放浪の水魔法使い
「さあ、反撃開始です」
サーシャは泥から漸く脱出したゴーレムを、俺たちの皮膚を叩く雨よりも温度の低い視線で刺す。そして雨から一つ水銃を作り、後頭部へと撃ち込んだ。浅く削れる岩は、やはり即座に再生される。
サーシャはそれを見ると、ふうーっと大きく息を吐いて杖を放り投げた。
「え、捨てちゃうの?杖、いらないの?」
「カイ様、ちょっと静かにしてようよ」
「だってビックリするだろ」
「もしカイ様のせいでやる気が削がれたらどうするのさ」
「何かする間もなくゴーレムに叩き殺される」
...よし、黙っていよう。俺、まだ死にたくないし。
サーシャの手から離れた杖は放物線を描いて、ベチャッと音を立てて泥に軽く沈み込む。似たような色をしているために気を抜いていたら見失いそうだ。サーシャは自由になった両手を、オーケストラでの合図でもするように高く振り上げた。そしてそのまま優雅に手を振り始める。あらゆる場所に雨から生成される弾。指揮者はそれを意のままに操り始める。
「質より量、です」
無数に作られたシャボン玉のような水たちは、一斉にゴーレムへ向けて発射された。ズガガガと岩の表面を激しく彫っていく音が耳を劈く。水はこんな音を出すことができるのか。俺の体の震えは、雨に濡れた寒さによるものなのか、目の前の状況に対する恐怖によるものなのかは分からなかった。俺は、[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]が迫害される理由の一端を見たような気がした。少しでもそんな考えを頭をよぎらせたことに、俺はとてつもなく不快感を覚えた。どれだけ善人ぶろうと、その他大勢と同じ考えをしている自分がどうしようもなく気持ち悪い。俺はそんな自分に巣食う下劣な部分を吐き出すように呟いた。それは彼女に届いたかは分からないけれど。
「サーシャ、負けないでくれよ」
「きっと、きっと負けないよ」
「ああ、そうだよな」
実際それは確信であった。再生したところから削っていくその様子は、あまりにも圧倒的であった。無様に体表をすり減らしていくゴーレムが哀れに見えるくらいに。どうしても見つからない。彼女が負ける要素が何ひとつ見つからない。
修復のペースが思っていたより早かったからか、サーシャは水を撃つ速度を更に上げた。コアを狙ってのことだろう。サーシャはゴーレムの胸部一点を穿ち始める。小さな窪みは数秒後にはその深さをかなり増していた。
ゴーレムも無抵抗ではない。穴が空きそうな所を隠すように背を向ける。そんなゴーレムを面倒くさく思ったか、サーシャはゴーレムの大きな体全てを囲うように攻撃を始める。全身から満遍なく削れていくゴーレムは、それが何の抵抗にもならないというのに腕を乱暴に振り回した。が、その腕は既にボロボロであった。無理に振られた腕はくぐもった音を出して、ゴーレムの体から離れる。片腕を失うゴーレムは、そこが再生することもなく倒れ込んだ。無防備になった胸部からはコアが露出していた。
「これでトドメです」
サーシャは一瞬苦しそうな顔で俺の腹部を見つめたかと思うと、仰向けに倒れたゴーレムの上から一本の水の柱を落とした。雷と見紛うほどの勢いと轟音が起こる。ゴーレムのコアはそれに耐えられる訳もなく、パリンッと高い音を出して割れた。外側を頑丈に覆っていただけに、それは余計に呆気なく見える。あれだけ苦戦した相手の敢えない最期に拍子抜けして、そしてどこか儚さを覚えた。
サーシャは闘いを終えて、確かな足取りでこちらへと歩いてくる。あれだけの時間と回数の攻撃をしたというのに、サーシャは魔力を残しているのか。俺はそれに驚きつつも、自分たちの勝利に安堵する。俺とウスハも向かってくるサーシャと早く合流するために歩き出す。裸足に吸い付いてベチャベチャとする泥に、ズキズキと痛む腹部。どれも普段なら過剰に反応してしまう類の事柄であるが、今はそれらが気にならなかった。
