【2/24、2/25、2/26受付分】匿名9さんへの返信

春一番の風も吹き、過ごしやすい日常が訪れる時期となりました。【2/24受付分】匿名さんへの返信という記事を拝見させていただいた者です。そこで、とある私個人の意見にはなってしまいますが、お伝えしたいことがあり、この場をお借りいたしました。このあとは恐らく大変長文になるかと思いますので、ゆっくりと目を通していただけましたら幸いです。

このサイトの理念は一見立派に見えますが、実態としては「創作」を名目にした支配の構造になっているのではないか、と感じております。

「称賛を求めるな」「雑談は禁止」「他人からの力を借りるのも禁止」「違反者は公開処罰」??ほかにもさまざまな規則がありますが、これらを掲げながら「書きたい気持ちを応援します」と表明されている姿勢は、率直に申し上げて本当の意味での“応援”には見えません。

確かに、小説投稿サイトである以上、小説のみを投稿すべきだという考え方も理解できなくはありません。しかし、創作とは孤独な作業であると同時に、人との関わりや会話の中で育まれる側面もあるのではないでしょうか。それにもかかわらず、雑談や交流を一切禁止することは、創作の燃料そのものを奪う行為ではありませんか。

もちろん、雑談だけを目的とし、小説を投稿しない利用の仕方は適切ではないと私も思います。しかし「(少しでも)雑談をしたいなら他のサイトを使えばよい」という考え方は、互いに学び合う機会そのものを切り捨てているようにも感じられます。その状態で「成長を応援する」とおっしゃるのは、やや矛盾しているのではないでしょうか。

また、違反者を「お知らせ」で公開する仕組みについても疑問を抱いております。【2/24受付分】匿名さんへの記事内でも仰るとおり、「晒し」や「見せしめ」が目的ではなく、悪質な違反者からユーザーを守るためである、というお考えであることは分かります。

しかし、それでもなお私は、現在の「名前の公表」という仕組みには重大な問題があると考えております。まず前提として、秩序を守ること自体に異論はありません。盗作、誹謗中傷、大量アカウント取得といった行為が悪質であり、対処が必要であることも当然だと思います。ですが、「悪質だから公開する」という論理には慎重さが必要です。なぜなら、秩序を守ることと、違反者を公開することは、必ずしもイコールではないからです。

公開の目的が「再発防止」と「ユーザーの安心」であるとおっしゃいますが、本当にその効果が最も合理的かどうかは別問題です。違反者の名前を公表することは、本人への制裁、他者への警告、コミュニティへの情報共有という複数の意味を持ちます。しかし同時に、公開された人物に対する過剰な攻撃や私刑の誘発、コミュニティ内の恐怖や萎縮、「失敗したら晒される」という空気の固定化といった副作用も必ず発生します。

「普通に利用していれば載らない」とのことですが、問題はそこではありません。重要なのは、“公開される可能性がある”という制度そのものが、コミュニティの空気をどう変えるか、という点です。秩序は恐怖によっても保たれます。しかし、恐怖で保たれた秩序は創造的な場にはなりにくい。これは感情論ではなく、集団心理の構造の問題です。

さらに、「公表しなければ再発する可能性が高い」という前提も、必ずしも自明ではありません。再発防止の手段は、IPや端末制限、再登録制限、段階的な処分制度、非公開の内部記録共有など複数存在します。つまり、公開は“唯一の手段”ではないはずです。

そして最も重要なのは、「透明性」と「公開処分」は別物だという点です。透明性とは、「どういう違反があり、どういう基準でどう対処したか」を示すことです。必ずしも個人名を掲げることではありません。「誹謗中傷ユーザーを規制しました」と告知することは透明性ですが、その名前を出すことは制裁の要素を帯びます。そこに線引きの問題が生まれます。

また、「違反者が野放しになる危険性」と「名前を公表する安心感」を天秤にかける構図で提示されていますが、これは二択ではありません。公開しない=野放し、ではありません。非公開で厳格に管理し、再発防止策を徹底するという第三の選択肢は十分に存在します。

