放浪の水魔法使い
翌日になり、目を覚ましたサーシャは、まるで何事もなかったように
「おはようございます」
なんて挨拶をしてきた。俺も返事をするが、サーシャのその変わりよう、いや変わらなさを寧ろ不可解に思う。あれだけ取り乱していたのにも関わらずこの落ち着き方だ。俺の方がおかしいのではないか、なんて錯覚すらしてしまいそうである。しかしサーシャが冷静でいようとしているならば、俺もそれを妨げぬように振る舞いたい。
「あー、朝ごはんどうする?もうストックとかないけど。昨日......、昨日食べたワームで最後だったろ」
しかし、こういった状況下では得てして意識しすぎるものであり、それは不自然な言動を招きやすい。今の俺も例に漏れずといった感じでもうちょっと漏れて欲しいところである。「昨日」と言っただけなのに言ってはいけないことを口走った感覚に襲われる。サーシャはそれに気づいているのかいないのか、微笑みを浮かべてそれに答える。その笑みは、俺には感情というものがこもっているようには見えなかった。
「そうですね。しかしこの感じ、あまり生き物が見当たりませんのでこれからは節約しましょう。最悪の場合は地面を掘れば何か出てきます」
ワ、ワイルドだな。芸能界で一世を風靡してそう。...いかん、これはダメだ。あまりに弱みを見せないサーシャを見ていると昨日のことが本当は夢だったのではないかと思う。というか今見ているもの全て夢でもうすぐ家のベッドで起きてくれてもいいんだけどな。夢オチをあれほどまでに嫌った俺が今や夢オチをこれほどまでに望んでいる。人生は何があるか分からない。
しかしあれだな。ゾンビとの戦闘時に水で魔法陣を描けることに気付いたのだから、魔力探知で砂漠を無限にしている結界の依代だって本当は今すぐ見つけられるのではないか。またもやサーシャはそのことを忘れていそうだが、今教えるべきでないと感じた。きっとその依代は危険だ。あんなゾンビと比べることが馬鹿らしいくらいには。だから儚げな表情を見せる彼女の前に死の危険を近づけたくなかった。すぐに俺の前からいなくなってしまいそうだから。いつになるかは分からない。だが彼女の心が本当に落ち着くまでは意味のない放浪を続けようと思う。俺も役に立てる程度には強くなりたいし。かといってサーシャの前で水魔法を使うのはかなり憚られる。このジレンマ、どうすればいいんだ。俺はこれからのことを考えて頭を抱えた。
しかし俺が一番気にしていた水魔法のことだが、俺が話題に出す前にサーシャがその言葉を発した。
「魔法の使い方は歩きながら少しずつ教えますので安心してください」
俺はそれに礼を言う。正常に振る舞っているサーシャだが、何か物足りない感じがある。そう、それは毒舌。一言多くないのが気になる。別にマゾヒストな訳ではないが、普段と違うところは勝手に気になってしまうものである。一度気にしてしまうと普通なら気づかない違いも余計に気が付いてしまい、キリがない。俺は考えを振り払うように頭を振った。
日本晴れの印象が強かったこの砂漠も、昨日の晩から雲がかかってきていてそれも濃くなっている。今にも雨が降り出しそうなのに、水滴は落ちることなく雲となったままだ。しかしそれはいつまで続くのだろうか。そこまで長くは耐えられないのではないか。俺は暗い空を見上げてそう思った。さて、歩き出すか。
俺はやはり砂漠を抜けられるやも知れぬ方法を伝えることなく、サーシャと今まで通り砂上を歩く。二人分のザッザッという砂を鳴らす音は、広大な土地に響くことなく空気へ溶けていく。そんな中、俺は説明しにくい抵抗感を覚えながらも魔法のレクチャーを受けていた。
「属性確認をした際の感覚を覚えていますか?あの体を流れる血液でないものが魔力です。それを体外に放出する感覚です」
俺は言われた通りにするが、なかなか上手くいかない。もう一度属性確認の感覚を味わうために「エレメント」と言ってみる。魔力が体内を巡る感覚。それは感じ取れる。だが操るまでの鮮明な感覚には至らず、目を閉じてうんうんと唸るだけの結果となった。サーシャの言う意味は理解できるが、魔法というのはセンスに左右されるらしく下手な人はとことん下手だとか。そんな魔法が下手な人や[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]などは、基本魔法に関する職に就く場合は魔術師になるという。魔術は頑張って勉強しさえすれば作れる。これもセンスは少なからず必要ではあるらしいが。俺みたいな人間は魔道具を使って戦うのがいいのだろうか。でも、魔法は使いたい。目前に餌を吊り下げられて我慢なんてしていられない。センスなんて鎖は早々に千切ってしまいたいところだ。