丁度ゴーレムの骸の横でサーシャと立ち止まった。ゆっくりと中心部からサラサラと消えていくゴーレムが、先ほど感じた儚さを更に加速させる。そして勢いが衰えていく雨。この雨がなければ俺たちは今立っていられなかったのかもしれない。それを見ていると、サーシャは今まさに振り終わろうとしている雨のように、ポツリポツリと声を発した。
「私、決めました」
「何がだ?」
「ちゃんと生きることを決めました。そして、あなたの言うとおりイーシャのことは自分の目で確かめます。喜ぶか絶望するかはそれからです」
「ああ、きっとそれがいい」
「...ですが」
「?」
「あなたの『俺のために生きてくれ』という熱烈なプロポーズにはお答えできません」
「は?そ、それはちがっ、誤解だ!言葉の綾だ!」
そんな慌てふためく俺の反応を前に、年相応にクスクス笑うサーシャ。俺は火照った頬をそのままに、サーシャの楽しそうな様子をじーっと見つめる。
ああ、俺は今この娘のことを心から可愛いと思えた。それは容姿の話じゃなくて、もっと何か本質的なことで。でもそれはやっぱり恋愛なんかじゃなくて。いつかはサーシャを恋愛的に好きになる時が来るかもしれない。でも今はそれとは違って、一生懸命育てた雛が飛び立っていったような、そんなこと。俺はそんな嬉しさを噛み締めていた。
ウスハは俺たち二人の会話に耳を傾けるだけで、何も言わない。気を遣っているのか何なのか、愛いやつである。その優しく包み込むような瞳に、俺は全身を雨で濡らしているというのに暖かさを感じた。
「じゃあ俺は」
突然言う俺に少し驚いた様子を見せるサーシャ。そしてその続きを促した。
「俺は元の世界に戻る方法を探したい」
「...そう、ですか。そう、ですよね」
「ああ、そしてもう一つ」
「それは、何ですか?」
「[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]への悪印象を世界から消してやるよ」
「そんな、無茶ですよ...?」
「分かってる。人々に根付いた思想を変えることができないことくらい。けどな、サーシャ。もし元の世界に戻る方法が先に見つかっても、それを達成するまでは絶対に戻らない。俺の、お前への最大の恩返しだ」
「そう、ですか。そうですね!もちろん私もご一緒しますっ」
俺たちの目標が決まったところでゴーレムの体はもう頭しか残っていなかった。雲の隙間から差し込む光のカーテンは、スポットライトのようにゴーレムを照らす。その岩の魔物は光の中で、最後の頭部を散らした。舞い散る砂が光を受けて、眩く煌めいた。
そしてゴーレムが完全に消滅した。そう思った時には俺たちは道ゆく人々を邪魔するように、町の道のど真ん中に突っ立っていた。
「は?どこだよ、ここ...」
「分からないです...」
「突然だね...」
どこから現れたのかと驚いた表情をした人々が物珍しそうに俺たちを見る。しかし歩みは止まらず、その流れが左右に割れるのを見たサーシャが辺りを見回す。
「どこかは分かりませんが、取り敢えず邪魔にならないところへ移動しましょう」
「ああ、そう...だな.....」
「水城さんっ!?」
「カイ様!」
貫かれた腹をそのままにしていたからだろう。俺はふらっとして、そのままぶっ倒れた。まともに受け身もとらず頭を打つ。頭部に鈍い痛みを感じながら、横向きに倒れた俺の視界に沢山の足だけが映る。地面に耳をつけているためか、足音が耳に直接響く。ぐわんぐわんと脳を揺らされるような気持ち悪さを感じながら、俺の意識が遠のいていった。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
少年は帰るために。少女は家族のために。二人は世界を変えるために旅をする。その放浪はいつまで続くかは分からない。けれどきっと、あの砂漠のようにいつか終わりは来るだろう。
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
[水平線]
〈世界観memo〉
魔法に関して、遺伝というのは全くない。よって強い魔法使いの子を作るための結婚というのはなされることはなかった。ただ、双子は必ず同じ属性である。
