放浪の水魔法使い
ひとしきり感情を露わにしたサーシャは流石に泣き疲れたようで、眠ってしまった。サーシャに何もかも頼りきりになってしまっていた分、いざサーシャの力が無くなっている今、俺にできる事は何か考える。魔法の使い方は何も教わっていないが、今のサーシャを置いておくのは危険だ。独学でも、たとえどんなに下手でも、今だけは、俺がこの娘を守ってやらなければ。サーシャは涙で目を腫らしながら、スースーと規則正しく、しかし苦しそうに寝息を立てていた。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
一人でこんなところに転移してきてさぞ心細かったろう。手に取るようにその気持ちが分かる私は、彼と一緒にいてやろうと、できるだけ見守ってやろうと、与える立場として共に時間を過ごした。本当に寂しかったのは私の筈なのに。彼の笑顔には幾度か勇気をもらった。だからお礼にこの世界に興味を持つ彼に、属性確認を教えることにした。魔法使いは一つしか属性を持たないため、魔力の扱い方しか教える事はできないが出来る限りのことはしてあげたい。そう思っていた。なのに。なのに彼の体は青く、青く発光した。
ダメだ。それは彼女の色だ。そんなことはあってはならない。訳が分からなくなった私はブツブツと譫言のように呟いた。[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]は世界に二人しか存在しない。そしてその枠は既に埋まっている。けれど私の目の前の青年は水属性だった。そのことが意味することを悟った私は、戦慄した。そうしていつまで言葉を繰り返したかは分からないが、私はいつの間にか眠りに落ちていた。深く不快な夢を見た。これは私の今までの話。これは私の過去の話。
[中央寄せ]◆ ◆ ◆[/中央寄せ]
私は、いや私たちは平凡な家庭で生まれた。物騒な事柄とは縁遠い、平和な家庭。優しい[漢字]生魔法使い[/漢字][ふりがな]アニマ[/ふりがな]の母と、頼りになる[漢字]地魔法使い[/漢字][ふりがな]テラ[/ふりがな]の父は自分たちに生まれた双子の娘をそれぞれ、姉を「サーシャ」、妹を「イーシャ」と名付けて、それはそれは可愛がった。母譲りの青髪と父譲りの金眼はいつまでも、私たちの誇りだ。
そして転機が訪れたのは、私が七歳になってのことだった。顔はそっくりだが性格が正反対の私たちは、親でなくとも判別することができた。その日もイーシャが外に遊びに行くのを玄関まで見送ってから、私は部屋で読書に耽った。その時手に取った本は「魔法の発生とその確認について」。
一般に魔法とは十八歳になることで顕現し、その確認を当日の0時きっかりに教会で行うこととなっているのだ。用意された水晶玉に手をかざすことで対象者の「体力」「魔力」「気力」そして「属性」の四つを計測する。
しかし稀に十八歳になる前に魔法が顕現する者がいる。私がそうだった。その書籍に書いてあった簡単な識別方法である属性確認は「エレメント」と力を込めて言うだけで良いということだった。七歳の私は遊び感覚で鏡の前に立ち、その言葉を発した。そこに映った私の体は青く光っていた。私の顔は歪み、膝がガクガクと小刻みに震えていた。読書が趣味の私は[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]がどのように見られるかをよく理解していた。これではまともに生きて行けない。何とか物にして「[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]」のフリをしよう。それで真っ当に生き抜こう。そう思った矢先、私は一つの事実に思い当たる。いつか読んだ本に書いてあったことだ。
「双子の魔法使いは必ず同じ属性を持つ」
双子の妹イーシャ。つまりあの娘も同じなのだ。私は妹にも早く属性確認をさせようと、帰りを待った。私が魔法を使えないフリをするなら、彼女もそうでなくてはならない。すぐに二人とも魔法の扱いをマスターしなければ。私は使命感に駆られる。
しかしイーシャの魔法はまだ顕現していなかった。水属性であることは確定しているのに制御を覚える段階に到達しない。とはいえまだ十年ある。焦りすぎずにまずは自分の力を磨こう。私は両手で頬をパチンと叩き、気合を入れた。