「全くできていないようでも、魔力を使おうという意識は力を消耗しますので注意してください」
「ああ分かった。気を付ける」
じゃあ昼の間はもうやめておくか。俺は諦めは早い方だ。とはいえ今の諦めは次へ繋げるためのものであり、長期的な戦いを見込んでのものだ。一朝一夕で手に入れられないと駄々をこねるなんてのは恥ずかしいからな。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
それから特に何かあるわけでなく、食料を見つけては保存して基本夜に回す。多く見つかれば幸運と言ったくらいに過ごして一週間ほどが経った。明るく装うサーシャの顔はとても少しずつ、しかし確実にやつれているように見えた。サーシャの役に立ちたいとは思うが、魔法は未だに使えず焦りだけが募る。しかし魔法が十八で顕現するとなると、サーシャは魔法を手に入れたばかりの筈だろう。どうしてここまで扱えるのか、やはり俺が別世界の人間だから少し構造が違うのか。疑問は尽きないが、その前に俺の力も尽きそうなのでこのくらいで今日の練習...になってるかは微妙なところだが止めておこう。
最早何のために歩いているのかわからず馬鹿らしくなってくるが、まあいいだろう。サーシャの心の状態が優先である。時が解決してくれるようにも思えないが。状況を整理しよう。サーシャは人類に嫌悪される水魔法使いである。名前の似た、恐らく姉妹であるイーシャの存在。そして俺が水魔法使いだと知ってのあの反応。...俺も馬鹿ではない。つまりこういうことだろう。
サーシャと姉妹のイーシャ二人で、既に水魔法使いの枠は世界的に埋まっていた筈だったのに、そこに突然現れた俺。ここでイーシャの安否が悪い方へと揺らいだ。
俺は眉を顰めた。やってしまった。いや、やってしまっている。つまり俺は家族の死を宣告した死神のようなものである。その死神が自分に纏わりつき、何やら心配してくる訳だ。その不快感は計り知れない。計り知れないのだが、俺も今サーシャと別れてしまうと困る。気遣いによって俺が死にかねない。正直自分の命は他の何にも変えられない。
そうしていると、岩が動いたのに気がついた。何だ?俺は不審に思い、砂の音も鳴らさぬ程にそーっと歩いていく。抜き足差し足、忍足......が地面につくことはなかった。踏んだと思った砂は簡単に瓦解し、広範囲にその割れは広がった。
「は?」
「え?なんです!?」
俺はなす術もなく、何ならサーシャを巻き込んで暗闇へと落ちていった。まともに着地できずに尻から落っこちた俺は、その痛さに臀部をさすりながら立ち上がる。
「...サーシャ、大丈夫か?」
「ええ、一応...」
しっかり水で自身を受け止めていたサーシャは安全を確保できているようだ。一応どころか完全に大丈夫だった。俺が安堵したのも束の間、暗闇になれた目は巨大な魔物を映した。更にそこらを舞い散っていた砂塵が落ち着くと、上から差し込む日光がその怪物の全貌を明らかにする。
アリジゴク。ウスバカゲロウの幼虫。縁の下などの乾いた土に、すりばち形の穴を掘り、滑り落ちたアリの体液を吸う。
俺たちの何倍にも大きいそれは、俺たちを見とめるとカチカチと顎を鳴らした。妙に高い音が俺の耳を襲う。
「あれは、怒っているのでしょうか...」
「いや、歓迎しているんだと。...あれは食事を目前にして喜んでる顔だ」
教室ほどの広さの空間で、一体と二人の睨み合いが始まった。
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
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〈世界観memo〉
「アンデッド」
死体が供養されることなく、一定期間経過して動き出したものを言う。彼らは基本頭部を潰してしまえば動作を停止する。どんな生物でもアンデッドになる可能性は大いにある。全ての死体がアンデッドと化すとは限らない。アンデッドには肉体が残っているゾンビ型と骨のみのスケルトン型が存在する。