サーシャは泥から漸く脱出したゴーレムを、俺たちの皮膚を叩く雨よりも温度の低い視線で刺す。そして雨から一つ水銃を作り、後頭部へと撃ち込んだ。浅く削れる岩は、やはり即座に再生される。
サーシャはそれを見ると、ふうーっと大きく息を吐いて杖を放り投げた。
「え、捨てちゃうの?杖、いらないの?」
「カイ様、ちょっと静かにしてようよ」
「だってビックリするだろ」
「もしカイ様のせいでやる気が削がれたらどうするのさ」
「何かする間もなくゴーレムに叩き殺される」
...よし、黙っていよう。俺、まだ死にたくないし。
サーシャの手から離れた杖は放物線を描いて、ベチャッと音を立てて泥に軽く沈み込む。似たような色をしているために気を抜いていたら見失いそうだ。サーシャは自由になった両手を、オーケストラでの合図でもするように高く振り上げた。そしてそのまま優雅に手を振り始める。あらゆる場所に雨から生成される弾。指揮者はそれを意のままに操り始める。
「質より量、です」
無数に作られたシャボン玉のような水たちは、一斉にゴーレムへ向けて発射された。ズガガガと岩の表面を激しく彫っていく音が耳を劈く。水はこんな音を出すことができるのか。俺の体の震えは、雨に濡れた寒さによるものなのか、目の前の状況に対する恐怖によるものなのかは分からなかった。俺は、[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]が迫害される理由の一端を見たような気がした。少しでもそんな考えを頭をよぎらせたことに、俺はとてつもなく不快感を覚えた。どれだけ善人ぶろうと、その他大勢と同じ考えをしている自分がどうしようもなく気持ち悪い。俺はそんな自分に巣食う下劣な部分を吐き出すように呟いた。それは彼女に届いたかは分からないけれど。
「サーシャ、負けないでくれよ」
「きっと、きっと負けないよ」
「ああ、そうだよな」
実際それは確信であった。再生したところから削っていくその様子は、あまりにも圧倒的であった。無様に体表をすり減らしていくゴーレムが哀れに見えるくらいに。どうしても見つからない。彼女が負ける要素が何ひとつ見つからない。
修復のペースが思っていたより早かったからか、サーシャは水を撃つ速度を更に上げた。コアを狙ってのことだろう。サーシャはゴーレムの胸部一点を穿ち始める。小さな窪みは数秒後にはその深さをかなり増していた。
ゴーレムも無抵抗ではない。穴が空きそうな所を隠すように背を向ける。そんなゴーレムを面倒くさく思ったか、サーシャはゴーレムの大きな体全てを囲うように攻撃を始める。全身から満遍なく削れていくゴーレムは、それが何の抵抗にもならないというのに腕を乱暴に振り回した。が、その腕は既にボロボロであった。無理に振られた腕はくぐもった音を出して、ゴーレムの体から離れる。片腕を失うゴーレムは、そこが再生することもなく倒れ込んだ。無防備になった胸部からはコアが露出していた。
「これでトドメです」
サーシャは一瞬苦しそうな顔で俺の腹部を見つめたかと思うと、仰向けに倒れたゴーレムの上から一本の水の柱を落とした。雷と見紛うほどの勢いと轟音が起こる。ゴーレムのコアはそれに耐えられる訳もなく、パリンッと高い音を出して割れた。外側を頑丈に覆っていただけに、それは余計に呆気なく見える。あれだけ苦戦した相手の敢えない最期に拍子抜けして、そしてどこか儚さを覚えた。
サーシャは闘いを終えて、確かな足取りでこちらへと歩いてくる。あれだけの時間と回数の攻撃をしたというのに、サーシャは魔力を残しているのか。俺はそれに驚きつつも、自分たちの勝利に安堵する。俺とウスハも向かってくるサーシャと早く合流するために歩き出す。裸足に吸い付いてベチャベチャとする泥に、ズキズキと痛む腹部。どれも普段なら過剰に反応してしまう類の事柄であるが、今はそれらが気にならなかった。