だが私の考えとは逆に、いつまで経ってもイーシャの魔法は顕現しない。何度試してもその兆しが見えないイーシャに、私は理不尽にも苛立ちを覚えた。
「なんで、なんで現れないのよ...」
三ヶ月、一ヶ月、二週間、一週間。属性確認のペースが段々と狭まるのを感じたイーシャは、私を心配そうに見つめる。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
そう笑って私は誤魔化した。本当は笑えることなんて何一つないのに。思えば私が他人に自分のことを話さなくなったのはこれが原因なのだろう。日に日に元気を失っていく私を、イーシャだけでなく両親も気に掛けた。誰にも相談できないまま問題を抱えた私は押しつぶされてしまいそうだった。
私の魔法の顕現から十年が経った。十七歳になってもイーシャに変化はなかった。私を鏡に映したような見た目だというのに。しかし鏡は像を反転させる。性格も反対であるならば、イーシャが早期顕現をしないのは一貫性があると言えよう。
後一年しか猶予はないと言うのに。今日明日で反応を示さなければ、魔力を隠すことが出来るほどの実力は身に付けられない。いつかは小さな焦りだったそれは、今や私の心を蝕み尽くしていた。趣味に時間を費やす事はなく、図書館に入り浸っては顕現を早める方法はないか、魔法の扱いをすぐに習得できる方法はないかと本を探し回った。
「あ、もうこれ読んだことある...」
しかし何も収穫はなく、それが私の苛立ちを加速させる。春も夏も秋も冬も友達など作らずに勉強を重ね魔法も魔術も練習を重ねて。私の技術だけが上がっていく、だが今の私が欲しているものではなかった。
やはりイーシャには何の反応もないまま、ついに私たちが十八歳になる前日となった。イーシャは何も知らず、無垢な笑顔で両親と自分が何魔法使いであるかといったような会話していた。そして会話の矛先はこちらへと向いた。煌めく金眼をより一層輝かせたイーシャは私に訊く。
「ねえ、お姉ちゃん!私たち、何属性だと思う?」
私は息を詰まらせる。今の私にはその質問以上に残酷なものはないように思われた。決して叶うことなどないのは分かっているのに、私は眉を下げて笑う。でもそれが偽りのない、私の本心だった。
「ん、そうだね。水属性じゃなきゃ何でもいいかな」
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
「ではサーシャ・ウォーテルさん。どうぞこちらへ」
狐のように細い目をした司教様に呼ばれた私はそれに従って階段を登る。私にはこの人間を見透かす水晶玉を騙し抜く自信があった。数段しかないそれをすぐに登り終え、壇上に立った私は水晶へと手をかざす。やはり水晶は光ることなく、文字のみを映した。司教様は眼鏡を上げて、そこに映し出された文字を読む。
「体力75、ですか。まあ気にしないでください。後で顕現する場合もありますし、[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]であったとしてもできることは沢山あります。あなたはまだ若いのですから。それに女子平均体力は60前後です。自信を持ってください」
困ったようにフォローを入れる司教に私は軽く会釈した。正直私のことなんてどうでも良かった。そして次はイーシャの番。名前を呼ばれる。
「次、イーシャ・ウォーテルさん。おお、すごく似ていらっしゃいますね」
もう顔は確認してある筈なのに、わざとらしくそう言う司教は人が良さそうに見えた。イーシャは元気よく返事をすると、一歩前に踏み出した。
待って。言葉は喉に引っかかり、代わりに息が吐き出される。中途半端に伸ばされた腕の力が、まるで諦めたかのようにだらんと抜けた。イーシャはイタズラっぽく笑って振り向いた。
「エヘヘ、お姉ちゃん。そんなに気を落とさないで。あたしが魔法を教えてあげるからさっ」
「......うん」
せめて。せめて今は顕現しないでくれ。二ヶ月先には引き延ばせるから。階段の真ん中に敷かれた真っ赤なカーペットがイーシャの行く道を示す。その上をイーシャは弾むように歩く。軽やかに段を登る。
「では、どうぞ」