「おはようございます」
なんて挨拶をしてきた。俺も返事をするが、サーシャのその変わりよう、いや変わらなさを寧ろ不可解に思う。あれだけ取り乱していたのにも関わらずこの落ち着き方だ。俺の方がおかしいのではないか、なんて錯覚すらしてしまいそうである。しかしサーシャが冷静でいようとしているならば、俺もそれを妨げぬように振る舞いたい。
「あー、朝ごはんどうする?もうストックとかないけど。昨日......、昨日食べたワームで最後だったろ」
しかし、こういった状況下では得てして意識しすぎるものであり、それは不自然な言動を招きやすい。今の俺も例に漏れずといった感じでもうちょっと漏れて欲しいところである。「昨日」と言っただけなのに言ってはいけないことを口走った感覚に襲われる。サーシャはそれに気づいているのかいないのか、微笑みを浮かべてそれに答える。その笑みは、俺には感情というものがこもっているようには見えなかった。
「そうですね。しかしこの感じ、あまり生き物が見当たりませんのでこれからは節約しましょう。最悪の場合は地面を掘れば何か出てきます」
ワ、ワイルドだな。芸能界で一世を風靡してそう。...いかん、これはダメだ。あまりに弱みを見せないサーシャを見ていると昨日のことが本当は夢だったのではないかと思う。というか今見ているもの全て夢でもうすぐ家のベッドで起きてくれてもいいんだけどな。夢オチをあれほどまでに嫌った俺が今や夢オチをこれほどまでに望んでいる。人生は何があるか分からない。
しかしあれだな。ゾンビとの戦闘時に水で魔法陣を描けることに気付いたのだから、魔力探知で砂漠を無限にしている結界の依代だって本当は今すぐ見つけられるのではないか。またもやサーシャはそのことを忘れていそうだが、今教えるべきでないと感じた。きっとその依代は危険だ。あんなゾンビと比べることが馬鹿らしいくらいには。だから儚げな表情を見せる彼女の前に死の危険を近づけたくなかった。すぐに俺の前からいなくなってしまいそうだから。いつになるかは分からない。だが彼女の心が本当に落ち着くまでは意味のない放浪を続けようと思う。俺も役に立てる程度には強くなりたいし。かといってサーシャの前で水魔法を使うのはかなり憚られる。このジレンマ、どうすればいいんだ。俺はこれからのことを考えて頭を抱えた。
しかし俺が一番気にしていた水魔法のことだが、俺が話題に出す前にサーシャがその言葉を発した。
「魔法の使い方は歩きながら少しずつ教えますので安心してください」
俺はそれに礼を言う。正常に振る舞っているサーシャだが、何か物足りない感じがある。そう、それは毒舌。一言多くないのが気になる。別にマゾヒストな訳ではないが、普段と違うところは勝手に気になってしまうものである。一度気にしてしまうと普通なら気づかない違いも余計に気が付いてしまい、キリがない。俺は考えを振り払うように頭を振った。
日本晴れの印象が強かったこの砂漠も、昨日の晩から雲がかかってきていてそれも濃くなっている。今にも雨が降り出しそうなのに、水滴は落ちることなく雲となったままだ。しかしそれはいつまで続くのだろうか。そこまで長くは耐えられないのではないか。俺は暗い空を見上げてそう思った。さて、歩き出すか。
俺はやはり砂漠を抜けられるやも知れぬ方法を伝えることなく、サーシャと今まで通り砂上を歩く。二人分のザッザッという砂を鳴らす音は、広大な土地に響くことなく空気へ溶けていく。そんな中、俺は説明しにくい抵抗感を覚えながらも魔法のレクチャーを受けていた。
「属性確認をした際の感覚を覚えていますか?あの体を流れる血液でないものが魔力です。それを体外に放出する感覚です」
俺は言われた通りにするが、なかなか上手くいかない。もう一度属性確認の感覚を味わうために「エレメント」と言ってみる。魔力が体内を巡る感覚。それは感じ取れる。だが操るまでの鮮明な感覚には至らず、目を閉じてうんうんと唸るだけの結果となった。サーシャの言う意味は理解できるが、魔法というのはセンスに左右されるらしく下手な人はとことん下手だとか。そんな魔法が下手な人や[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]などは、基本魔法に関する職に就く場合は魔術師になるという。魔術は頑張って勉強しさえすれば作れる。これもセンスは少なからず必要ではあるらしいが。俺みたいな人間は魔道具を使って戦うのがいいのだろうか。でも、魔法は使いたい。目前に餌を吊り下げられて我慢なんてしていられない。センスなんて鎖は早々に千切ってしまいたいところだ。
