瞳、そこに加わった茜色はその全てを優しく包み込んでいた。
「わ、私は[打消し] [/打消し]」
『ボクもサーシャちゃんは生きるべきだと思う』
頭の中に直接語りかけてくるようなその声に、俺は飛び退く。すると俺たちの横には巨大なハグロトンボが滞空していた。その大きさたるや、羽を動かすだけで真下の砂が踊っている。こいつ、まさか生きていたのか?プサモースが死ぬ前に孵化を?俺は即座に手を出して、一度掴んだコツを忘れぬよう水を撃った。
「え?出ないぞ」
「...水城さん、あなた気力が少なすぎです。見たことないレベルです」
「まじか」
『ボクに敵意はないよ。こんなことを言うのは烏滸がましいかもしれないけど、仲間にしてほしいんだ』
いきなり追ってきた怪物が何を...と言おうとした俺は、俺が勝手に巣に侵入したことを思い出して、寸前で止めた。
『うーん、この姿はやっぱり気持ち悪いかなー?じゃあ仕方ない』
そう言うと、巨大トンボは綺麗なエメラルドグリーンの胴体と、光を吸い込んでしまいそうな真っ黒な羽根から光を発すると、サイズが小さくなっていった。ハグロトンボ?なんでウスバカゲロウじゃないのん?とも思うが、そもそもアリジゴクだとかなんだとかが地球の常識である。
「こっちの方がいいかな、カイ様?」
「はっ!?カイ、様...?」
ギギギ...と首をこちらに回すサーシャ。だが俺はそこに現れた少女に見惚れていた。発光したトンボは小さく可愛らしい妖精になっていて、真っ黒な四つの羽に、同色の少し胸元の空いたドレス。決して大きいとは言わないが、サーシャよりかは確実に大きい。何がとは言わないけど。更にそこから伸びる長くて美麗な脚には明るい緑のハイソックス。そのコントラストが俺の目を釘付けにしていた。緑の布でくくった長めのツインテールが揺れる。後ろに手を組み、前に体重をかけた彼女は言った。
「さあ、ボクに名前をつけてよ。今日からカイ様の使い魔になるんだからね」
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
[水平線]
〈世界観memo〉
「使い魔」
人間と主従関係を結んだ魔物のこと。ペットのような関係のもの、共に闘うものなど様々である。使い魔の主人への態度もそれぞれである。