放浪の水魔法使い
「右から何か来ます!」
サーシャに言われるまで気が付かなかった。木々の間から現れたオークの目は、他の考えを一切捨てて、獲物を狙うことに絞っているようだった。血走った目は赤い瞳を更に赤くさせ、天へと伸びていきそうな牙は敵を突き殺す為に生えているみたいだ。本能的に危険を察知したものの、まだ幾分か距離がある。考えを巡らせるには十分だろう。まずはあの振りかぶった斧をどう対処するか──
「っ!?」
ビュンッと真横を鋭利な刃物が通り過ぎた。あまりの事態に頭が真っ白になり、数秒硬直する。まさか投擲するとは思っていなかった。さっきので死んでいても何もおかしくなかった。ツーっと冷や汗が顎まで垂れる。どうする、油断はできない。そう考えた矢先。
「水城さんっ!後ろから!」
「え?」
首を狙うようにに斧が横回転して戻ってくる。ブーメランのように往復して攻撃する斧はすぐそこまで差し迫っていた。それを間一髪、しゃがんで躱すと隙を見せまいとオークの方へ体を捻る。しかし一手遅かった。オークは左手で飛んできた斧を掴む。それによって生まれた回転を利用して、強い打撃を入れようとしていた。というか、入れられた。
ガードが遅れて、強烈なパンチを腹にもらう。あまりの勢いに呻き声を上げることすらままならない。ヒュッと喉から空気が漏れる音がして無様に地を転がり回ると、そのまま木にぶつかる。そのまま横向きになって蹲りながらも、目だけは敵を捉える。口に広がる血の味土の味。不快な表情を隠すこともせず立ち上がる。幸いどこも折れていないようだ。パッパッと身体中あちこちについた土を適当に払うと、感じる痛みをそのままにオークの元へ戻っていく。
「私たちが戦った方が...」
「でも魔法を使うべきじゃないだろ」
「ならせめてウスハと一緒に」
「...ああ、分かった」
策はない。次の投擲を避けられる確証も。自分でなんとかしようと思っていたが、くだらないプライドで命を落としては笑えない。寧ろ笑い者にされるかもしれない。それが嫌だから、と言うわけではないが冷静に考えてウスハと共に戦闘するのがベストだろう。
「ウスハ、好きに戦ってくれ。俺が合わせる」
「戦闘経験浅い割にはそれっぽいこと言うね」
「余計なこと言うな。恥ずかしいだろうが」
俺が言い終わる前に、ウスハは自分だけが足をつけていない土を操り始める。軽く納得のいっていなそうな顔で首を傾げるウスハ。
「やっぱ砂の方がやりやすい、ねっ!」
語尾に力を入れながら、土の弾を放つ。自分で言うように土の扱いは慣れていないようで、不恰好な土塊はその身をボロボロと崩しながら飛んでいく。それをはっきりと目に映したオークは、手にした斧で土をぶった斬ろうとした。が、しかし。地に対して垂直に下ろされた斧はスカッと空のみを斬った。斧を避けるように二つに分裂した土が、その形を変える。見るからに鋭利な尖端をもつ土が人型の豚に襲いかかった。ウスハの狙い通りだったのだろう。オークの両肩ドンピシャに突き刺さった土の円錐を見て、ウスハはガッツポーズをした。
「良かったぁ〜ちゃんと刺さって!ゴーレムが硬すぎて、正直ボク、自信無くしてたんだよね」
「よし、このまま行くぞ」
ウスハの攻撃によって生まれた隙。その間に俺はちょうど良さそうな魔術を見つけ、ページを破って駆け出した。しかし前へ前へと繰り出す足は、即座に後ろへ切り替わる。
「嘘だろ...?」
オークは両腕に力を入れることで、肩に刺さった棘を粉砕した。パラパラと落ちていく土を見て、ようやくコイツの恐ろしさが分かる。先ほど明るい顔をしていたウスハのことを思い出して横を見てみると、ぬか喜びだったことを理解して肩を落としているようだった。ドンマイ。
しかし、恐怖に後退してしまったものの、距離を取ればまた拾った斧を投げられてしまう。魔術、どう使えば良いか分からないし、今の俺には向いてないな。だから、今の俺にできる精一杯をやらせてもらおう。
「ッ!?」
オークの驚いたような唸り声がこだました。
警戒されないように魔力を抑えて隠しておいて良かった。暗い森を照らしていた明かりをオークの目の前へ素早く移動させて視界を奪う。眩しさに目を瞑ったオークが次に目を開けると、俺とサーシャの姿を見とめた。しかしもう一匹いた筈だ、と怪しみでもするように首を動かす。