イーシャが手を水晶にかざすまでの動作は、私の目には酷くスローモーションに見えた。そしてその透明な球は、はっきりと青色に光った。司教は細かった目を更に細くする。そして先ほどまでの柔らかな声を低くして告げた。
「ウォーテル家の双子。あなたたちを可及的速やかに捕縛、連行します。大人しくしてください」
ああ、人間というのは愚かしく浅ましい。自身の理解できないものを恐れて排斥する。排除する。私もそんな生物の一員であるという事実がただただ不快だった。
イーシャは自分が水晶を青く光らせたことを信じていないのか、戸惑って後ろへ下がり階段から転げ落ちた。そしてイーシャは目を閉じ耳を塞ぎ蹲って、情報を遮断した。そして「やだよぉ」と泣きながら背後に小さな水の球を五つほど生成した。
「ダメッ!イーシャ‼︎」
私の静止は届かず、イーシャはその球から鋭く水を射出する。つい先ほど手に入れたばかりとは思えないその正確さに、司教は目を薄く開ける。
「抵抗しますか。仕方がない、処刑を実行します」
イーシャが放った魔法に対して弄ぶように同じ数の火球を飛ばす司教。その全てが水銃を蒸発させながら進み、水の球を消し飛ばした。水蒸気が立ち込める。前が見えにくくなったその時、蒸気の奥に赤く光るものが見えた。気づいた時にはそれは放たれており、拳大の火の球はイーシャの足元に着弾して、爆ぜた。その爆発力はイーシャを気絶させるには十分で、カーペットを燃やして床まで焦がした。右へ吹き飛ばされ、壁にぶつかってから床へ落ちたイーシャを冷酷に見下ろす司教には、血が通っているようには思えなかった。
「あなたは魔力も気力もある。......ただ、それだけです」
そして司教は人差し指を立てた手を頭の上に掲げると、自身の頭部ほどの大きさの火球を生成した。この人は本当にイーシャを殺すつもりだ。私は走り出して二人の間に滑り込む。庇って手を広げる私を心底つまらなさそうに見る司教に、私は怯まず睨み返す。
「何のつもりですか」
「妹はもう戦えません。わざわざ殺す必要もないでしょう。どうせ私たちが死んでも次が生まれるんですから」
「はあ、そうですか。まぁ私も人殺しは趣味ではありませんが」
「だから、どうぞ捕らえてください。この娘も混乱していなければきっと攻撃なんてしません。姉の私が保証します」
「.......私の一存で決めて良いものか、いやまあいいでしょう」
私の言葉に頷いた司教に少しばかり安堵する。司教は「ただし」と言葉を続けた。
「ただしあなたは転移させます」
「分かりました、それで構いません」
そこで大人しく待っているよう指示された私は、司教の隙を窺う。しかし魔法を使えないと判断された筈の私にすら油断する事はなく、着々と魔法陣の準備を始めた。下手に動いたらイーシャが危険であることは自明の理。従順な私に満足したか、司教は笑みを浮かべて私に転移陣に乗るよう案内する。
「さて、あなたは今から砂漠へ飛ばされます。下手をしたら死ぬ場合もあります。どうぞお気をつけて。そして感謝してくださいよ、私も下手をしたら物理的に首が飛びかねませんから。そう怖い顔をしないで安心してください、妹さんは責任を持って管理します」
心にもなさそうなことを言って、彼は私に簡単な「説明書」を渡した。そして私はこの砂漠へと飛ばされたのだった。
一週間の放浪を経て、その七日間でようやく溜まった気力を使って助けた瀕死の少年は何故か
[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]だった。
[中央寄せ]◇ ◇ ◇[/中央寄せ]
そうして私は長い長い夢から目を覚ました。
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
[水平線]
〈説明書の内容〉
さて私はあなたに詫びなければなりません。あなたの魔力に水晶は反応しませんでしたね。魔力隠蔽はとても高い技術だ。私は危険に思い、気付かぬフリをしてあなたをそこに送ってしまった。謝ります。
では簡単に状況を書き記します。
・砂漠(結界により終わりがない)
・魔物は存在する
・転送と同時にあなたの気力を奪い、回復をかなり遅くする呪いをかけた
大体のことは以上です。イーシャさんの安全は保証します。
[水平線]
〈世界観memo〉
「呪い」