丁度ゴーレムの骸の横でサーシャと立ち止まった。ゆっくりと中心部からサラサラと消えていくゴーレムが、先ほど感じた儚さを更に加速させる。そして勢いが衰えていく雨。この雨がなければ俺たちは今立っていられなかったのかもしれない。それを見ていると、サーシャは今まさに振り終わろうとしている雨のように、ポツリポツリと声を発した。
「私、決めました」
「何がだ?」
「ちゃんと生きることを決めました。そして、あなたの言うとおりイーシャのことは自分の目で確かめます。喜ぶか絶望するかはそれからです」
「ああ、きっとそれがいい」
「...ですが」
「?」
「あなたの『俺のために生きてくれ』という熱烈なプロポーズにはお答えできません」
「は?そ、それはちがっ、誤解だ!言葉の綾だ!」
そんな慌てふためく俺の反応を前に、年相応にクスクス笑うサーシャ。俺は火照った頬をそのままに、サーシャの楽しそうな様子をじーっと見つめる。
ああ、俺は今この娘のことを心から可愛いと思えた。それは容姿の話じゃなくて、もっと何か本質的なことで。でもそれはやっぱり恋愛なんかじゃなくて。いつかはサーシャを恋愛的に好きになる時が来るかもしれない。でも今はそれとは違って、一生懸命育てた雛が飛び立っていったような、そんなこと。俺はそんな嬉しさを噛み締めていた。
ウスハは俺たち二人の会話に耳を傾けるだけで、何も言わない。気を遣っているのか何なのか、愛いやつである。その優しく包み込むような瞳に、俺は全身を雨で濡らしているというのに暖かさを感じた。
「じゃあ俺は」
突然言う俺に少し驚いた様子を見せるサーシャ。そしてその続きを促した。
「俺は元の世界に戻る方法を探したい」
「...そう、ですか。そう、ですよね」
「ああ、そしてもう一つ」
「それは、何ですか?」
「[漢字]水魔法使い[/漢字][ふりがな]アクア[/ふりがな]への悪印象を世界から消してやるよ」
「そんな、無茶ですよ...?」
「分かってる。人々に根付いた思想を変えることができないことくらい。けどな、サーシャ。もし元の世界に戻る方法が先に見つかっても、それを達成するまでは絶対に戻らない。俺の、お前への最大の恩返しだ」
「そう、ですか。そうですね!もちろん私もご一緒しますっ」
俺たちの目標が決まったところでゴーレムの体はもう頭しか残っていなかった。雲の隙間から差し込む光のカーテンは、スポットライトのようにゴーレムを照らす。その岩の魔物は光の中で、最後の頭部を散らした。舞い散る砂が光を受けて、眩く煌めいた。
そしてゴーレムが完全に消滅した。そう思った時には俺たちは道ゆく人々を邪魔するように、町の道のど真ん中に突っ立っていた。
「は?どこだよ、ここ...」
「分からないです...」
「突然だね...」
どこから現れたのかと驚いた表情をした人々が物珍しそうに俺たちを見る。しかし歩みは止まらず、その流れが左右に割れるのを見たサーシャが辺りを見回す。
「どこかは分かりませんが、取り敢えず邪魔にならないところへ移動しましょう」
「ああ、そう...だな.....」
「水城さんっ!?」
「カイ様!」
貫かれた腹をそのままにしていたからだろう。俺はふらっとして、そのままぶっ倒れた。まともに受け身もとらず頭を打つ。頭部に鈍い痛みを感じながら、横向きに倒れた俺の視界に沢山の足だけが映る。地面に耳をつけているためか、足音が耳に直接響く。ぐわんぐわんと脳を揺らされるような気持ち悪さを感じながら、俺の意識が遠のいていった。
[中央寄せ]✕ ✕ ✕[/中央寄せ]
少年は帰るために。少女は家族のために。二人は世界を変えるために旅をする。その放浪はいつまで続くかは分からない。けれどきっと、あの砂漠のようにいつか終わりは来るだろう。
[中央寄せ]ー続ー[/中央寄せ]
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〈世界観memo〉
魔法に関して、遺伝というのは全くない。よって強い魔法使いの子を作るための結婚というのはなされることはなかった。ただ、双子は必ず同じ属性である。