「どうした?ウスハならさっきからお前の頭の上にいるぜ」
ウスハは自身に固めた土で巨大な腕を作っていた。どうみてもアンバランスなそれをオークが防ぐ間もなく叩き込む。つい数分前の俺ほどではないが、オークが派手に吹っ飛んだ。開けた場所から木々がより生い茂ったところまで転げる。俺はそれを逃すまいと全速力で追いかけると、左手を仰向けに倒れているオークの方へ向け、右手を横に堂々と生えている木に触れた。すぐさま起き上がり、俺の首筋を狙って斧を横に薙ぐオークを見計らって唱えた。
『[漢字]複製[/漢字][ふりがな]コピー[/ふりがな]』
オークの顎下から勢いよく突き上がった木は、さながらアッパーでもしているようだった。顎を突かれ宙を舞うオークが大きな音を立てて地に落ちる。揺れる大地に驚きつつも、まだ死んでいない敵を完全に屠るためにまた走り出す。口元から血をダラダラと流すオークは少々哀れであった。そのまま見続けていたら情が湧いてしまいそうで、そうならない為にも俺はサーシャの持っていたナイフを受け取った。
けれど、少し遅かった。俺が情けの感情を捨て切るには、少し遅かった。その心の臓に今すぐ突き立てようと構えられたナイフはカタカタ震えている。俺の目は何本かの木を追い越した先にある一点に向けられている。
こいつは魔物で敵対したら殺すか死ぬか。自分勝手な事情の押し付け合いで、それをおかしく感じようと、悔しいだろうが仕方ないんだ、と相手に言っているのか自分に言い聞かせているのかも分からないけれど、それでも納得しようとしていた。しかしそれも、向こうで自分の親が今にも殺されそうになっている姿を目撃した子を見たら、逡巡してしまった。
「水城さん?何、してるんですか?」
サーシャは固まった俺に声を掛け、そして俺と同じものを見た。はっと息を呑む音がして、サーシャが呟いた。
「ど、どうしましょう...」
「そんなの、殺せばいいんだよ」
ドスッと肉を割く音がした。その音に子オークから視線を外すと、オークの横腹に深々と土の棘が刺さっていた。棘には赤い血が滲んでいて、それは端の方へと広がっていく。もうこのオークが助かることはないだろう。それでも、オークはまだ息をしていた。ウスハは心底くだらないものでも見るかのようにそれを見下ろす。
「必死で生きようとする姿は醜いね。トドメ、刺しちゃうよ?」
それは確認ではなくて、ただの宣言のように思えた。この短期間で物凄く仲良くなった気がした。否、実際に仲良くなった。だが魔物というのは、どこまでいっても魔物なんだな、とも思った。俺はウスハを責めるつもりはないし、そんな権利もないと思う。ただうじうじと迷う俺たちの代わりにはっきりと答えを示してくれただけのこと。悪いのはきっと俺だ。しかしサーシャはそれにかぶりを振ると、否定した。
「いいえ、私がやります。そのくらいはさせてください。誰もいないようですし、魔法を使いますね」
サーシャはゆっくりとオークの顔へ両手を向けると、謝罪でもしているかのように瞼を閉じた。
「穿て」
バシュッという音と共に一つの命が絶えた。俺は子オークの方を見ることができなかった。どころか誰の顔だって見られる気がしなかった。神妙な顔をする俺たちを労るように、ウスハは無理に明るい声を出す。
「でもさ、仕方ないじゃん。相手に子供がいるからってボクたちが死んでちゃどうしようもないでしょ?二人が死んで悲しむ人だっているんだからさ」
「分かってるつもりなんだけどなぁ...」
俺の弱々しい声は森の中の空気に溶け込み、代わりにパキリと枝の折れる音が響いた。三人ともはっとして音の鳴った方向を向いた。
そこには少し背の低い金髪の、礼儀正しそうな少年が両手をあげて立っていた。
「いやー、あはは...。僕、盗み見るつもりは全くなかったんですけど......」
少年は俺たちを笑顔も崩さず順に見ていくと、もう少しだけ口角を上げた。
「まさか[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]と遭遇するとは思いませんでしたよ」
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