魔術の中でも相手に不都合な状態異常をかけるものを言う。
「[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]」
魔法を使えない者を差す言葉。蔑称ではない。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
一人でこんなところに転移してきてさぞ心細かったろう。手に取るようにその気持ちが分かる私は、彼と一緒にいてやろうと、できるだけ見守ってやろうと、与える立場として共に時間を過ごした。本当に寂しかったのは私の筈なのに。彼の笑顔には幾度か勇気をもらった。だからお礼にこの世界に興味を持つ彼に、属性確認を教えることにした。魔法使いは一つしか属性を持たないため、魔力の扱い方しか教える事はできないが出来る限りのことはしてあげたい。そう思っていた。なのに。なのに彼の体は青く、青く発光した。
ダメだ。それは彼女の色だ。そんなことはあってはならない。訳が分からなくなった私はブツブツと譫言のように呟いた。[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]は世界に二人しか存在しない。そしてその枠は既に埋まっている。けれど私の目の前の青年は水属性だった。そのことが意味することを悟った私は、戦慄した。そうしていつまで言葉を繰り返したかは分からないが、私はいつの間にか眠りに落ちていた。深く不快な夢を見た。これは私の今までの話。これは私の過去の話。
[中央寄せ]◆ ◆ ◆[/中央寄せ]
私は、いや私たちは平凡な家庭で生まれた。物騒な事柄とは縁遠い、平和な家庭。優しい[漢字]生魔法使い[/漢字][ふりがな]アニマ[/ふりがな]の母と、頼りになる[漢字]地魔法使い[/漢字][ふりがな]テラ[/ふりがな]の父は自分たちに生まれた双子の娘をそれぞれ、姉を「サーシャ」、妹を「イーシャ」と名付けて、それはそれは可愛がった。母譲りの青髪と父譲りの金眼はいつまでも、私たちの誇りだ。
そして転機が訪れたのは、私が七歳になってのことだった。顔はそっくりだが性格が正反対の私たちは、親でなくとも判別することができた。その日もイーシャが外に遊びに行くのを玄関まで見送ってから、私は部屋で読書に耽った。その時手に取った本は「魔法の発生とその確認について」。
一般に魔法とは十八歳になることで顕現し、その確認を当日の0時きっかりに教会で行うこととなっているのだ。用意された水晶玉に手をかざすことで対象者の「体力」「魔力」「気力」そして「属性」の四つを計測する。
しかし稀に十八歳になる前に魔法が顕現する者がいる。私がそうだった。その書籍に書いてあった簡単な識別方法である属性確認は「エレメント」と力を込めて言うだけで良いということだった。七歳の私は遊び感覚で鏡の前に立ち、その言葉を発した。そこに映った私の体は青く光っていた。私の顔は歪み、膝がガクガクと小刻みに震えていた。読書が趣味の私は[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]がどのように見られるかをよく理解していた。これではまともに生きて行けない。何とか物にして「[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]」のフリをしよう。それで真っ当に生き抜こう。そう思った矢先、私は一つの事実に思い当たる。いつか読んだ本に書いてあったことだ。
「双子の魔法使いは必ず同じ属性を持つ」
双子の妹イーシャ。つまりあの娘も同じなのだ。私は妹にも早く属性確認をさせようと、帰りを待った。私が魔法を使えないフリをするなら、彼女もそうでなくてはならない。すぐに二人とも魔法の扱いをマスターしなければ。私は使命感に駆られる。
しかしイーシャの魔法はまだ顕現していなかった。水属性であることは確定しているのに制御を覚える段階に到達しない。とはいえまだ十年ある。焦りすぎずにまずは自分の力を磨こう。私は両手で頬をパチンと叩き、気合を入れた。
だが私の考えとは逆に、いつまで経ってもイーシャの魔法は顕現しない。何度試してもその兆しが見えないイーシャに、私は理不尽にも苛立ちを覚えた。
「なんで、なんで現れないのよ...」