そしてもう一つ、仮に「悪質な違反のみ公開」であっても、その“悪質”の判断基準は運営側にあります。絶対的に公正であろうとしても、判断は人間が行う以上、誤認や過剰評価の可能性はゼロではありません。そのとき、名前が公表されるリスクは非常に大きい。名誉の回復は極めて困難です。制度設計は、「悪質な違反者がどうするか」だけでなく、「もし誤りがあった場合の被害」をも想定して作られるべきです。公開処分は、そのリスクが重い。

私は、秩序維持そのものを否定しているのではありません。ただ、秩序を守る方法が恐怖を含む形である必要があるのか、それが本当に創作の場にとって最適なのか、そこに疑問を抱いています。創作の場は、「悪いことをしたら晒される場所」ではなく、「悪いことをしたら厳正に対処されるが、安心して挑戦できる場所」であるべきだと私は考えます。

安心とは、違反者が可視化されることではなく、運営が公平かつ一貫して対処していると信頼できることです。公開による統制は即効性はあるかもしれません。しかし長期的に見て、それが信頼を育てるかどうかは別問題です。私は、「違反者が住みつきやすいサイト」にすべきだとは思っていません。しかし同時に、「恐れによって秩序を保つサイト」にもしてほしくありません。守るべきは、違反者を晒す仕組みではなく、安心して創作できる空気そのものではないでしょうか……という一つの私の考えです。

そのような環境の中で、果たして安心して挑戦できるのでしょうか。「違反する側が悪い」と言われれば規約上はその通りかもしれません。しかし、失敗ではない挑戦まで萎縮させる空気が生まれているとすれば、新しい発想が生まれにくくなるのではないかと懸念いたします。

さらに、「称賛を期待するな」としながら「褒められたいのは当然」とも記されている点にも、やや矛盾を感じます。人は褒められたいという気持ちがあるからこそ努力し、見てもらいたいからこそ成長するのではないでしょうか。コメントを送る人が限られること自体は理解できますが、雑談と受け取られることへの不安や、IDが公開されることへの抵抗感などが、発言を控える要因になっている可能性については考慮されているのでしょうか。

また、「小説以外は一切禁止」という姿勢についても、規律の重要性は理解しつつ、創作とはさまざまな要素が混ざり合う中から生まれるものではないかと考えます。世界観の解説や制作過程の共有なども、発想を広げる一助になり得るのではないでしょうか。本当に執筆を応援するのであれば、そのような機能を設ける選択肢もあったのではないかと思います。

これらをすべて「純粋さ」「秩序」として排除する姿勢は、結果として人工的な孤立を生み出しているようにも見えます。

そして率直に申し上げますと、管理者の方が本当に「創作を守りたい」という思いからこのような運営をなさっているのか、それとも「管理している」という立場そのものに価値を置いておられるのか、疑問を抱いてしまいます。もちろん、これはあくまで私個人の受け止め方にすぎません。

厳格な規則を設け、違反者を公開し、それを正義として示すことが、果たして創作の土壌を豊かにしているのかどうか。創作とは本来、命令によって生まれるものではなく、ある程度の自由の中でこそ息づくものではないでしょうか。

「それなら利用しなければよい」とお考えになるかもしれません。しかし私が申し上げたいのはそこではありません。厳しい規則と権威によって縛ることで、かえって創作の心そのものを窒息させているのではないか、という懸念です。

このサイトが守っているのは本当に“創作”なのでしょうか……。それとも“権威”なのでしょうか。理想を掲げながら、その理想で人を縛る。そのような環境で新しい物語が生まれるのか、私は疑問に感じております。

創作とは、恐れや統制の中ではなく、人とのつながりと自由の中でこそ真に花開くものだと、私は考えております。

最後に、この意見をどのように受け止められるかはお任せいたします。ご対応についても運営のご判断に委ねますが、あくまでもということで私自身の考えとして以上を申し述べさせていただきました。最後までご覧くださり、本当にありがとうございます。長くなりましたが、私からは以上です。失礼いたしました。

ご意見ありがとうございました
 

今後、サイトの運営として変更すべき点があると判断しましたら、管理に反映させ改善に努めます。貴重なご意見をお寄せいただきありがとうございました。

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