サーシャに言われるまで気が付かなかった。木々の間から現れたオークの目は、他の考えを一切捨てて、獲物を狙うことに絞っているようだった。血走った目は赤い瞳を更に赤くさせ、天へと伸びていきそうな牙は敵を突き殺す為に生えているみたいだ。本能的に危険を察知したものの、まだ幾分か距離がある。考えを巡らせるには十分だろう。まずはあの振りかぶった斧をどう対処するか──
「っ!?」
ビュンッと真横を鋭利な刃物が通り過ぎた。あまりの事態に頭が真っ白になり、数秒硬直する。まさか投擲するとは思っていなかった。さっきので死んでいても何もおかしくなかった。ツーっと冷や汗が顎まで垂れる。どうする、油断はできない。そう考えた矢先。
「水城さんっ!後ろから!」
「え?」
首を狙うようにに斧が横回転して戻ってくる。ブーメランのように往復して攻撃する斧はすぐそこまで差し迫っていた。それを間一髪、しゃがんで躱すと隙を見せまいとオークの方へ体を捻る。しかし一手遅かった。オークは左手で飛んできた斧を掴む。それによって生まれた回転を利用して、強い打撃を入れようとしていた。というか、入れられた。
ガードが遅れて、強烈なパンチを腹にもらう。あまりの勢いに呻き声を上げることすらままならない。ヒュッと喉から空気が漏れる音がして無様に地を転がり回ると、そのまま木にぶつかる。そのまま横向きになって蹲りながらも、目だけは敵を捉える。口に広がる血の味土の味。不快な表情を隠すこともせず立ち上がる。幸いどこも折れていないようだ。パッパッと身体中あちこちについた土を適当に払うと、感じる痛みをそのままにオークの元へ戻っていく。
「私たちが戦った方が...」
「でも魔法を使うべきじゃないだろ」
「ならせめてウスハと一緒に」
「...ああ、分かった」
策はない。次の投擲を避けられる確証も。自分でなんとかしようと思っていたが、くだらないプライドで命を落としては笑えない。寧ろ笑い者にされるかもしれない。それが嫌だから、と言うわけではないが冷静に考えてウスハと共に戦闘するのがベストだろう。
「ウスハ、好きに戦ってくれ。俺が合わせる」
「戦闘経験浅い割にはそれっぽいこと言うね」
「余計なこと言うな。恥ずかしいだろうが」
俺が言い終わる前に、ウスハは自分だけが足をつけていない土を操り始める。軽く納得のいっていなそうな顔で首を傾げるウスハ。
「やっぱ砂の方がやりやすい、ねっ!」
語尾に力を入れながら、土の弾を放つ。自分で言うように土の扱いは慣れていないようで、不恰好な土塊はその身をボロボロと崩しながら飛んでいく。それをはっきりと目に映したオークは、手にした斧で土をぶった斬ろうとした。が、しかし。地に対して垂直に下ろされた斧はスカッと空のみを斬った。斧を避けるように二つに分裂した土が、その形を変える。見るからに鋭利な尖端をもつ土が人型の豚に襲いかかった。ウスハの狙い通りだったのだろう。オークの両肩ドンピシャに突き刺さった土の円錐を見て、ウスハはガッツポーズをした。
「良かったぁ〜ちゃんと刺さって!ゴーレムが硬すぎて、正直ボク、自信無くしてたんだよね」
「よし、このまま行くぞ」
ウスハの攻撃によって生まれた隙。その間に俺はちょうど良さそうな魔術を見つけ、ページを破って駆け出した。しかし前へ前へと繰り出す足は、即座に後ろへ切り替わる。
「嘘だろ...?」
オークは両腕に力を入れることで、肩に刺さった棘を粉砕した。パラパラと落ちていく土を見て、ようやくコイツの恐ろしさが分かる。先ほど明るい顔をしていたウスハのことを思い出して横を見てみると、ぬか喜びだったことを理解して肩を落としているようだった。ドンマイ。
しかし、恐怖に後退してしまったものの、距離を取ればまた拾った斧を投げられてしまう。魔術、どう使えば良いか分からないし、今の俺には向いてないな。だから、今の俺にできる精一杯をやらせてもらおう。
「ッ!?」
オークの驚いたような唸り声がこだました。
警戒されないように魔力を抑えて隠しておいて良かった。暗い森を照らしていた明かりをオークの目の前へ素早く移動させて視界を奪う。眩しさに目を瞑ったオークが次に目を開けると、俺とサーシャの姿を見とめた。しかしもう一匹いた筈だ、と怪しみでもするように首を動かす。