三ヶ月、一ヶ月、二週間、一週間。属性確認のペースが段々と狭まるのを感じたイーシャは、私を心配そうに見つめる。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
そう笑って私は誤魔化した。本当は笑えることなんて何一つないのに。思えば私が他人に自分のことを話さなくなったのはこれが原因なのだろう。日に日に元気を失っていく私を、イーシャだけでなく両親も気に掛けた。誰にも相談できないまま問題を抱えた私は押しつぶされてしまいそうだった。
私の魔法の顕現から十年が経った。十七歳になってもイーシャに変化はなかった。私を鏡に映したような見た目だというのに。しかし鏡は像を反転させる。性格も反対であるならば、イーシャが早期顕現をしないのは一貫性があると言えよう。
後一年しか猶予はないと言うのに。今日明日で反応を示さなければ、魔力を隠すことが出来るほどの実力は身に付けられない。いつかは小さな焦りだったそれは、今や私の心を蝕み尽くしていた。趣味に時間を費やす事はなく、図書館に入り浸っては顕現を早める方法はないか、魔法の扱いをすぐに習得できる方法はないかと本を探し回った。
「あ、もうこれ読んだことある...」
しかし何も収穫はなく、それが私の苛立ちを加速させる。春も夏も秋も冬も友達など作らずに勉強を重ね魔法も魔術も練習を重ねて。私の技術だけが上がっていく、だが今の私が欲しているものではなかった。
やはりイーシャには何の反応もないまま、ついに私たちが十八歳になる前日となった。イーシャは何も知らず、無垢な笑顔で両親と自分が何魔法使いであるかといったような会話していた。そして会話の矛先はこちらへと向いた。煌めく金眼をより一層輝かせたイーシャは私に訊く。
「ねえ、お姉ちゃん!私たち、何属性だと思う?」
私は息を詰まらせる。今の私にはその質問以上に残酷なものはないように思われた。決して叶うことなどないのは分かっているのに、私は眉を下げて笑う。でもそれが偽りのない、私の本心だった。
「ん、そうだね。水属性じゃなきゃ何でもいいかな」
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
「ではサーシャ・ウォーテルさん。どうぞこちらへ」
狐のように細い目をした司教様に呼ばれた私はそれに従って階段を登る。私にはこの人間を見透かす水晶玉を騙し抜く自信があった。数段しかないそれをすぐに登り終え、壇上に立った私は水晶へと手をかざす。やはり水晶は光ることなく、文字のみを映した。司教様は眼鏡を上げて、そこに映し出された文字を読む。
「体力75、ですか。まあ気にしないでください。後で顕現する場合もありますし、[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]であったとしてもできることは沢山あります。あなたはまだ若いのですから。それに女子平均体力は60前後です。自信を持ってください」
困ったようにフォローを入れる司教に私は軽く会釈した。正直私のことなんてどうでも良かった。そして次はイーシャの番。名前を呼ばれる。
「次、イーシャ・ウォーテルさん。おお、すごく似ていらっしゃいますね」
もう顔は確認してある筈なのに、わざとらしくそう言う司教は人が良さそうに見えた。イーシャは元気よく返事をすると、一歩前に踏み出した。
待って。言葉は喉に引っかかり、代わりに息が吐き出される。中途半端に伸ばされた腕の力が、まるで諦めたかのようにだらんと抜けた。イーシャはイタズラっぽく笑って振り向いた。
「エヘヘ、お姉ちゃん。そんなに気を落とさないで。あたしが魔法を教えてあげるからさっ」
「......うん」
せめて。せめて今は顕現しないでくれ。二ヶ月先には引き延ばせるから。階段の真ん中に敷かれた真っ赤なカーペットがイーシャの行く道を示す。その上をイーシャは弾むように歩く。軽やかに段を登る。
「では、どうぞ」
イーシャが手を水晶にかざすまでの動作は、私の目には酷くスローモーションに見えた。そしてその透明な球は、はっきりと青色に光った。司教は細かった目を更に細くする。そして先ほどまでの柔らかな声を低くして告げた。
「ウォーテル家の双子。あなたたちを可及的速やかに捕縛、連行します。大人しくしてください」