「全くできていないようでも、魔力を使おうという意識は力を消耗しますので注意してください」
「ああ分かった。気を付ける」
じゃあ昼の間はもうやめておくか。俺は諦めは早い方だ。とはいえ今の諦めは次へ繋げるためのものであり、長期的な戦いを見込んでのものだ。一朝一夕で手に入れられないと駄々をこねるなんてのは恥ずかしいからな。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
それから特に何かあるわけでなく、食料を見つけては保存して基本夜に回す。多く見つかれば幸運と言ったくらいに過ごして一週間ほどが経った。明るく装うサーシャの顔はとても少しずつ、しかし確実にやつれているように見えた。サーシャの役に立ちたいとは思うが、魔法は未だに使えず焦りだけが募る。しかし魔法が十八で顕現するとなると、サーシャは魔法を手に入れたばかりの筈だろう。どうしてここまで扱えるのか、やはり俺が別世界の人間だから少し構造が違うのか。疑問は尽きないが、その前に俺の力も尽きそうなのでこのくらいで今日の練習...になってるかは微妙なところだが止めておこう。
最早何のために歩いているのかわからず馬鹿らしくなってくるが、まあいいだろう。サーシャの心の状態が優先である。時が解決してくれるようにも思えないが。状況を整理しよう。サーシャは人類に嫌悪される水魔法使いである。名前の似た、恐らく姉妹であるイーシャの存在。そして俺が水魔法使いだと知ってのあの反応。...俺も馬鹿ではない。つまりこういうことだろう。
サーシャと姉妹のイーシャ二人で、既に水魔法使いの枠は世界的に埋まっていた筈だったのに、そこに突然現れた俺。ここでイーシャの安否が悪い方へと揺らいだ。
俺は眉を顰めた。やってしまった。いや、やってしまっている。つまり俺は家族の死を宣告した死神のようなものである。その死神が自分に纏わりつき、何やら心配してくる訳だ。その不快感は計り知れない。計り知れないのだが、俺も今サーシャと別れてしまうと困る。気遣いによって俺が死にかねない。正直自分の命は他の何にも変えられない。
そうしていると、岩が動いたのに気がついた。何だ?俺は不審に思い、砂の音も鳴らさぬ程にそーっと歩いていく。抜き足差し足、忍足......が地面につくことはなかった。踏んだと思った砂は簡単に瓦解し、広範囲にその割れは広がった。
「は?」
「え?なんです!?」
俺はなす術もなく、何ならサーシャを巻き込んで暗闇へと落ちていった。まともに着地できずに尻から落っこちた俺は、その痛さに臀部をさすりながら立ち上がる。
「...サーシャ、大丈夫か?」
「ええ、一応...」
しっかり水で自身を受け止めていたサーシャは安全を確保できているようだ。一応どころか完全に大丈夫だった。俺が安堵したのも束の間、暗闇になれた目は巨大な魔物を映した。更にそこらを舞い散っていた砂塵が落ち着くと、上から差し込む日光がその怪物の全貌を明らかにする。
アリジゴク。ウスバカゲロウの幼虫。縁の下などの乾いた土に、すりばち形の穴を掘り、滑り落ちたアリの体液を吸う。
俺たちの何倍にも大きいそれは、俺たちを見とめるとカチカチと顎を鳴らした。妙に高い音が俺の耳を襲う。
「あれは、怒っているのでしょうか...」
「いや、歓迎しているんだと。...あれは食事を目前にして喜んでる顔だ」
教室ほどの広さの空間で、一体と二人の睨み合いが始まった。
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
[水平線]
〈世界観memo〉
「アンデッド」
死体が供養されることなく、一定期間経過して動き出したものを言う。彼らは基本頭部を潰してしまえば動作を停止する。どんな生物でもアンデッドになる可能性は大いにある。全ての死体がアンデッドと化すとは限らない。アンデッドには肉体が残っているゾンビ型と骨のみのスケルトン型が存在する。