「どうした?ウスハならさっきからお前の頭の上にいるぜ」
ウスハは自身に固めた土で巨大な腕を作っていた。どうみてもアンバランスなそれをオークが防ぐ間もなく叩き込む。つい数分前の俺ほどではないが、オークが派手に吹っ飛んだ。開けた場所から木々がより生い茂ったところまで転げる。俺はそれを逃すまいと全速力で追いかけると、左手を仰向けに倒れているオークの方へ向け、右手を横に堂々と生えている木に触れた。すぐさま起き上がり、俺の首筋を狙って斧を横に薙ぐオークを見計らって唱えた。
『[漢字]複製[/漢字][ふりがな]コピー[/ふりがな]』
オークの顎下から勢いよく突き上がった木は、さながらアッパーでもしているようだった。顎を突かれ宙を舞うオークが大きな音を立てて地に落ちる。揺れる大地に驚きつつも、まだ死んでいない敵を完全に屠るためにまた走り出す。口元から血をダラダラと流すオークは少々哀れであった。そのまま見続けていたら情が湧いてしまいそうで、そうならない為にも俺はサーシャの持っていたナイフを受け取った。
けれど、少し遅かった。俺が情けの感情を捨て切るには、少し遅かった。その心の臓に今すぐ突き立てようと構えられたナイフはカタカタ震えている。俺の目は何本かの木を追い越した先にある一点に向けられている。
こいつは魔物で敵対したら殺すか死ぬか。自分勝手な事情の押し付け合いで、それをおかしく感じようと、悔しいだろうが仕方ないんだ、と相手に言っているのか自分に言い聞かせているのかも分からないけれど、それでも納得しようとしていた。しかしそれも、向こうで自分の親が今にも殺されそうになっている姿を目撃した子を見たら、逡巡してしまった。
「水城さん?何、してるんですか?」
サーシャは固まった俺に声を掛け、そして俺と同じものを見た。はっと息を呑む音がして、サーシャが呟いた。
「ど、どうしましょう...」
「そんなの、殺せばいいんだよ」
ドスッと肉を割く音がした。その音に子オークから視線を外すと、オークの横腹に深々と土の棘が刺さっていた。棘には赤い血が滲んでいて、それは端の方へと広がっていく。もうこのオークが助かることはないだろう。それでも、オークはまだ息をしていた。ウスハは心底くだらないものでも見るかのようにそれを見下ろす。
「必死で生きようとする姿は醜いね。トドメ、刺しちゃうよ?」
それは確認ではなくて、ただの宣言のように思えた。この短期間で物凄く仲良くなった気がした。否、実際に仲良くなった。だが魔物というのは、どこまでいっても魔物なんだな、とも思った。俺はウスハを責めるつもりはないし、そんな権利もないと思う。ただうじうじと迷う俺たちの代わりにはっきりと答えを示してくれただけのこと。悪いのはきっと俺だ。しかしサーシャはそれにかぶりを振ると、否定した。
「いいえ、私がやります。そのくらいはさせてください。誰もいないようですし、魔法を使いますね」
サーシャはゆっくりとオークの顔へ両手を向けると、謝罪でもしているかのように瞼を閉じた。
「穿て」
バシュッという音と共に一つの命が絶えた。俺は子オークの方を見ることができなかった。どころか誰の顔だって見られる気がしなかった。神妙な顔をする俺たちを労るように、ウスハは無理に明るい声を出す。
「でもさ、仕方ないじゃん。相手に子供がいるからってボクたちが死んでちゃどうしようもないでしょ?二人が死んで悲しむ人だっているんだからさ」
「分かってるつもりなんだけどなぁ...」
俺の弱々しい声は森の中の空気に溶け込み、代わりにパキリと枝の折れる音が響いた。三人ともはっとして音の鳴った方向を向いた。
そこには少し背の低い金髪の、礼儀正しそうな少年が両手をあげて立っていた。
「いやー、あはは...。僕、盗み見るつもりは全くなかったんですけど......」
少年は俺たちを笑顔も崩さず順に見ていくと、もう少しだけ口角を上げた。
「まさか[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]と遭遇するとは思いませんでしたよ」
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]