ああ、人間というのは愚かしく浅ましい。自身の理解できないものを恐れて排斥する。排除する。私もそんな生物の一員であるという事実がただただ不快だった。
イーシャは自分が水晶を青く光らせたことを信じていないのか、戸惑って後ろへ下がり階段から転げ落ちた。そしてイーシャは目を閉じ耳を塞ぎ蹲って、情報を遮断した。そして「やだよぉ」と泣きながら背後に小さな水の球を五つほど生成した。
「ダメッ!イーシャ‼︎」
私の静止は届かず、イーシャはその球から鋭く水を射出する。つい先ほど手に入れたばかりとは思えないその正確さに、司教は目を薄く開ける。
「抵抗しますか。仕方がない、処刑を実行します」
イーシャが放った魔法に対して弄ぶように同じ数の火球を飛ばす司教。その全てが水銃を蒸発させながら進み、水の球を消し飛ばした。水蒸気が立ち込める。前が見えにくくなったその時、蒸気の奥に赤く光るものが見えた。気づいた時にはそれは放たれており、拳大の火の球はイーシャの足元に着弾して、爆ぜた。その爆発力はイーシャを気絶させるには十分で、カーペットを燃やして床まで焦がした。右へ吹き飛ばされ、壁にぶつかってから床へ落ちたイーシャを冷酷に見下ろす司教には、血が通っているようには思えなかった。
「あなたは魔力も気力もある。......ただ、それだけです」
そして司教は人差し指を立てた手を頭の上に掲げると、自身の頭部ほどの大きさの火球を生成した。この人は本当にイーシャを殺すつもりだ。私は走り出して二人の間に滑り込む。庇って手を広げる私を心底つまらなさそうに見る司教に、私は怯まず睨み返す。
「何のつもりですか」
「妹はもう戦えません。わざわざ殺す必要もないでしょう。どうせ私たちが死んでも次が生まれるんですから」
「はあ、そうですか。まぁ私も人殺しは趣味ではありませんが」
「だから、どうぞ捕らえてください。この娘も混乱していなければきっと攻撃なんてしません。姉の私が保証します」
「.......私の一存で決めて良いものか、いやまあいいでしょう」
私の言葉に頷いた司教に少しばかり安堵する。司教は「ただし」と言葉を続けた。
「ただしあなたは転移させます」
「分かりました、それで構いません」
そこで大人しく待っているよう指示された私は、司教の隙を窺う。しかし魔法を使えないと判断された筈の私にすら油断する事はなく、着々と魔法陣の準備を始めた。下手に動いたらイーシャが危険であることは自明の理。従順な私に満足したか、司教は笑みを浮かべて私に転移陣に乗るよう案内する。
「さて、あなたは今から砂漠へ飛ばされます。下手をしたら死ぬ場合もあります。どうぞお気をつけて。そして感謝してくださいよ、私も下手をしたら物理的に首が飛びかねませんから。そう怖い顔をしないで安心してください、妹さんは責任を持って管理します」
心にもなさそうなことを言って、彼は私に簡単な「説明書」を渡した。そして私はこの砂漠へと飛ばされたのだった。
一週間の放浪を経て、その七日間でようやく溜まった気力を使って助けた瀕死の少年は何故か
[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]だった。
[中央寄せ]◇ ◇ ◇[/中央寄せ]
そうして私は長い長い夢から目を覚ました。
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
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〈説明書の内容〉
さて私はあなたに詫びなければなりません。あなたの魔力に水晶は反応しませんでしたね。魔力隠蔽はとても高い技術だ。私は危険に思い、気付かぬフリをしてあなたをそこに送ってしまった。謝ります。
では簡単に状況を書き記します。
・砂漠(結界により終わりがない)
・魔物は存在する
・転送と同時にあなたの気力を奪い、回復をかなり遅くする呪いをかけた
大体のことは以上です。イーシャさんの安全は保証します。
[水平線]
〈世界観memo〉
「呪い」
魔術の中でも相手に不都合な状態異常をかけるものを言う。
「[漢字]非所持者[/漢字][ふりがな]ミノル[/ふりがな]」
魔法を使えない者を差す言葉。蔑称ではない。